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斉藤陽子オーラル・ヒストリー 2014年1月20日

斉藤陽子宅(デュッセルドルフ)にて
インタヴュアー:坂上しのぶ、森下明彦
書き起こし:坂上しのぶ
公開日:2015年10月4日
 

斉藤:モェース(Moers、ドイツ)の中にお城があったんですね。そのお城の跡が公園になっていて中に小さい島があるんですね。そこでインスタレーションとパフォーマンスをやったんです。(個展「ゼーヴェルク 2012(Seewerk 2012)」、モェース、2012年9月9日-10月19日、パフォーマンスは9月8日)

坂上:大きなチェス。

斉藤:風によっていろんな音が……。

坂上:ペットボトルとかビールの空き缶とかがそれぞれ。

斉藤:動いてね、音がするようになっているんですね。これがパフォーマンスの一番最初です。

坂上:陽子さんがつくった服を着て。

斉藤:私はこれで。

坂上:ああ、顔がないやつ(笑)。ああこれはマーゲマイヤーさんのところの女性の方ですね。

斉藤:そうそう。チェスのお面の服は、トロントの「リユニオン」の時に着た服と一緒です。これはレナーテ(・マーゲマイヤー)ですよね。

坂上:後ろにもチェス盤があってひっかけてあって、それが取れるとお尻が見える。前も取れる、後ろも取れる。だんだんほぐれて(ほつれて)。

斉藤:私がパフォーマンスをやる場合は、安全ピンを観客の人につけて引っ張ってもらうんですが、ここには観客は入れなかったんです。島に行く為の橋が全然ないんです。島に行くには船で向こうへ渡るしかないんですよね。

坂上:じゃあこのチェスとかも船で渡して。

斉藤:そう。向こうに材料を運んだんです。だから、彼らはチェスのどこかに安全ピンを留めたり木に止めたりして、それで動くたびにポロンと落っこちていくわけね。

坂上:それは笑えるよね(笑)。

斉藤:そしてこれが一番最後の状態ですよね。

森下:そしてこれが(斉藤陽子さんの自宅の)台所にぶら下がっているもの(写真を組み合わせてモビールになっている)になって。

斉藤:そうそう。

森下:ここの写真のコラージュだったんですね。

斉藤:それで終りだと思っていたんですが、みんなが私に顔を出せってうながされて。

2012(Seewerk 2012)」、モェース、2012年9月9日-10月19日、パフォーマンスは9月8日)

そしてみんなで拍手して終りになって。私は《カナッペ・チェス》の前に立っていたんですね。そしてここは水に囲まれているでしょう。いっぱいアヒルとか鴨が来るんですね。そして我々の所にガーガー集まってくるんです。みんなが餌をやるもんだから。だから私、この日もいっぱい餌を置いといたのね。そして私の肩とか頭とかにも餌を置いていたからいっぱい小鳥たちも来ると思っていたの。それを楽しみにしていたの。ところがその前にね、実際には日本人じゃないんですけども、日本の太鼓のグループがあって、ドンドンドンドン太鼓を叩いて。それで鳥がどっかに隠れちゃったのね。一羽も来なかったの。残念ながら。私楽しみにしていたのに全然来なかった。

森下:これがいいんですよね。

斉藤:シルバー湖の近くの周りに庭みたいなのがあるんですね。そこにインスタレーションをやった。

坂上:これは元々あった大きな木。

斉藤:そう。一番最初にここに行った時にね、庭のところに転がっていて。私はそれで何かをしたいと思ったんです。これはリスとねずみの為のチェスです。

森下:これは同じように餌を置いておいたんですか?

斉藤:ノー、これはクルミなんです。私はボブ・ワッツのところを訪れた時もね、たくさんクルミの木があってね、大抵クルミがこうあると、リスはそこの真ん中に穴を開けて実を取っているんです。だから(この作品も)最後はそういう風になると思っていたんです。ところが、この間(クルミとクルミの間)が狭いもんで、皆争って食べ、またはその辺に餌がないもんだからか、彼らはみんな壊しちゃった!

