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2009年11月14日(土)
シンポジウム 「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」

司会:粟田大輔
発表者:加治屋健司、池上裕子、尾崎信一郎
コメンテーター:前田恭二、北原恵、建畠晢

会場運営:宮田有香
書き起こし:中嶋泉

プログラム

開会挨拶 池上裕子 (大阪大学グローバルCOE特任助教)
「オーラル・アート・ヒストリーとは何か−美術史におけるオーラル・ヒストリーの意義と課題」加治屋健司 (広島市立大学准教授)
「オーラル・ヒストリー・アーカイヴの構築と利用の実践について」池上裕子
「言葉がかたちになるとき−具体美術協会会員連続インタビューの事例を中心に」尾武M一郎 (鳥取県立博物館副館長)
質疑応答
コメント1 前田恭二 (読売新聞文化部次長)
コメント2 北原恵 (大阪大学大学院文学研究科教員)
コメント3 建畠晢 (国立国際美術館館長)
全体討議
閉会挨拶 加治屋健司

池上裕子:
時間になりましたので、シンポジウムを開会いたします。今日はたくさんの皆さんにお越しいただき、ありがとうございます。私は大阪大学の池上裕子と申します。日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの副代表をしています。よろしくお願いします。
 まず、オーラル・ヒストリーについてごく簡単に説明したいと思います。お手元のプログラムにもありますように、オーラル・ヒストリーとは、語り手が記憶に基づいて語る歴史のことで、広い意味ではそれを史料として保存し、研究することも指しています。例えば、社会史の分野では、オーラル・ヒストリーは一般の人々の戦争体験やマイノリティ研究など、歴史の表舞台に登場しない人々の声を集めるのに有効な手法だとされています。また政治史においても、政策決定に関わった人物に聞き取りをする際に、この手法がよく用いられています。
 では、戦後の日本美術について理解を深めるうえで、オーラル・ヒストリーはどのような役割を果たすことができるでしょうか。ここで、私たちのアーカイヴの成り立ちについてもお話ししたいと思います。このプロジェクトは、代表の加治屋健司さんと私が中心になって2006年に立ち上げたものです。加治屋さんと私は、同じ時期にアメリカの大学院に留学し、戦後のアメリカ美術や美術批評を研究していたことから、アメリカ美術アーカイヴのオーラル・ヒストリーを頻繁に利用していました。
 この組織は1958年に美術家への聞き取りを始め、今では3000を超えるそのインタヴュー集は、世界中のアメリカ美術研究者にとって欠かすことのできない史料となっています。それに対して、日本の戦後美術に関しては、今まで系統的にオーラル・ヒストリーが行われたことはありませんでした。そこで、美術関係者に聞き取りを行って、書き起こしを公開する意味は大きいと考え、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴを発足させた次第です。
 しかしながら、この試み自体が日本ではまだ新しいものであるため、まずは美術におけるオーラル・ヒストリー、つまり「オーラル・アート・ヒストリー」の意義について、公の場で討議し、その内容を多くの方々と共有したいという思いから、本日のシンポジウムを企画しました。とはいえ、私たちは従来の美術研究とは独立した、まったく新しい分野として「オーラル・アート・ヒストリー」を提唱しているわけではありません。これまでにも学芸員や美術批評家など、様々な人々によって聞き取りは行われてきました。また、文字資料を度外視した、オーラル・ヒストリーだけによる研究というのもあり得ません。それでも敢えて本シンポジウムのタイトルを「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」とした理由は、美術における聞き取りには特有の問題が多くあるように思うからです。
 例えば、オーラル・ヒストリーは一般の人々の声を集めるのに有効であるとされていますが、美術家として活躍する人々は必ずしも「一般人」とはいえません。また、記憶は事実とは違うこともあり、場合によっては特定の作家の評価や、作品の市場価値にまで影響する場合もありますので、語り手の声をどこまで歴史的事実として採用するのかという問題があります。また、実践面においても多くの課題があります。まず、ご高齢の方々から聞き取りを進めようと思うと、世代的な問題もあって、どうしても男性の有名作家を多く取り上げがちになります。伝統的に男性中心的であった日本の美術界において、どのように女性作家の声を聞き取っていくのか、また美術家の遺族や編集者など、通常は聞き取りの対象にならない方々の話をどのように集めていくか、そうしたことは大きな課題です。
 さらに、書き起こしの際には話し言葉と書き言葉のずれ、どこまで編集を加え、削除や書き換えを容認するかなど、ケースごとに様々な問題が生じます。そして書き起こしの公開以後は、それを資料としてどう使うかが、利用者一人一人の問題になります。今日のシンポジウムでは、こうした様々な問題について、アーカイヴのメンバーと、これまで多くの聞き取りを行ってきた研究者、学芸員、ジャーナリストが討議します。しかしながら、オーラル・ヒストリーはあくまで実践ありきのものですから、パネリストがアカデミックな議論をするだけではなく、できるだけ質疑の時間を多く取って、皆さんとの対話になるような形で進めて行ければと思っています。最後に、本日の司会進行は、アーカイヴのメンバーでもある東京芸術大学の粟田大輔さんにお願いしています。粟田さん、よろしくお願いします。

粟田大輔:
粟田です。本日はお忙しい中ご来場いただいてありがとうございます。お手元にプログラムがあるかと思いますが、まず三名の方に20分ほどご発表していただき、今池上さんからもありましたように、会場の皆様との対話も考えておりますので、一度質疑応答の時間をとりたいと思います。終わりましたら休憩をはさみまして、三名のコメンテーターの方にコメントをいただき、全体討議へと入ります。その後、再度皆様からの質問を受け付けますので、できるだけ積極的に議論に参加していただければと思います。アンケートもございますので、こちらも書いていただければ幸いです。
 それでは、時間もあまりありませんので、早速加治屋さんのご発表に移りたいと思います。
「オーラル・アート・ヒストリーとは何か――美術史におけるオーラル・ヒストリーの意義と課題」、広島市立大学の准教授、加治屋健司さんです。それではよろしくお願いします。