坂上:リスたちが一生懸命食べてしまったんですね。

斉藤:リスかなあ。チェスとの間がこれ位だから、中々食べるのも大変だったんだと思うんですけど、みんな壊してしまった。

森下:部屋の中の展覧会もありましたよねえ。

斉藤:これがそうです。あなた方にも写真送ったでしょう。

森下:かなり大きな展覧会でしたね。

斉藤:壁が25メートル位ありましたからねえ。それが2つ部屋あって。

森下:25メートルの部屋に展示される位だから相当な量ですよねえ。

斉藤:相当です。

森下:2年前でしょう。

斉藤:一昨年です。

森下:展覧会場に(作品を)持って行って展示して、また持って帰ってきてしまって。

斉藤:そう。

坂上:これカワイイ。カラフルで。

斉藤:これは《エメット・ウィリアムスのポートレート(Portrait of Emmett Williams)》ね。こっちはアル・ハンセンだし。これはマグネットで場所を変えることができる。ジョージ・ブレクトのは売れてしまった。

斉藤:チェスですね。これがそこにある(顔の作品)。これは本当は壁に掛けるんですね。だけど重くって。ここの建物はね、壁が丈夫でなくてね、彼らは壁に掛けるのを嫌がってね。それで置いたんです。

森下:これは(斉藤陽子の自宅の)ベッドのところの。

坂上:これは《Portrait of Takako》!

森下:あれ? 前に見たのは植木が植わってたけども。

斉藤:これは大きいやつだし、植木のは小さいやつ。それは何でも植えていい。これは何をここに入れても私のポートレートになるというやつです。「何でもこの鉢に入れれば、陽子のポートレートになる(Whatever you put in this pot, it will be a portrait of Takako.)」

坂上:ああ!

斉藤:この写真は奥行きが少しわかりますね。一番奥に《ユー・アンド・ミー・ショップ(You and Me Shop)》を。

坂上:こういう展覧会を見ると、お客さんは、こういう作品を陽子さんが倉庫から出してきていると思う。まさか部屋にこんなにたくさんあってとは(笑)。

斉藤:(《ドゥ・イット・ユアセルフ絵画》は)この後にミュンスター(ドイツ)で展覧会をやって売れたんです。ようやく。

森下:すごいなあ、しかしまあ、これ展示するだけでもかなり時間かかるでしょう。

斉藤:市が2ヶ月間アパートを借りてくれて。そこに滞在してやったんです。

坂上:これよくお手紙に書かれているマーク。

斉藤:そうね。これは本でした。本当は。

坂上:綿毛の《サイレント・ミュージック(Silent Music)》も。

森下:展示も自分でお決めになって。

斉藤:もちろん。これが《新聞スタンド(News Paper Stand)》ですよね。

坂上:ああ、新聞の1日分。あ、「ゼン・モンドー(ZEN-MONDO)」だって(笑)。

森下:これは本ですか?

斉藤:ノー、そうじゃないです。これはナフキンが入ってます。これがミュンスターです。(モェースの後に行われた展覧会)(個展「斉藤陽子:本、実験、オブジェ、チェス〔Takako Saito: Bücher, Experimente, Objekte, Schachspiele〕」、小空間クラージンク/エタージェ画廊、ミュンスター、2012年12月15日-2013年1月26日)

坂上:展覧会が終わったらこの作品が部屋に戻ってきたんですね。

斉藤:戻ってきましたよ。

坂上:それをまたいろいろな部屋に戻して行く。

斉藤:戸棚に入れたり、壁に掛けたり。

坂上:アーティストって、「もっと生活にアートを近づける」とかね、「生活とアートをもっと身近に」と言っても、実はそう言う本人は何でもない普通の部屋の中に住んで、作品は普段は倉庫の中にしまっていたり。そしてパフォーマンスやって外でアートと親しんでもそれはあくまでもパフォーマンスであって、家に帰ったら違う生活があるというのが殆どだと思うんだけど、陽子さんの部屋に来て一番びっくりしたのが、生活自体そのものが。

斉藤:生活自体そのもの。それが私にとっての芸術であり、何て言うのかなあ、生活のすべてが人生というか。

坂上:境目がないというか。

斉藤:境目がないわけ。だから、手紙を書いても、あ!と思うといろんなことをやったりとかね。

坂上:印刷でも、昔の話になるけど、インクをね、同じ色を入れれば普通なんだけど、それをわざわざ違う色のインクを入れて遊んだり。

斉藤:そうです。遊んでた。遊んでるんです。
(※斉藤記:だからきっと今までどこででも生きてこれたのだろうと思います。)

坂上:私達って、今は仕事、今は遊びって、分けるけどその境目がないのが、陽子さん以外の人では見た事がない。

斉藤:ああ本当? まあ知らないけれども。まあ私の生活はそういうものです。

坂上:昔からそうだったんですか。

斉藤:ある意味でそうかもしれないですねえ。洋服を作ったりとか。何かそういうのがあったと思いますね、昔から。ただ正式に型紙をつくるっていうのがおもしろくなくて自分で簡単にするとかね。そういう風なのも同じようなものだと思いますし。特別自分で意識はしなかったですがね。今だって特別意識しているわけでもないですけど、そういうものが私の生きるスタイルになっている。

坂上:自然にそうなってる。

斉藤:そうそう。自然です。だから、一番大事な事は、自然に動くという事。それは他の人達にも。観客達にも私はなるべく自然な状態で対し、そして彼らが自然な衝動でもって私の作品をあれしても私はよほどの何かがない限りストップはしません。「あ、やめてくれ、触りなさんな」とは言わないです。彼らも注意深く、人がつくったものですから、そうするのが人間の本性だと思いますからねえ。だから、それを信じて(笑)。

坂上:陽子さんの手紙だったかな? 子どもが火に手を近づける時に、駄目と言わないでもいいって。子どもは火が熱いことをちゃんとわかっていて、おそるおそる火に手を近づけているわけだから、そこで勝手に判断して駄目って言わない方が良いと。

斉藤:そう。何故かというと、それは、私がゲント(ベルギー)というところでワークショップをやったんです。それは単なる3日間のワークショップで長い期間じゃないんですね。そこで私は透明な硫酸紙にインクで絵を描いてろうそくで火をあててバブルが出て来る、そういう事をやった。そこに来た子どもたちは非常に小さい3才位の子から13才位の子ども達だったんですよね。そして初めは、私はただ火をあてるとバブルが出るというのを実験して示してみせただけで後は自由にやらせていたんですね。3才の子どもの場合はちょっと危ないですから、「どこにバブルが欲しい?」って私なり誰かがバブルをつくるんですが、その後にね、美術館の人がアシスタントをよこしたんです。彼は自分の方が美術に対して何でも知っていると思っていてね、どっかの美術学校でアシスタントをしていたんでしょう。一人の3才の男の子で、彼は、何かを始める前に一人で静かに考えてからやりだすんですね。静かな子だけども、絵を描く前にモチーフを頭で考えているのか知らないけど,すぐにはやらない子が一人いたんです。でもいい作品をつくっていたんです。私もね、初めはね、彼がじーっとしてなかなか始めないから、ちょっと手伝おうかと思ったら、彼がふっと動き出したから、あ、やめようって思って私はやめて、「あなたの好きなようにしなさい」って。好きにすればいいんだから。ところがそのアシスタントは「どう描きなさい」とか言って、その子が前に描いた絵とは全く違うつくりの絵を描かせたんですね。そしたらその子は自分で判断して去ってしまったんです。そんな小さい子にしても彼は自分で判断して「やめよう」と。そして静かに去ったんです。何も言わないで。その場所から外に出てしまってもう帰ってこなかったんですよね。後からお母さんがワークショップの終りに迎えに来た時に、私はそのお母さんに「彼はものすごくいい絵を描いていた」っていうことを話したら、お母さんは「ここに来るのを彼は非常に楽しみにしていました」って言ってたんですけどね。それをね、アシスタントが最後の日だったけれども壊してしまって。だけれども、その子は自分のやりたい事はちゃんと知っていたわけでしょう。そして何も言わず去って。それからもう一つはね、あの時、火を使ったでしょう。硫酸紙(pergament paper)に火をあてると時々紙が燃える事があるんです。炎が紙に接触しすぎて。思春期の子ども達というのはある意味で非常にアグレッシヴなものを持っているんですね。そして思春期の男の子女の子がいて、彼らはワークショップで何かをするよりも、興味は男性と女性との話し合いでね、それは自然なことで。私は「やりなさい」と強制はしなかったの。で、最後になってやりだしたんです、やっと。そして一人の男の子が紙を燃やす事に興味を持ち出してね。燃やす事で何かをやりだそうと思った時に終わってしまいましたけどもね。だけどそれもね、そのアシスタントには私から「彼らは燃やすから火の事をちょっと注意していてほしい」って(言っただけなのに)彼がやったのは、濡れたタオルですぐ処理をしだして。するともうその紙は機能しなくなるんですよね。水でべちゃっとなると、もう紙が燃えなくなる。そういう無神経さ。