加治屋健司:
私の発表は、「オーラル・アート・ヒストリーとは何か−美術史におけるオーラル・ヒストリーの意義と課題」と題して、美術史におけるオーラル・ヒストリーについてお話ししたいと思います。まず、オーラル・ヒストリー自体に馴染みがない方もいらっしゃるかと思いますので、最初にオーラル・ヒストリーについて説明し、オーラル・ヒストリーが活用されてきた歴史学や社会学、文化人類学の状況を見た後、日本におけるオーラル・ヒストリーの歴史を概観します。次に、美術史においてオーラル・ヒストリーは、どんな担い手がどのように行ってきたのか、そして、いかなる特徴、意義、課題があるのかを考察したいと思います。
オーラル・ヒストリーとは、直訳すれば「口述の歴史」になります。イギリスでオーラル・ヒストリーを学んだ酒井順子は、オーラル・ヒストリーを次のように定義しています。「テクノロジーの進歩によって発達した録音機器を用いて、人々にその経験を聞き、録音して、書き起こした史料を基に歴史を描いていく手法」という定義です。そして、より広い意味では、「必ずしも録音にこだわらないで、広く人々の語りの意味を歴史的・社会的に、さらには時には心理学的に考察していくこと、特に集団的な記憶に焦点をあてて、記憶の政治性等について考察していく手法」と述べています。
 一般的にはこのように言えますが、オーラル・ヒストリーは、歴史学、社会学、文化人類学等、学問分野によって異なる役割を担ってきました。歴史学の中では、さらに政治史と社会史で異なっています。政治史において、1990年代後半以降、オーラル・ヒストリーが注目を集めるきっかけを作った御厨貴は、オーラル・ヒストリーを「公人の、専門家による、万人のための口述記録」と定義しています。この定義が、民主主義に関するリンカーンの有名な言葉「人民の、人民による、人民のための政治」に着想を得た表現であることが示しているように、御厨自身は、オーラル・ヒストリーの進展が情報公開と政策決定プロセスの透明化を促し、民主主義の発展に貢献すると考えています。ただし、対象を「公人」に限定する政治史のオーラル・ヒストリーは、文字資料に掬い上げられることのない人々への聞き取りを行ってきた社会史のオーラル・ヒストリーとは異なっていると言えます。ここではその違いについて詳しく触れませんが、政治史も社会史も、オーラル・ヒストリーを豊かな可能性を持った史料と方法と捉えている点では共通していることを指摘したいと思います。
 歴史学において、歴史資料としてのオーラル・ヒストリーはどのような価値を持っているのでしょうか。スミソニアン協会アーカイヴ等のアーキヴィストを務めたウィリアム・モスは、オーラル・ヒストリーに関する古典的な論考のなかで、歴史資料としてのオーラル・ヒストリーは3つに分類されると述べています。過去の出来事を思い起こして得られた「回想(recollections)」、現在の視点から過去の出来事について考えたり感じたりして得られた「内省(reflections)」、他者が理解できるように考察を加えた「分析(analysis)」の3つです。モス自身も述べているように、一つのオーラル・ヒストリーの中で、これら3つが不可分な形で混じり合うこともありますし、聞き取りの対象や時期によって一つのカテゴリーの中でも大きな違いが生じることもあります。しかし、モスは、オーラル・ヒストリーに適切な分析を加え、文書資料等、他の入手可能な資料を徹底的に参照し理解して初めて、オーラル・ヒストリーが信頼するに足る記録になると述べています。先ほど述べたように、オーラル・ヒストリーは、史料もしくは方法として豊かな可能性を持ってはいますが、それだけで十分な歴史叙述を可能にするものではなく、相互補完的な関係を持つ文字資料を参照しながら、オーラル・ヒストリーを活用していく必要があると言えます。
 歴史学以外の分野でもオーラル・ヒストリーは用いられています。社会学では、1920年代以降、シカゴ学派が行った都市社会に関する研究のなかでライフ・ヒストリーが重視され、その中で聞き取りが行われましたが、40年代から、統計調査を主とする量的研究や社会構造における機能を重視した構造機能主義が主流となってから、質的研究であるライフ・ヒストリー研究は周縁に位置するようになりました。しかし、60年代から質的研究に対する関心が再び高まり、70年代後半以降、ライフ・ヒストリー研究が盛んになるにつれて、聞き取りへの注目が再び高まっていきました。また、文化人類学でも、インタヴューは、参与観察とともにフィールドワークを構成し、エスノグラフィーを書くにあたり重要な役割を果たしてきました。文化人類学におけるインタヴューは、多くの場合、異なる文化と言語をもつ相手との間に信頼関係を築きながら行うもので、今日では、インフォーマントから情報を得るための中立的な手段というよりも、相手が能動的に参加する相互行為と理解されています。オーラル・ヒストリーという名称こそ用いられてきませんでしたが、歴史学だけでなく、社会学や文化人類学においても、聞き取り調査には長い歴史があるのです。
これまで見てきたように、オーラル・ヒストリーは、各学問分野でグローバルな関心とその蓄積がありますが、日本にも長い歴史があります。昭和史研究に聞き取り調査を導入したことで知られる伊藤隆が述べているように、明治20年代には、開国前後から明治維新にかけての出来事をまとめて編纂するべく、島津、毛利、山内、徳川の諸家の関係者が「史談会」を組織して聞き取りを行っています。江戸幕府の制度の実情を記録するために歴史学者が江戸幕府の役人を招いて行った『旧事諮問録』が出版されたのもこの頃です。明治30年代(1900年前後)には、勝海舟、福沢諭吉、徳川慶喜などが自らの過去を語り、それを出版するということも行われています。こうしたことが可能になった背景として、明治14年(1881年)、日本語の速記術が発明されたことを伊藤は指摘しています。1920年代には吉野作造らが明治文化研究会で明治期の資料を集めるかたわら談話聴取を行い、30年代には憲政史編纂会が憲政史に関する聞き取りを行います。戦後になると、60年代の木戸日記研究会、内政史研究会などが政治や外交に関係した人物への聞き取りを行うと同時に、社会史においても、50年代には、石母田正が提唱した国民的歴史学運動において、民話や民謡を聴取して村の歴史を編纂したり、工場や労働組合の歴史を編纂するなど、市井の人々の声が記録されました。また、60年代以降、女性史の分野でも、当事者からの聞き取りをもとにした歴史叙述が発表されるようになりました。オーラル・ヒストリーという言葉が日本語で一般的に使われるようになったのは1990年代半ば以降ですが、このように見ていくと、オーラル・ヒストリーという言葉が使われず、また、その目的や方法が時代や分野によって大きく異なるとは言え、日本においても近代以降、様々なオーラル・ヒストリーが行われてきたことが分かります。
ここで、美術史におけるオーラル・ヒストリーに話を移したいと思います。いくつかの国では組織的に行われています。現在はワシントンDCのスミソニアン協会の一部であるアメリカ美術アーカイヴが、1958年からオーラル・ヒストリーの収集を始めています。このアーカイヴについては、後で池上さんから詳しい説明があるかと思います。イギリスでは、90年から、大英図書館サウンド・アーカイヴがテート・アーカイヴと共同で「芸術家の生涯」と題するオーラル・ヒストリーを行っており、近年では、作家だけでなく、キュレーター、ディーラー、批評家も聴取の対象に含めています。また韓国では、組織的に行われたオーラル・ヒストリー・プロジェクトが2つあります。一つは、政府系機関の韓国文化芸術委員会が、その前身の韓国文化芸術振興院であった2003年から行っている「韓国芸術オーラル・ヒストリー」です。美術家だけでなく、詩人や舞踊家など、様々な分野の芸術家を対象にしています。二つめは、サムスングループが支援し、金x孝(キム・チョルヒョ)が中心となって、美術分野に特化して行われたオーラル・ヒストリー・プロジェクトです。残念ながら、数年前にプロジェクトは中止されてしまいましたが、このサムスンの韓国美術アーカイヴは、現在は、湖巌(ホアム)美術館に置かれています。ちなみに、韓国には個人によって行われた大規模なオーラル・ヒストリー・プロジェクトもありますが、今回は省略させていただきます。
これらは、一般公開を前提として組織として行ったプロジェクトですが、美術史分野においては、それらとは別の聞き取りが多数存在しています。まず、個人で行う聞き取り調査があります。美術館の学芸員は存命の作家の展覧会を企画するときは必ず聞き取りを行うでしょうし、現代美術の研究者は、自らの研究のために聞き取りを行っています。これらが出版にいたることもあります。ジャーナリズムの世界でも聞き取りは頻繁に行われています。新聞では聞き取りをもとに記事が書かれますが、今日は前田さんがいらっしゃっているので、そのあたりの話が伺えるのではないかと思います。雑誌の場合も、人物に焦点を当てたインタヴューがしばしば掲載されます。大手の商業雑誌だけでなく、小規模に流通する雑誌、例えば『あいだ』や『機関』なども貴重な聞き取りを行っていることは指摘しておくべきでしょう。このように、美術史の分野においても、膨大な数のオーラル・ヒストリーが存在していると言えます。