森下:子ども達の考えている事を無視しているわけですね。でもそこの辺りの陽子さんの考えは創美まで戻りますね。女子大で子どもの事を研究されて。そういうものがずっと来ていて。

斉藤:かどうか知りませんし、女子大で私が教わったことは何も覚えていません。ただ映画ばかり見ていた人間ですから。それよりもむしろ創美です。

森下:思春期の子ども達がどういう状態にあるかというのは創美の頃にいろいろ学ばれたか経験を積まれたと思うんですね。

坂上:創美もそうだけど、その前の国語の授業から。そういう陽子さんの、自由にした方がどんどんいろんなものが生まれてきて、楽しくなってくるみたいな発想というのは、やっぱり自由に育ててもらったからか。

斉藤:それもあると思います。私は割と自由に家では。

坂上:お父さんが絶対に「ノー」と言わなかった。

斉藤:言わなかった。私は真ん中の子で、家にとっては重要な子どもではなかったですからね。自由にされたということもありますね。父は怒ったり大声を上げたりはしませんでしたけど、割ときっとした態度をしたことが2回あります。一つは弟に対して。私はその場にはいなかったんですけど、弟がお蔵に入れられたことがあるんですよね。何をやったのか知りませんけども。そして真っ暗なお蔵に入れられた時にも、父はきっとした態度だけで大声で怒ったわけではないけれども、許さなかった。それだけは覚えています。それともう一つ覚えているのは、うちに大きな犬がいたんですね。いつも外と家の庭で飛び回ってたんですけど、ある時誰かが庭のドアを開けっ放しにして、ちゃんと閉めるのを忘れて。それでか、そのドアを犬が押して出たのか、外へ出ちゃったんですね。そしたら我々の知らないどこかの人がその犬を持って行って、何日間か餌をやったりして世話をしたんですよ。ところがそして私の家にその犬を連れて持って来て、「これだけ餌をやったからお金を」って要求してきたんです。父はそれに対してね、その犬を受取らない。他人が一回餌をやったものは、家の中には入れたくない、と。そういう事がありました。それだけ。2回だけ覚えています。父のやったことで、怒ったとか大きな声じゃなくて、受け入れなかった。私は犬をかわいそうだなと思った。我々を見てキャンキャン鳴いたんですよね。長く育てられて一緒に住んでいたんですから。もちろんその男の人がある期間餌をやっていたんでしょうけども。

森下:それ以外は、いいお父さん。

斉藤:自由だったです。子ども達がうちの前で遊んでいても何も言わなかったですし。

森下:陽子さんも自由に育てられて、子ども達を自由にすると素晴しい子どもが出来るという信頼があるんですね。

斉藤:それこそ創美からです。国語の授業も創美の時にやった授業ですから。

坂上:では創美の方が先にあって。

斉藤:そうです。創美が先であって国語の授業は後です。

坂上:では事務員さんの時からもう創美にはかかわって。

斉藤:ノー、事務員の時には創美は始まっていなかったです。

坂上:じゃあ最初は普通の国語の授業を?

斉藤:ノー、そういう事はやってないです。初めから私がやった状態で。普通の授業は一度もやった事がない。

森下:子ども達にしてもあるいはパフォーマンスにしても、他の観客の方々に立体を積ませる。その方々の創造性を信頼出来る。なかなか出来ないですよね。

斉藤:私はその事を非常に大事な事だと思っています。そしてこの間言わなかったけれども、カウナスの時に、「子ども達が遊んでいるから」ってミュージアムの人が私のところへ来てね、だけど何もいわなかった。美術館の女の人に「どうか遊んでいる人に対して壊しちゃいけないよ」って。いわゆる禁止を与えて遊んでいる人達をナーヴァス(不安)にしないでほしい。ナーヴァスにすると、余計に人々は壊そうと思ってなくても壊れる事があるんです。だから人を手伝うということはいいけれども、決して神経質に「壊しちゃいけないよ」って言わないでって。何かをやって壊れるというのは自然な事なのだから、ナーヴァスにしない事をお願いしました。

坂上:この家に引っ越して来たのは86、87年位でしたか。だから30年近く。ここまでつくるの大変だったのでは。

斉藤:これも自然に(笑)。

坂上:最初は何かの寮の部屋だったわけだから、殺伐としてというか。

斉藤:そう。もちろん。何もないし何年も使い手がなかったの。使い手がなくてどうしようもなくて、会社が市に売ったか何かですよね。でも誰もこんな場所を使う人がいなかったんですね。そして結局文化局の人達が芸術家なら貧乏だし(笑)自分で何とか改装して使うだろうと言って、我々にまわってきたんですね。

森下:日本ではなかなかそういう判断を行政がするっていうのは考えられないですね。やっぱりドイツはいいですね。でもそれにしても汚かったり設備は壊れていたり。それも30年かけて。

斉藤:そうそう。

坂上:床ひとつとっても海みたいになっているところと陸みたいになっているところとね(笑)。

斉藤:これは一つの遊びですよね(笑)。

坂上:全部が遊び。

斉藤:そうです。全部が遊びです。

坂上:棚から何から。

森下:遊びにしてはとにかく手がかかってますからねえ。

斉藤:それでも遊びです。

坂上:クッションにも絵が描いてあったりして。

斉藤:そうだよ。これは前と後ろで違うんだよ。絵が。

坂上:こういうのを30年かけて。あ、ソファがないからソファ縫って。ああフルクサスでも創美でももっと芸術を一般にとか、広く親しみとかみんな言うけど。

斉藤:本当には変わらないんです。本質的には、ただ表面だけが変わるだけ。表面だけで作品を見てもさあ、表面だけでそういうものが現れてきても、いわゆるその人間自体っていうのは(変わらない)。だけど一番大事なのは人間であってね、その人が本当に変わってなければ、表面的な作品をつくってもねえ……って思いますけどね。

坂上:私は昼仕事して夜家に戻って来て、ってなると棚1個でも作るのも面倒くさくて、買って来てそこに詰めてっていうだけで。

斉藤:あなたは働いていてお金が簡単に入って来るからねえ(笑)。それこそ私はテレビなんて持っていませんしね、自動車もなく自転車でしょ。そしてレストランにも行きませんし、映画にも絶対に行きませんしね(笑)。

坂上:私は何でも買って来て、ごはん作って食べて、ゴミはぽいぽい捨てるわけだけど、陽子さんはゴミというものをまず、ゴミにも人権が!じゃないけど(笑)。

斉藤:(笑)そんなに大げさに考えなくてもいいけど。すーっとねえ、ゴミの中にだって。

森下:ゴミを捨てながら、ああ、これ使えるとか。

斉藤:そうそう。やってみよう!って。

森下:実験なんですね。実験という言葉はこの前もお話されていたけれども。もう一つの陽子さんのお仕事の側面ですね。

坂上:ゴミになって捨てられちゃうミカンの皮が、私達がお金を出して欲しがるものに変わるわけじゃないですか(笑)。

斉藤:あの時はびっくりしましたよね。繊維のコレクターの方の工場で。あんなにいいものをみんな捨てちゃうんですからねえ。直接には見せなかったでしょう。(取りに行く)

斉藤:こんななんですよ(笑)

森下:結構重たい。そして一つ一つに髭がスタンプされていたり、細かいですよ(笑)

斉藤:もったいない話ですよ。考えてみると。

坂上:ポケットの中にまだ。

森下:入ったまま(笑)。

坂上:いろんな色があって。(レナーテ・)マーゲマイヤーさんの所でやった展覧会の時のもありますね。着ていた。ポケットの中にいろんなものが入っていて取り出す。背の高い人でもおじさんでも誰でも合うようにいろんなサイズがあるんですよね。