 美術史において重要なのは、特に近代以降の著名な作家の場合、長短様々なインタヴューがしばしば残されていることです。ガスケの『セザンヌ』、ブラッサイの『語るピカソ』、マティスの『画家のノート』には作家が語ったとされる言葉が多数収録されています。デュシャンやフランシス・ベーコン、ゲルハルト・リヒターにはインタヴュー集があります。作家の語りを記録したものという意味では、これらもオーラル・ヒストリーに分類することができるかもしれませんが、ガスケの『セザンヌ』などは、脚色があるとして、その信憑性に疑問を投げかける学者がいる一方、額面通りに受け取って論を展開する者もいます。それぞれの作家や書籍ごとに異なる対応が必要になるかと思いますが、いずれにしても、作家のインタヴューは、オーラル・ヒストリーという言葉が流通する前から、それぞれの作家の考えを直接伝える重要な研究資料と考えられてきました。
また、作家の手紙や日記が残っている場合もあります。ゴッホやゴーギャンの手紙、クレーの日記などがよく知られています。これらは書かれたものですので、オーラル・ヒストリーとは異なりますが、インタヴューと同様に、作家の考えを直接伝える重要な研究資料とされてきました。このように考えれば、インタヴュー、手紙、日記と区別して、オーラル・ヒストリーに焦点を当てる必要は必ずしもないのかもしれません。
しかし、共通点があるとは言え、インタヴュー、手紙、日記と、オーラル・ヒストリーとの間には明確な違いがあります。ここではオーラル・ヒストリーの特徴として、3つの点を指摘したいと思います。
まず、情報の質的・量的な充実という点が挙げられます。美術史におけるオーラル・ヒストリーは、基本的に個人に焦点を当てて、その生い立ちから現在の活動まで網羅的に聞いていくものです。なかには、特定の問題に限定して聞くものもありますが、多くの場合、その人の人生の各局面における出来事や考えを聞いていくため、特定の目的のためになされる通常のインタヴューに比べると、非効率的と思えるほど周辺の情報まで尋ねることになります。また、過去の出来事について聞くことが中心にはなりますが、モスが述べたように、それを現在どのように受け止めているかという内省や分析も重要な情報となります。オーラル・ヒストリーでは、聞き手が知らなかった問題だけでなく、本人自身が知らなかった問題、つまり、質問を受けて初めて気づかされて言葉にされる問題が明らかになることがあります。本人の関心の枠内でコントロールしうる手紙や日記に比べて、オーラル・ヒストリーには意外な情報が含まれることがあるのはそのせいだと思います。
二つめは、権力の分散性に関わります。従来のインタヴューや手紙、日記は、活字メディアを通して公開されてきたため、必然的に著名な作家(主に男性)のものが中心になり、それを論じる批評家の言葉とともに、美術の言説を構成してきました。また、出版は経費を要するため、活字メディアは、大都市で多くの人々に知られた対象を扱う傾向があり、地方における美術の動向がしばしば軽視されてきました。美術史におけるオーラル・ヒストリーは、著名な作家や大都市の現象に限られていた言説を広げて、地域を問わず、美術の展開に様々なかたちで関わってきた作家の言葉を聞き、作家や批評家だけでなく、学芸員やディーラー、編集者など、多様な人々の声を集めることができます。もっとも、私たちの日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、オーラル・ヒストリーのこの特徴を十分に活かしきれているとはまだ言えず、今後の課題であると考えています。
3つめの特徴として、発話行為の事実性の問題があります。オーラル・ヒストリーの聞き取りを進めていくと、意識的であれ無意識的であれ、真実ではないことが含まれる場合があります。しかし、オーラル・ヒストリーでは、語りの中で明らかになる、歴史的事実に関する情報だけでなく、語り手の感情も重要であると考えます。嘘や記憶違いは、歴史的事実に関する情報としては誤りですが、語り手にとっての心的な真実であり、そこに語り手や語り手が属する社会集団を理解する手掛かりの一つがあるからです。つまり、語っている内容は常に正しいとは限りませんが、語っているという事実そのものは正しく存在していると言えます。それを発話行為の事実性と呼びたいと思いますが、発話行為が事実であるからこそ、嘘や記憶違いの意味を分析することが可能になります。
こうしたオーラル・ヒストリーの特徴は、オーラル・ヒストリーの意義にもなっています。オーラル・ヒストリーによって、情報が質的・量的に充実し、過去の出来事についてより詳しく知ることができるようになります。著名な作家や大都市での出来事に集中していた美術の言説を拡散させることで、より公正な歴史の記述が可能になります。そして、本人が語ったという事実が、歴史に対する証言になると同時に、発話された時代の認識の枠組みを示すことができるのです。
3つめの特徴として挙げた発話行為の事実性という点は、美術史におけるオーラル・ヒストリーの重要な課題にもなりうると私は考えています。そもそも、美術史は、ヴァザーリ流の美術家の歴史から美術作品の歴史へと展開し、作品自体が主題化されるなかで形式への関心が高まり、広義のフォーマリズムが分析方法として一般化するに至りました。作家の言葉を無批判に受け入れることを止め、作家の表現の中心である作品自体に焦点を当てたフォーマリズムは、作品解釈を作家のバイオグラフィーに還元することに抵抗する手段として機能してきました。もちろんフォーマリズムには様々な問題があり、それらが批判されるのは当然の成り行きでしたが、フォーマリズムの退潮とともに本格的に活用されるようになったオーラル・ヒストリーが、発話行為の事実性を誤解して、作者の語りの真正性を担保してしまうのだとしたら、それは明らかに方法論上の後退だと言えます。批評理論によれば、作者とは、言説を生み出す主体というよりも、むしろ言説が生み出す効果であると主張されますが、その観点から、オーラル・ヒストリーの主体はどのように捉えることが可能でしょうか。オーラル・ヒストリーは、美術史に素朴な実証主義への回帰を促すものなのでしょうか。これらの問いについては後のディスカッションで詳しく検討できればと思いますが、ここでは手がかりになりそうなことを一つ指摘しておきます。オーラル・ヒストリーで実際に話を聞くと、語り手の印象が作品や文章が与えるものと異なっていて、その人に抱いていたイメージが崩れることがしばしばあります。これは、オーラル・ヒストリーという発話行為のパフォーマンスがその都度、オーラル・ヒストリーの主体を構築し、芸術家の主体を攪乱していると考えることができるのではないでしょうか。もしそうだとすれば、オーラル・ヒストリーのパフォーマティヴな効果に注目することが、芸術家を統一的な主体とみなし作品解釈をバイオグラフィーに還元してしまうのを回避する手段の一つになりうるのではないかと思います。
理論的な話はこのくらいにして、最後に、美術史においてオーラル・ヒストリーが重要な役割を果たした事例を紹介して、私の話を終えたいと思います。
2000年代半ばにグループ「幻触」が再評価されたことは、日本の戦後美術研究における最近の成果の一つと言われています。幻触は、1966年に静岡で結成されたグループで、飯田昭二、小池一誠、鈴木慶則、丹羽勝次、前田守一らをメンバーとし、批評家石子順造の影響を受けつつ、グループとしては71年まで活動を続けました。現在では、もの派の先駆的な動向であったことが知られています。しかし、本阿弥清が指摘するように、当時は李禹煥が幻触の作品の写真を自分の論文で参照するなど関係が示されていたものの、その後、幻触ともの派の繋がりは見えなくなっていました。それを大手メディアで初めて論じたのは椹木野衣です。椹木は、2003年8月、当時『美術手帖』で行っていた「戦争と万博」の連載の中で、幻触ともの派の間に「強い接点を感じさせるもの」が見いだせると指摘しました。椹木の議論が大きく依拠しているのは、2001年5月から9月にかけて静岡県清水市の虹の美術館で開かれた展覧会「石子順造とその仲間たち」に際して行われた6つの対談をまとめて、2002年11月に刊行された対談集です。椹木は、この本に再録された李、鈴木、小池らの語りを参照しながら、石子順造と李禹煥の繋がりを論じて「前もの派」としての幻触の重要性を指摘したのです。ここに再録されたのは、展覧会の期間中に行われた対談であって、厳密な意味でのオーラル・ヒストリーではありませんが、作家の語った言葉が伝えるメッセージの豊かさという点では、共通するものがあります。その後、幻触や、幻触の作家が参加した展覧会「トリックス・アンド・ヴィジョン」がもの派の形成において果たした重要な役割は、ここ国立国際美術館で2005年10月から12月にかけて開催された「もの派―再考」展で検証されましたし、2007年9月に刊行された『日本近現代美術史事典』では幻触に関する項目が立てられるに至りました。その重要なきっかけは、『石子順造とその仲間たち』という対談集、つまりオーラル・ヒストリーの刊行にあったと言えるのではないでしょうか。
以上で私の発表を終わります。ありがとうございました。