森下:細かく文字も描いてあるし。

坂上:ポケットの中身を一個拡げてみてもいいですか。ああ、文字が書いてある。

斉藤:ねえ、もったいないねえ。これみんな捨てちゃうんだよ。それで持って帰ってきて、送ってもらって。

坂上:ビデオを撮らせてもらってもいいですか。

斉藤:いいですよ。

坂上:お部屋の中の様子を。床なのか天井なのかわからない。こうやって撮ってると(笑)。

斉藤:(笑)。

藤:(資料室となっている一室にて)ここはもう一度整理し直さないとわからないです、もう。やり始めた時にはちゃんとなっていたんですけどねえ、誰かが資料が必要だとかで出したりコピーを作ったりしたらもう混ぜこぜになって。まあ。自由に中に入られればいいですよ(笑)。

斉藤:(木材を見ながら)それは前に畑を持っている人が手伝ってくれて彼の自動車で買った。これは自転車では無理。(運んでもらったのは)これ位です。大きいものは配達してもらいますがほとんどのものは自分で建築材料店にある大きなノコで客が自由に使える、で、自転車で運べるように切って運びます。

森下:ちゃんと(木材の一つ一つに)寸法が書いてあって、在庫がいくつあるかとかも書いてある。在庫がわかるように。

坂上:それは「レアル(real)」(近くのスーパー・マーケット)よりも遠いお店で。

斉藤:これ(チェス)はイタリーの時につくったものですよ。77年って書いてありますからイタリーにいた時の作品です。

森下:重たいでしょう、これ多分。

斉藤:ええ。これは男の人の顔だけれども、女性の顔のはシュトゥットガルトのミュージアムが買った。

森下:ムク(無垢)の一本の大きな木ですよねえ。

斉藤:大きな木を、多分2つ位張り合わせていると思います。境目があるでしょう。

坂上:ここは。

斉藤:あれが《新聞スタンド(News Paper Stand)》ですね。

坂上:おじゃましまーす。

斉藤:ここは元々一人の芸術家が物置に使っていたところですが、最近ベルリンに移動されて、私がもらったもので、そこには電気がきておらず、今もそのままです。

坂上:じゃあ昼間じゃないとものは探せない。

斉藤:そうそう。そうなの。

坂上:ああ!これはさっき私がカワイイ!って言ったポートレートですね。

斉藤:そうそう。これもチェス。

坂上:うわー毛が生えてたんだ〜!この毛は誰のですか。

斉藤:私の。

森下:そうですか、ではこれつくるためにだいぶ散髪して。

坂上:一時期かなり長く伸ばしてましたね。長かったから。

斉藤:これはみんなマグネットで。(黄色と黒のマグネットがついたキューブが沢山棚にある)

森下:もうこれはおうちではなくて美術館。

坂上:でも美術館って言うとまた権威になるからさあ(笑)。

森下:そこに住まわれているという。

坂上:境目がない。小勝さんは「一つひとつの部屋がギャラリーの様で」って言ってたけれど。ギャラリーと言っても生活もあるし。

斉藤:これがみんなキューブで、壁に。向こうにもありますが、みんな一つ一つ自分の手でやったんですからねえ。マグネットがついてますから。鉄板を貼って。

坂上:結構重かったですよね、一個一個。(別の作品を見て)ああ、で、これが全部、文字が書いてあって。ああ、名前が書いてある。ここは。

斉藤:フルクサスの芸術家たちのショップですかねえ。

坂上:ジャン・デュピュイ(Jean Depuy)。

斉藤:ベン(・ヴォーティエ)でしょう、(ナム=ジュン・)パイクでしょう、アル・ハンセン、ヨシ・ワダ(Yoshi Wada、1943-)さん、アラン・カプロー、ジョージ・マチューナス、靉嘔でしょ、あれはディック・ヒギンズ、フィリップ・コーナー、ジャン・デュピュイ、ロベール・フィリウー……。

森下:「ヴォイド(VOID、空)」というのもありますね。

斉藤:(「ヴォイド」は)ジョージ・ブレクトでしょう。

森下:アリソン・ノウルズ、オノ・ヨーコ、ジェフリー・ヘンドリックス。

斉藤:(久保田)成子さんもあるし、あれが塩見さん。

森下:塩見さんっぽく白い箱になってる。

坂上:シャーロット・モーマン。

森下:チェロがちゃんと書いてある。

坂上:陽子さんのは。

斉藤:ありません。

坂上:小杉さんのもあるのに。ピーター・ムーアもあるのに。

斉藤:私がつくったけれども、私はここにはいません。まあ開けてみればわかりますよ。

坂上:ああ小杉さんは糸が引いてあって。塩見さん開いてみていいですか。塩見さん見たら喜びそう。

斉藤:ノー、彼女見てるんですよ、豊田で。これはオノ・ヨーコ、アリソン・ノウルズ。実際はこのカップの中にここの一さじ入れて、この中に入れて売るわけです。

森下:だから「スクープス(SCOOPS)」なんですね。

坂上:丸鋸ルームも見ていいですか。

斉藤:どうぞ。

坂上:ここが今の隣の部屋。開いてみると工具がズラリと。うわあすごいなあ。大工みたい。

森下:専門店のプロ用の機械ですね。ボール盤とベルトサンダーと糸鋸盤、丸鋸盤……。

坂上:きれいに整頓されて。

森下:電動工具もいくつかある。凄い。

坂上:これが最後の部屋。ここはアトリエ。ここに寝泊まりしていいよって言われたのかな。枕元に《サイレント・ミュージック》……。ここで寝泊まりしたら興奮して眠れなかったかもしれん…。いろんなものが並んでいて。床にもチェス。洋服が掛かっていて、机の上も整理されています。ああこれは海の底のマグネットになっているやつだ。初日に見た。

坂上:写真2000枚位撮ったら、もうこれ以上撮れませんって言われた。

斉藤:言われた(笑)。

坂上:もう撮りまくった。満足。カメラに拒否されたから。撮っても撮っても撮りきれない。

(中断)

森下:さっき自然という言葉が出てきた時、フルクサスという言葉は自然と言った方がいいかなと思いました。流れるということでしょう。自然に流れるということで。よくフルクサスって何って聞かれて、ジョージ・マチューナスも書いてますでしょう。
(※斉藤記:ある意味ではそう言えるだろうと思います。そしてより深いところに持っている自己を正直にキャッチし、表現する事だろうと思います。)

森下:陽子さんの目から、あるいは陽子さんを通して(私達が)フルクサスを見ると自然ということかなあと、ふと思って。

斉藤:ただ私が住んでいた所にはジョージ(・マチューナス)が隣に住んでいた。そしていろんな人達と交流が出来た。だから私から望んでフルクサスに入ろうと思ったわけでもなくて偶然ですよね。でも、ある意味では幸運だったと思います。フルクサスの人達もみんな違いますからね。でも出会えたのは幸運だったと思います。
(※斉藤記:フルクサスという言葉自体はとてもいい言葉です。そしてその言葉、又、初期のフルクサスの芸術家たちの集まりにある側面を見て近づいて来た人々、そしてそれ等の人々がジョージ・マチュウナスのエゴイスティックな性格に接して退って行った。でもそれ等の全ての人々を含めて、それ等の人々はある色々な今までの伝統的な芸術の中にはない何かを持っていたと思います〔ジョージ・マチュウナスも含めて〕。そしてこれはとても大事な事だと思います。そしてそれ等の人々を知った事は本当によかったと思います。残念ながら、ジョージ・マチュウナスは人を本当の意味で包容し得る指導者としての資質を持っていなかった。)

(中断)

斉藤:昔はデュッセルドルフの街中まで82才の初め頃までは自転車で行ってました。目が段々悪くなってからそういう事はしなくなりましたけどね。今はもう「レアル」位で。あとメアーブッシュのかかりつけのお医者さんに行く位で。それは自転車で行きます(笑)。バスもあるんですけどね。