粟田:
加治屋さんありがとうございました。オーラル・ヒストリーの特徴として情報の充実性、権力の分散性、発話行為の事実性という特徴が挙げられていました。また、日本における聞き取り研究の流れ、海外の聞き取り研究の動向などにも言及されていました。問題点として、インタヴューとオーラル・ヒストリーの共通点や違い、あるいは語っている状態そのものが事実であるとして、そこから何が浮かび上がってくるかということ、集合的な記憶や社会、その時代の風潮というものがその一つではないかと思いますが、その辺りも論点になるかもしれません。
 それでは続きまして、池上裕子さんにご発表願いたいと思います。「オーラル・ヒストリー・アーカイヴの構築と利用の実践について」。それではよろしくお願いします。

池上:
こんにちは。私の発表では、美術研究におけるオーラル・ヒストリー・アーカイヴの意義や、その構築と利用について、実践的な観点から報告したいと思います。
 今日、アメリカ美術を研究する者にとって、アメリカ美術アーカイヴはなくてはならない存在です。5,800を超える収蔵史料はアーティストの書簡やスクラップ・ブック、批評家の生原稿やドキュメント写真などを含んでおり、現在も収集が続いています。このアーカイヴは1954年にデトロイト美術館の館長、エドガー・リチャードソンと、コレクターのローレンス・フライシュマンによってデトロイトで設立されました。1970年にスミソニアン協会に統合され、今も本部はワシントンDCにありますが、アメリカ美術に関する一次資料を収集し、研究に役立てるという目的に変わりはありません。
 アメリカ美術アーカイヴ――Archives of American Artですので、これからAAAと省略させていただきますが――AAAは、1958年にフォード財団の助成を受けてオーラル・ヒストリーを始めました。こちらが去年50周年を記念して出された本(Speaking of Art 1958−2008: Selections from the Archives of American Art Oral History Collection, Archives of American Art, Smithsonian Institution, 2008)です。会場にも回しますので、ご覧下さい。現在、AAAの聞き取りはその多くをホームページで閲覧できます。(スライドでAAAのトップページを見せながら)この左に項目がたっていて、Oral History Interviewsという箇所があります。その部分をクリックすると、語り手の名前がアルファベット順に出てくるので、この中で自分が興味のある人物、例えば画商のレオ・キャステリのインタヴューが読みたければ、Cの欄から彼の名前を選択すると(スライドでOral history interview with Leo Castelli, 1969 Julyを見せて)、彼のインタヴューが読めるといった具合です。
 現在のプラグラムを監修しているライザ・カーウィンさんによると、AAAのオーラル・ヒストリーは現在でも外部助成をもとに、テーマ別にインタヴューをするというやり方が取られているということです。例えば最近では、マーク・ロスコ財団からの助成を受け、ロスコの関係者に集中的に聞き取りをしたということです。また、AAAにはこれから聞き取りを行うべき関係者のリストがあり、外部助成を得た際、それまでのインタヴューの穴を埋めるような形でリストを作ることが意識されているそうです。
 カーウィンさんの話で印象的だったのは、面談の最後に彼女が言った「オーラル・ヒストリーは美術史を変えた」という一言でした。確かに、加治屋さんも指摘されていたように、オーラル・ヒストリーを単なる伝記として無批判に利用することには注意が必要です。ですが、20世紀美術、中でも第二次世界大戦後の美術が、美術批評ではなく美術史という学問の考察対象として認められるようになったのはアメリカにおいても1970年代以降のことです。それ以前から行われていたAAAのオーラル・ヒストリーがなければ、アメリカ美術の研究は今よりもずっと困難なものになっていたでしょう。インタヴュイーの語る確かな情報も、不確かな情報も含めて、オーラル・ヒストリーから浮かび上がる歴史の肌理、手触りのようなものが、歴史の現場に居合わせなかったものが当事者の声を聞き、その背景を理解するための必要不可欠な素材となっていることは間違いありません。
 しかしながら、AAAのオーラル・ヒストリーが、私たちがアメリカで生み出される美術に関して抱く、全ての疑問に答えてくれるわけではありません。というのも、基本的にはそれはアメリカ人の美術家と美術関係者に対して行われる聞き取りだからです。例えば、戦後多くの日本人アーティストがアメリカに渡り、今日でも活躍していますが、AAAではこうした作家達は対象にしていません。そうした聞き取りを行うための助成金がどこからか得られれば話は別ですが、そうした事態は起こりにくいと思われます。
 ここで、私たちが2006年に立ち上げた日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの活動を紹介したいと思います。このアーカイヴは、基本的にはAAAのオーラル・ヒストリーをモデルとしていますが、日本でのメンバーに加えて、アメリカ在住のメンバーが3名おり、私がアメリカ出張する際に共同でインタヴューを行っています。ここでその一例として、写真をベースとしたコンセプチュアルな作品を手がけるアーティスト、杉浦邦恵さんに去年行ったインタヴューを聞いていただきます。ちょうどインタヴュー時に杉浦さんの展覧会が開催されていまして、その図録(Kunie´ Sugiura: Time Emit, Visual Arts Center of New Jersey, 2008)も会場に回しますのでご覧ください。インタヴュアーはNY在住の美術史家、富井玲子さんです。杉浦さんは1963年にお茶の水女子大を休学して、シカゴのアート・インスティテュートに留学されたのですが、その経験について語っている箇所をお聞きいただきます。

(音声を流す。約2分半)
(流された部分:「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 杉浦邦恵インタヴュー1 2008年9月15日」からの抜粋)

杉浦:入ってみたら、すごい楽しくて、周りの人もすごい助けてくれて。すぐに奨学金もとれて。日本と違って奨学金が、返さなくていいんですよ、くれっぱなし。で、4年ぐらいになると材料費とか全部出るんですよ。だから写真の初期のもね、モデルとか、男の人と女の人いるんですけど。あれも学生なんですけど。ああいうのも学校が全部払ってくれるんです。
富井:ああ、そうですか。次の質問が「留学費用はどうやってまかなったんですか」ていう質問だったんだけども。だって、一応私学、プライヴェート・スクールですよね。
杉浦:でもその頃、アーツ・スクールは、今でも安いんじゃないかと思うんですけど、3000ドルぐらい、安かったんですよ。だからその頃、NYUとかは1万ドルだったかもしれないです。でも40年前だからわからないけど。でも、アメリカってすごいいいシステムで、卒業生でみんなお金がある人が学校に寄付したりするでしょう。フォーリン・ステューデント(外国人学生)用の奨学金がもうあったんです。行くまでわかんなかったんだけど。その頃は360円が1ドルだったんですよ。で、あんまり送ってこれなくて。だから、ブラック・マーケットの現金を送ってくれたんですけど。でも行ったらすぐに学校が紹介してくれて、アルバイトもできたし。
富井:そうですか。アルバイトは何をなさったんですか。
杉浦:アルバイトもすごい運がよくてね。ダウンタウンにネクタイ屋があったんですよ。そのネクタイ屋さんが、いろんなネクタイが余っちゃうと、それをちょっと色変えたりして、また売るわけですよ(笑)。それを私みて、ちょこちょこ描いたりね。それからスカーフに「ハンド・ペイント」っていうんで、描かされたんですよ。私は、ポロックなんかそういうのに夢中なときだから、しゅっしゅって描くわけですよね。だから、すごい派手なのも地味なのも。そうすると、それを、マーシャル・フィールドって、サックス・フィフス・アヴェニューみたいなデパートに、そのおじさんが持って行くわけですよ。そうすると、クリスマスとかそういうのの注文が、500とか1000とかくるんですよ。そうすると、私が同じようなハンド・ペイントで、がちゃがちゃ描くわけですよ(笑)。それは自由なときにできて。学校が終わってから1、2時間やってよくて。土曜日やりたかったらやってて。よかったんですよ。その仕事がぽっと来た。
池上:ものすごくいいですね。
杉浦:でも、日本食のレストランのアルバイトもしましたよ。ウェイトレス。気の毒に、私みたいな(笑)。料理も全然できないのに、着物着せられて。何かすき焼きなんかつくったんですよ。
富井:それもやりましたか(笑)。

杉浦:それもやりました。夏休みとかは。

 楽しいお話なのですが、このくらいにして。このインタヴューから分かるのは、アーティストになることを夢見てアメリカに渡った一人の女性が、どのように生計を立て、また時には異国で期待される日本人女性のイメージを演じながら、美術教育を受けたかという、AAAのオーラル・ヒストリーからだけではなかなか見えてこないアメリカ美術の一側面です。彼女はインタヴューの始めに、母親が立川にある米軍基地のPX(Post Exchange)と呼ばれる購買部で働いていたことから、アメリカ人との交流が子どもの頃からあり、アメリカに対するイメージが良かったという話もしています。個人的な歴史の中に第二次世界大戦後の日米関係が影を落としている様子も、戦後の日本美術をより大きい枠組みで考える際には重要な要素となってくるでしょう。
 杉浦さんはもう40年以上アメリカで活動され、大学の美術学科で教えた経験もおありです。そうしたキャリアを歩んでこられた杉浦さんを「日本美術」という枠で理解して良いのか、そもそも私たちが「日本美術」というとき、どこからどこまでを射程に入れているのか、という疑問があるでしょう。私たちのアーカイヴでは、日本美術に深く関わった方であれば、国籍・言語を問わず聞き取りを行っていく予定ですが、こうした枠を設定する以上、常に何かを捨象しながらアーカイヴを構築している、という限定性には自覚的でありたいと思います。しかしながら現実問題として、アメリカと日本の間を往還しながら制作を続ける日本人アーティストがAAAでは聞き取りの対象にならない以上、私たちがこうした作家のインタヴューを取っておくことは、後々の戦後美術研究に大きな意味を持つと考えます。
 それでは、実際の研究の現場において、オーラル・ヒストリーはどのように使われているのでしょうか。その実践についてお話しするために、具体美術協会で活躍された白髪一雄さんに2007年に行ったインタヴュー映像をご覧いただきます。これは私たちが行った最初のインタヴューで、芦屋市立美術博物館の加藤瑞穂さんがメインのインタヴュアーをされています。映像をお見せする前に少し説明しますと、白髪さんは1971年に比叡山延暦寺で得度して、「素道」という法名で様々な修行をされます。今からお見せする箇所では「広学堅義」という、それにパスして初めて天台宗の僧侶として認められるという、一番重要な修行について話しています。去年お亡くなりになった白髪さんの最後のインタヴューで、非常に貴重な映像です。

(映像を流す。約3分)
(流された部分:「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 白髪一雄インタヴュー2 2007年9月6日」からの抜粋)

白髪:...それでこっぽり(注:高下駄の一種)みたいなの履いてるんですよね。こうぶら下がって裸足になって、それでかまちの上に立って。そしたら中から音がしてばっと開くんです。その時にばーっと飛び込むわけやね。そしたら提灯持ってたおっさんが、こっぽりみたいなもんをどーんと投げ込むんですよ。それですぐにばたーんと閉まるんですわ。真っ暗でね。目が暗がりに慣れてないから、どこにそのこっぽりがあるのか分からへんねんね。それ履かんことには歩かれへんからね。そしたら小僧さんが2人ほど手燭で照らしてくれて、「あー、あったあった」てなもんで。それでそれ履いて、その前に「素道ー!」って言うわけですわ。そしたら3人ほどえらいお坊さんが迎えに来てくれてね、それと一緒にずーっとこっぽりを引きずりもって歩いて、本尊の前に行って。そこで本尊を拝んで、前を見たら表題が出てるんですわ。それが今日の僕が答えないかん問題の題なんですわ。初めから決められて練習は事前にさせられてるわけです。でも一応表題を見て「あ、これか」というわけで。それでずーっと回っていって、高い2メートルくらいのところにある八講壇(はちこうだん)というところで表白(ひょうびゃく)を出して読み上げるわけです。これが暗くて見えない(笑)。まあ見えんでも覚えてますからね、それこそ練習に練習してるからね、皆。節がついててね、ちょっと間違ったらもうそこで言えんようになるんですわ。高さがね。「そ〜れ〜」と始めても、その次の節がぱっと高くでたりしたら「れ〜」(高く音を外して)となったりして(笑)。でもそれが多いねん。「それおもんびればほっけらいえの〜」と始めても、ばっと「こうがくりゅうぎの〜」と声が高くなってしもたら続かへんのですよ。それが多くて、見学に行って見てても、「あ、高くなるんちゃうかな」と思ったら「こうがく〜りゅうぎの〜」(声を高くして)とやっぱりなる(笑)。「こうがく〜りゅうぎの〜たいぎょう〜は〜」(低音で)て言わなあかんのに。それが「こうがく〜りゅうぎの〜」(声を高くして)となると、ついていかれへん(笑)。急に落とすわけにいかへんしね。…