森下:でも30分に1本くらいでしたねえ。

斉藤:しかも地図を見ると乗り換えなきゃならないんですね。それが億劫なんです。自転車で行った方が早い。そういうものに乗ったことがない。何かにも書いたけれども90才か95才のベトナムのおじさんがね、いまだに自転車タクシーの運転手をやっていると。いわゆる観光局の記事を見ました。汽車の中で、偶然誰かが置いていた新聞でそれを見たら、写真入りでね。

森下:じゃあ陽子さんは95才になってもアーティストを続けていると。

斉藤:自転車で(笑)。それからもうひとつは木喰(明満、1718-1810)みたいにね、あれも94才位まで生きたでしょう。そしていわゆる乞食僧みたいな感じで、歩いて次から次へと移って行って、道端でばたりと亡くなっちゃうわけですからねえ。そういうふうにいくといいです(笑)。

坂上:この建物はどれ位古いんですか。80年代で既に古くて誰も使っていなかったということだから。

斉藤:第二次大戦中も工場が動いている時はここに工員さんが住んでいたんです。だから相当古いです。

森下:市がアーティストの為にって。それと陽子さんのところはガスも便宜を図ってもらって。芸術家に対してあたたかいですよねえ。デュッセルドルフ芸術アカデミーもあるし。

斉藤:デュッセルドルフはいろんな国の人達との交流機関があって、アーティスト達を支え、1ヶ月か2ヶ月位かな、外国からアーティストを呼び、こちらからも送るというのをしょっちゅうやってますから。そしてその人達の為の展覧会をやり。だからよくやっていると思います。昨日見せた(陽子さんの家のある建物の別フロアーに住んでいる)女性、彼女は1回、日本の大阪に何かのスカラシップで行ったことがあるんですよ。スーザ・ヴィーガント(Susa Wiegand)。上の階の奥でオブジェとかつかった作品を。もう大分前の話ですけどねえ。彼女の両親と私は友人関係で、二人とも芸術家だったんですよね。世界的ではないですけれども、この辺では非常に有名な作家でした。二人ともよくやってました。

坂上:陽子さんが日本に帰るというのはしばらくはなさそうですね。

斉藤:そうねえ。なさそう。……遺書を何回も書き換えているんですけどね。私のものを日本の人々には譲らない。私の周りの人、デュッセルドルフとか、ドイツ人の人、ミュージアムとかそういう人達に残して行くつもりです。

坂上:私はこの部屋も。この部屋自身がすごい。そのまま残しておいてもらえたら。
(※斉藤記:今そういう話が出ています。そうなるかも知れません。一昨日2人の東ドイツで教えている教授が来られましたが、その人達にも話しました。そうなるかも知れません。)

斉藤:「ここを一週間に1回位は開けるような展示場にしたら」と言う人もいますけれど。それが出来るのか、市との関係で。上に住んでる人はもっと部屋が欲しいんですよね。そういう芸術家もいますからね。出来るのかどうかそれはちょっとわからないですよね。

坂上:集えてお茶も飲めて話も出来る空間になったらうれしいですね。

斉藤:そして展示をしてねえ。

坂上:ショップ!(笑)

斉藤:最終的なことは今考えているんです。私は作品が多いでしょう。あの中にも埋まってますからねえ。この押入の中にも。それをどういうふうにして分けるか。私は遺書に私のものを受取る人の名前をいっぱい書いて。ただひとりの人間だけじゃなくて、団体ね、ミュージアムとかなんかも書いて。そして誰かに作品を持ってもらわなきゃならないので、誰かが作品を分けて、みんなが集まってゲーム。さいころで決めようと(笑)。本なら本の一部、作品なら今日はこの作品。欲しい人はゲームに参加する(笑)。そういった場合に。日本のミュージアムの人達も入れてもいいですか。どうでしょうか。

坂上:私は個人的には日本の美術館に入って欲しい。

斉藤:誰かがここに来なきゃいけないわけですよね。

坂上:私が代理で来る!(笑)

森下:ゲームに強い人。サイコロを振って強い人。

斉藤:運の強い人。

坂上:サイコロを振って、いい目を出す力のある人。日本代表としてサイコロを振る訳ですね。

斉藤:もうそろそろ(空港行きのタクシーを)呼びますか。電話しましょう。もしもということがあるから。