(スライドで該当部分の書き起こし画面を見せながら)今お聞きいただいた部分の書き起こしがこの画面になります。聞き取りが書き起こしを経て公開され、実際に研究者に利用されるまでには、幾つもの段階と手続きがあります。まず、今お見せしたものを実際のインタヴューに一番近い、第1段階とします。そこから書き起こしの際は音声から起こしますので、その音声が第2段階。そして書き起こされて文章になったものが第3段階。書き起こしには注をつけたり、校正をしたりといった様々な段階が別にありますが、ここでは一つのフェーズとして理解します。書き起こしの校正が済んだらホームページ上にアップし、利用者が閲覧可能な状態となります。つまり、現在ご覧いただいているテクストが第4段階です。
 利用者が白髪さんについて知りたいとき、オーラル・ヒストリー以外にももちろん情報源はあります。今の映像で話題になっていた仏門との関わりについては、インタヴューの前月に出版された仏教関係の雑誌に、白髪さんご本人が寄稿されていました。また、これはコメンテーターの前田さんのご指摘で知ったのですが、2001年の読売新聞の記事でも、得度の経験について語られています。つまり、少なくとも三種類の媒体で白髪さんの仏教体験が表されており、「白髪一雄」という語る主体は3つに分裂しているとも言えるのです。利用者はこの3つのうち、どれを参照すればいいのでしょうか。
 利用者が研究者である場合はもちろん、その全てを参照しなければいけません。白髪さんの文章では、暗闇に飛び込む際につかまった縄を、フット・ペインティングを制作する際に使うロープになぞらえるなど、本人でなければ出せないような視点が確認できますし、2001年の記事も、当時回顧展が開催されていた白髪さんの発言として貴重な資料です。しかしここで注目したいのは、加治屋さんも指摘されていたオーラル・ヒストリーのパフォーマティヴな側面です。白髪さんの文章は非常に知的で抑制がきいており、新聞記事もその性質上、長い話をコンパクトにまとめて、白髪さんの関西弁も多少標準語に近づけて表記しています。
 それに対して、オーラル・ヒストリーの書き起こしでは、実際に表百を節をつけて読み上げたり、失敗例を笑いながら披露したりする白髪さんの姿が再現されており、彼が荘厳な修行体験を意外とユーモラスな視点で見ている様子が明らかになっています。このように、それ以前に構築された語り手の主体をつねに揺らがせ、再構築し、複数のナラティヴの可能性を提示していく点に、オーラル・ヒストリーの語りの特徴があるのではないでしょうか。
 白髪さんのケースが特殊なのは、このインタヴューが日本で利用されるよりも前に、ニューヨークのマッキャフリー・ファイン・アート(McCaffrey Fine Art)という画廊から英訳掲載の依頼が来たことです。この画廊では現在、アメリカ初の白髪一雄個展を開催中ですが、図録に白髪さんが仏道について語っている箇所の英訳が掲載されました。図録(Kazuo Shiraga: Six Decades, McCaffrey Fine Art, 2009)をまわしますので、皆さんご覧下さい。英訳はニューヨークのメンバー、富井玲子さんが担当し、仏教用語などの訳注を新たに英語で補っています。この英訳は後で私たちのホームページにも転載する予定ですが、これをオーラル・ヒストリーの第5段階と捉えることができます。
 さて、次の段階は、研究者が実際にこれをどう利用していくかということです。この図録には富井さんが研究者としても論文を発表しています。この論文では、1973年に批評家の針生一郎さんが白髪さんに行ったインタヴューや、次にお話しされる尾崎信一郎さんが1985年に行ったインタヴュー、さらに白髪さん本人が書いたテクストと相互に関連づけながら、2007年のインタヴューが参照されています。インタヴュアーによって質問は違いますし、時が経てば考えが変わることもあるので、同じ質問に違う答えがなされることもあります。そうしたことから、複数のインタヴューを参照し、それを文字資料と照らし合わせながら自らのテクストに反映させていく、間テクスト性、あるいは相互参照性とでも呼ぶべきものが、研究者によるオーラル・ヒストリー利用の本質をなすものではないでしょうか。こうして発表される論文やエッセイなどが、オーラル・ヒストリーの第6段階といえるでしょう。
 さてそれでは、こうしたオーラル・ヒストリーを利用して書かれた論文は、これからの美術研究にどのようなインパクトを与えていくのでしょうか。白髪さんの場合について言うと、インタヴューが英訳され、富井さんの論文も英語で出版されているということが大きな意味を持ちます。というのは、白髪研究は日本では少しずつ進んできているものの、海外、特にアメリカでは具体美術協会の作家というイメージが強く、またアメリカの抽象表現主義の作家、とりわけジャクソン・ポロックとの比較で理解されてきたからです。
 奇しくもAAAがオーラル・ヒストリーを始めた1958年、具体美術協会はニューヨークのマーサ・ジャクソン画廊(Martha Jackson Gallery)でアメリカでは初めての具体展を行いました。しかしながら、抽象表現主義が美術界を席巻していたニューヨークでは具体絵画はその亜流と見なされ、批評的にも商業的にも成功しませんでした。今回のマッキャフリー画廊での白髪展は、実に50年を経て初めて白髪さんの作品、とりわけ具体が解散して以降の後期の作品が再評価される契機となるのです。
 そこではやはり、仏門との関わりが後期の白髪作品を理解するのに重要な鍵となります。
2007年のインタヴューで、白髪さんは修行をした後は不動真言と般若心経を唱えてから制作に入るようになったと話しています。「やはりそれは必要なことなんでしょうか」という加藤さんの質問に対して、「それを済ませたらなんか安心して、『不動さんにお任せした』っていう感じになるんですね。だから全くの他力本願というのはこのことかなと思うんですけどね」と答えています。
 これは前期と後期の白髪作品におけるオートマティズムの違いを考える上でも、アメリカの抽象表現主義との差異を考える上でも決定的に重要な要素です。富井さんの論文でもこの箇所が引用され、絵を「描かせてもらっている」と白髪さんが考えていたことが重視されています。英語圏で初の白髪モノグラフとなるこの図録に、こうした発言が引用され、解釈されているという事実は、これからの白髪研究にとって欠かせないレファランスになることでしょう。オーラル・ヒストリーが「美術史を変える」試みは、戦後日本美術研究においてもすでに始まっているのです。
 以上です。ありがとうございました。

粟田:池上さんありがとうございました。私たちが行っている日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、先ほど池上さんのスライドにもありましたように、インターネット上で閲覧することができます。チラシの裏にアドレスが載っておりますので、お時間があるときにアクセスしていただければと思います。池上さんのお話は、話し言葉と書き言葉の違いであるとか、オーラル・ヒストリーが相互補完的に参照されるべきであること、あるいは「分裂した主体」という言葉も出てきましたけれど、作家の主体性をどのようにとらえるのかという問題に繋がってくるかと思います。もう一つは公開の方法ですね。それは同時にアーカイヴの保管の問題にも関わってきますが、その辺りも後に議論できればと思います。
 続きましては、鳥取県立博物館副館長の尾崎信一郎さんにご発表いただきます。「言葉がかたちになるとき――具体美術協会会員連続インタヴューの事例を中心に」。尾崎さんお願いいたします。

尾崎信一郎:
みなさんこんにちは。今日はわざわざお越しいただきありがとうございます。鳥取県立博物館の尾崎と申します。今日はこのような席にお招きいただき、ありがとうございます。今回のシンポジウムはオーラル・アート・ヒストリーというあまり耳慣れない言葉をテーマとしております。オーラル・アート・ヒストリー、文字資料ではなく、話し言葉によって美術史を記述する事例は比較的最近私たちも目にするようになりました。仕事柄、外国語の文献を読むことが多いのですが、これまで論文の註としては雑誌や文献などが典拠として用いられ、なんらかの書き言葉、書字と対応していました。しかし私の記憶では15年ほど前からでしょうか、主に英文で発表された論文、いわゆるディサテーション、学位論文の中に例えば「誰々との電話での対話、何月何日」といった註が登場し、おやっと思った記憶があります。話し言葉とは直接的でありますが、第三者によって検証することが困難な証言であるからです。
この発表の中で私はオーラル・アート・ヒストリーにおいて語られる内容ではなく、その形式について論じます。私の問いは非常にシンプルです。口述された証言はいかにして美術史の資料となるか。最初に結論を述べるならば、それはタイトルに示したとおり言葉がかたちをとり、言説としての同一性を保証されることによってであります。したがってこの問題は現代美術に特有の課題、つまり作品は何をもって同一とみなされるかという問いとも深く関わっております。具体的な事例についてお話しましょう。これまでもお話に出てきましたが、この問題を検討するにあたって、私が研究してきた具体美術協会、これ以後は単に具体と呼びますが、このグループの事例から出発することは適切に思われます。なぜなら具体の活動それ自体が、オーラル・ヒストリーの本質と深く関わる問題を提起しているからです。
 1985年、今から20年程前になりますが、大学院の修士課程に在学していた私は木村重信先生の紹介で山村徳太郎さんという西宮の具体の大コレクターのもとでアルバイトをすることになりました。山村さんは具体のコレクションの柱として四つを掲げました。一つはいうまでもなく作品の収集、二番目に失われたオブジェの再制作、そして資料の体系的な整理、最後に有名なアクションを作家自らが絵画化する試みです。今日でこそ具体は、日本のみならず世界の戦後美術の出発点としての評価が定まっていますが、これは山村さんがトリノから買い戻した作品を中核として85年に国立国際美術館と兵庫県立近代美術館で開かれた二つの展覧会、そして翌年、パリのポンピドゥーセンターで開かれた「前衛の日本」展における紹介などを契機としており、この当時、まだ具体はさほど認知されていませんでした。山村さんは海外に流出していた作品を買い戻し、失われたオブジェの再制作を依頼し、コレクションの中核として集中的な収集を行うとともに、このグループが残した膨大な資料の整理にも着手しました。それらは当時、大阪府立現代美術センターに収蔵されており、私は週に一度、そこに通って資料を整理しました。そこに残されていた写真についてもネガをプリントし、場合によってはアルバムを接写して体系的な整理を始めました。私たちはこれらの成果を1985年4月20日にこの美術館の前身、千里にあった国立国際美術館で開かれた非公開展示で紹介しました。そしてこの直後から私たちは資料収集作業の延長として具体の作家に対する連続インタヴューを始めました。山村さんと私は整理した資料とインタヴューを最終的には一冊の資料集として公刊することを考えていました。
 私たちは85年6月15日、嶋本昭三さんのインタヴューを皮切りに三ヶ月の間に6回のインタヴューを繰り返しました。山村さんは非公開展示の前後から体調を崩され、入退院を繰り返しておられ、これらの連続インタヴューは病を押して続けられることになります。実はこれ以外にも鷲見康夫さんのインタヴューを行いましたが、この際は山村さんの体調が悪かったため、私が一人で行いました。インタヴューは一時間から二時間くらい、あらかじめ質問のリストを用意して、それに基づいて主として私が質問し、時折、山村さんが加わって進められました。質問ごとの逐条的な内容ではなく、ひとまとまりのやりとりの中に質疑応答を収めるように留意しました。インタヴューはカセットテープに記録し、終了後、私が書き起こしました。ちょうどワープロを使い始めた頃であったことを憶えております。書き起こすにあたってはインタヴューの雰囲気を伝えるためになるべく話し言葉を生かし、大阪弁や口語調が残るようにしております。書き起こしたテクストは山村さんにも見ていただきました。しかし大変残念なことに山村さんは翌年1月に亡くなられ、書き起こしは未発表のまま私の手元に残されました。
山村コレクションは山村さんの没後、散逸することなく兵庫県立近代美術館、現在の兵庫県立美術館に収められました。私もいわばコレクションのおまけのような感じで87年8月より兵庫県立近代美術館で学芸員の仕事に就きました。コレクション自体は、今見ていただきますが(スライドで展示風景を見せながら)、1989年3月に兵庫県立近代美術館で開催された「幻の山村コレクション展」でその全貌が公開され、同時に全作品図録も刊行されたため、今日、このコレクションの実体的な輪郭をとらえることはさほど困難ではありません。
 しかし実は山村コレクションの革新性は実体としてとらえることができない部分にあります。そして未発表のインタヴューとはその核心の一つだと考えられます。私はインタヴューを発表する機会をなんとかつくりたいと考えました。兵庫県立近代美術館で具体の展覧会を何度か企画しましたので、その折に紹介することも考えたのですが、当時は具体に関する基礎的な資料さえ――つまり文字資料ですね――十分に整理されておらず、インタヴューを公開する機は熟していなかったと思います。
 その後、1991年に芦屋市立美術博物館が開館し、具体の作品の収集と資料の整理を活動の重要な柱と位置づけて、具体に関する資料集の刊行を目指しました。私もこれに関わらせていただき、文献資料とともに山村さんと行ったインタヴューの収録を提案し、幸い認めていただきました。私は早速作家と山村さんの奥様にこのインタヴュー掲載の許可を求め、合わせて必要があれば修正して返送いただくように、書き起こしを送りました。事実関係の誤りについては前もって私の方で訂正しましたが、お返しいただいた原稿にはほとんど訂正がなかったと記憶しています。先に述べたとおり、既に85年の時点で私たちは具体の資料集の刊行を計画していたわけですが、1993年に芦屋市立美術博物館から刊行された資料集は私たちが想像していたものをさらに徹底的に実現した内容になり、私もようやく肩の荷を下ろした気持ちがいたしました。つまり、インタヴューが行われてから資料集の刊行までに8年という時間がかかった訳です。
 幸いこの資料集に収録していただいたことによってこのインタヴューは具体に関係するテクストの中で何度か引用され、最近では池上さんのお話にあったニューヨークで開かれた白髪先生の個展カタログ中で初めて英語圏に紹介されました。
 しかし、実は口述した内容を書き起こして発表することは私にとってさほどなじみのない作業ではありませんでした。というのも、当時私は具体の作家たちとも交流のあった書家、森田子龍の回顧展を準備していました。この過程で私は森田が編集した名高い雑誌『墨美』に目を通すこととなりました。(スライドを見せながら)これは『墨美』の創刊号ですが、初期の『墨美』では例えば「書と抽象絵画」といった重要なテーマについて、吉原治良も含めた画家と書家が討議を繰り返し、座談会の記録として掲載されています。つまり具体を育んだ1950年代の関西においては、現代美術に関して話し言葉を記録した多くの資料がアヴェイラブル(入手可能)であった訳です。現代美術におけるオーラル・ヒストリーの可能性を考えるにあたって、このような歴史的事実は記憶されてよいと思います。92年の「森田子龍と『墨美』」という展覧会を企画した際に、私はテクストとともに森田さんへのインタヴューを掲載し、このような背景に敬意を表しました。
 具体に戻りましょう。85年という時点で作家にインタヴューがなされたことはいくつかの理由があります。山村コレクションの一環に位置づけられて作業が進められたことが直接の理由ですが、当時は具体に関する資料そのものがほとんどありませんでした。活動を知るためには直接作家に聞くしかなかったという事情もあります。作品の収集や再制作を通じて、山村さんと作家の皆さんが頻繁にお会いになっていたことも大きな理由でしょう。インタヴューの一年後には山村さんは他界され、作家の方々も今日ではほぼ半数が鬼籍に入られたことを考えるならば、このインタヴューは奇跡的なタイミングでなされたといえるかもしれません。しかしこのインタヴューがオーラル・アート・ヒストリーの先駆となりえたのは、単に適切な時期に聞き取りがなされたことによるのではありません。私の考えでは、さらに重要な理由は、それが8年後に具体資料集に収められたことにあります。逆説的に聞こえるかもしれませんが、話し言葉による証言は紙の上に書き留められて初めて意味を持ちます。一つの言表は発話されたことによって意味をもつのではなく、書字として記録されて初めて美術史の中に登記されます。さて、このようなプロセスは具体初期のアクションを強く連想させます。
 例えば白髪が最初の野外展で演じたアクション、《どうぞお入り下さい》は多くの具体のアクション同様にきわめて暴力的で物質的でした。山村さんはこのアクションを受け止めた赤い丸太の再制作を作家に依頼しました。白髪のアクションは記録写真あるいは痕跡が残された物体をともなって初めて美術史に登録されます。両者の関係を作家の話し言葉が書字化されることのアナロジーと考えることはできないでしょうか。言葉や行為はかたちを与えられて初めて一個の資料となるのです。このように考えるならば、山村コレクションにおいて失われたオブジェの再制作と作家インタヴューが同じプロジェクトの一環として構想されたことは極めて必然的に思われます。
 次にもう一つのアクション、村上三郎の《紙破り》に目を向けましょう。これも具体の初期に有名なアクションですが。村上三郎が1955年に東京で行ったアクションについても、山村さんは破られた痕跡としての木枠を作品として残すことができないかとかなり真剣に考えていらっしゃいました。(スライドを見せながら)このようなものですね。これは3年前に私もヴェネツィアで見た「アルテンポ」という展覧会に出品された作品で、ちょっとオーセンティシティ(真作性)は怪しいなと思っています。私自身も2004年、京都国立近代美術館に勤務していた頃に企画した「痕跡」という展覧会でやはり同じような作品を展示したことがあります。このアクションは作家以外によっても代行することが許された珍しい例です。この点は作品の本質が作品の形状や作者ではなく、作品のコンセプトにあることを暗示しています。私はこのアクションに何度か立ち会ったことがありますが、アクション自体は即興的ですが、アクションで破られるスクリーンに関しては紙の質や塗料を吟味して、多くは奥様の手によっていつも数日をかけて準備がなされました。以前、これに関して当時芦屋市立美術博物館に勤務していた山本さんから興味深い話を聞きました。芦屋市立美術博物館では資料の整理収集に並行してアクションで用いられるオブジェやその場で廃棄されるオブジェについても作家から素材や制作の方法を聞き取り、アクションやその場限りのオブジェに関するマニュアルを作成しようと考えているということでした。これが実現したかどうか私は知りませんが、もしオーラル・アート・ヒストリーのプロジェクトがそのような聞き取りまでも射程に入れるならば、アーカイヴの構築にとどまらず、美術の実践に対してさらに積極的に関わることができるように思います。
 その後、私は思いがけないところでこのようなマニュアルに出会いました。(スライドを見せながら)これは先に述べた「痕跡」という展覧会の情景です。壁面に村上さんの作品が見えると思います。私は《紙破り》の前にバリー・ル・ヴァという作家の《シャタード・オン・センター(Shattered on Center)》という作品を配置しました。御覧のとおり、板ガラスを床に重ねながら砕いていった作品です。ガラスは日本で調達し、ガラスを砕くのは作家ではなくガラス職人ですから、《紙破り》同様に作品のコンセプトが重視されています。展示にあたって作家からは使用する器具やガラス板の配置、どういう風に破壊していくかについて細かい指示が来ました。(スライドを見せながら)これがインストラクションです。ガラスの種類やサイズ、このように配置して割るといった指示でした―この場合は書いた言葉による厳密な指示でしたが、同様の指示が口頭でなされた場合、オーラル・アート・ヒストリーという手法は作品の成立そのものに関与することになります。ル・ヴァの場合、使用されるガラスや作者が変わり、異なった場所で制作されたとしても作品が同一とみなされるのは、準拠すべきインストラクションが明確であるからです。私はこの点を同じ展覧会に出品された、例えばソル・ルウィットについても検証できます。さらにドナルド・ジャッドの「明確な物体」という概念を介してミニマル・アートの主題とも関連させたい誘惑に駆られますが、ここでは時間的な余裕がありません。本発表との関係において重要なのはオーラル・アート・ヒストリーにおいて準拠すべきテクストが明確であることの必要性です。この点を私は「言説としての同一性」と呼びます。
 さて、先ほど私は具体のインタヴューがオーラル・アート・ヒストリーの資料となるためには二つの段階が必要であると述べました。このうち二番目の過程がこの問題と関わっています。口述された証言は一度書字に変換されて初めて同一性が保証されます。私の考えではテープに録音された音声はオーラル・アート・ヒストリーの対象とはなりません。それは音声がかたちをもたないからではなく、一つの文言に置き換えられることを保証されていないからです。いうまでもなくここからはトランスクリプターによる解釈の問題、あるいは発話者が原稿に手を入れる過程で修正することの是非といった問題も派生しますが、問題が広がってしまうためここではひとまず措きます。
 この問題と関連して指摘しておきたいのは、インターネット上に公開される場合、資料の同一性は果たして保証されるかという問題です。この研究会も既にインターネット上にアーカイヴを公開していますが、紙の上の文字に比べてインターネット上の文書は改変することが容易で、その異同を確認することは困難です。最初に述べたとおり、電話やメイルでの会話を註として引用する際に必ず日付が書き付けられていたことを思い出しましょう。書字化されていない言葉の同一性は発話された時間によってかろうじて保証されます。しかしインターネット上ではテクストにいわば電子的に上書きすることが可能であり、時間的な限定も解除されてしまいます。そもそもインターネットとはそのような更新を前提としたメディアです。アーカイヴの公開の問題とも関連してこの点は今後検討されてよいと思います。
さて、ここまで私はコンセプチュアル・アートという準拠枠に従ってオーラル・アート・ヒストリーを形式的に分析しました。最後に私はパフォーマンスを参照しながら、オーラル・アート・ヒストリーにおける主体の問題を検討したいと思います。さて先ほど見たルウィットの場合、誰が描くかということは問題になりません。(スライドを見せながら)「痕跡」という展覧会の場合は、アメリカから職人が来て制作しました。誰が作品を制作しようと、インストラクションが守られている限り、作品は同一とみなされます。ところで書き言葉もテクストが同じであれば、誰が書いても意味は同一とみなされてきました。「誰が話そうと構わないではないか」というフーコーの言葉、あるいはロラン・バルトが説く作者の死という言葉は、構造主義者がこのような立場を重視していることを示しています。あるいは異論もあるかと思いますが、通常の学術論文において、例えば、それが男性、女性のいずれによって書かれたかは問題とされないように思います。しかしオーラル・アート・ヒストリーにおいても話者は匿名なのでしょうか。この問題を考えるにあたってきわめて興味深い事例が存在します。
 2005年11月、マリーナ・アブラモヴィッチはグッゲンハイム美術館で《セブン・イージー・ピーシズ(Seven Easy Pieces)》という、七夜にわたるパフォーマンスを行いました。これは過去の有名なパフォーマンスを再演するものです。コンセプチュアル・アートや話し言葉同様にかたちをもたないパフォーマンスの場合も作品の同一性という問題が浮上します。例えばこれは(スライドを見せながら)、ボイスの有名な《死んだうさぎに絵を説明する(How to Explain Pictures to a Dead Hare)》が再演されている様子ですが、かつてヨーゼフ・ボイスによって演じられた有名なパフォーマンスをアブラモヴィッチが演じた場合、両者は同一とみなされるのでしょうか。これはきわめて重要な問題であり、ここで十分に論じることはできませんが、本発表の問題意識と関連して次の点を指摘しておきます。第二夜に演じられた《シード・ベッド(Seedbed)》は最初、1972年にヴィト・アコンチによってソナベンド・ギャラリーで初演されました。アコンチはギャラリー斜めの床を設え、その中に潜んで来場した観客を想像しながらマスターベーションを行いました。(スライドを見せながら)これがアブラモヴィッチによる再現で、彼女もグッゲンハイムの床の中に潜み、性的な妄想を口走りながらマスターベーションを行いました。視覚的に遮断されながら公衆の中で自慰を行う行為自体は同一です。しかし男性、女性のいずれが行うかということによってパフォーマンスの意味は大きく異なります。つまり同一のパフォーマンスであっても演じる主体によって作品の意味が大きく変質するのです。第三夜のヴァリー・イクスポートの《アクション・パンツ――ジェニタル・パニック(Action Pants: Genital Panic)》は最初1969年、ミュンヘンのポルノ映画館で演じられました。マシンガンをもったイクスポートは股間を切り取り、性器を露出させたジーンズを履いて観衆の前に立ち、映像ではなくリアルな性器がここにあると挑発しました。同じ作品をアブラモヴィッチもグッゲンハイムで行うわけです。もし男性が美術館の中で性器を露出したとしたら、直ちに警備員によって拘束されるでしょうから、もちろんここにはジェンダーという問題も働いています。しかしそれ以上にここでは演じられる場所がパフォーマンスの意味に大きく関与しています。同じ女性によって演じられながらも、劇場ではなく美術館で遂行された場合、逆に警備員の存在というものが行為のトラブルなき進行を保証します。アブラモヴィッチはこれらのパフォーマンスを実施するにあたって最初に演じた作家の許諾を得ることともに、作品の新しい解釈を演じるという点を強調しています。われわれにとってパフォーマンスとは主体とあまりにも強く結びついているため、演者の属性を意識しません。しかしこのように例えば性別が違う、状況が違う場で行うことによって、全く新しい解釈が与えられます。通常パフォーマンスはエフェメラルで再現不可能な形式と考えられてきましたが、自らの身体を通してパフォーマンスを再現するというこのアブラモヴィッチの手法は、パフォーマンスに関する新しい解釈を与えるきわめて画期的な事例であると私は考えます。
アブラモヴィッチの例は作品の同一性が保たれたとしても、パフォーマンスの場合、演じる主体が変われば作品の意味自体が変わってしまうことを示しています。言い換えるならば作品の構造の中に演じる主体も組み込まれている訳です。私の考えではオーラル・アート・ヒストリーにおける語る主体はコンセプチュアル・アートにおける匿名の主体とパフォーマンスにおける作品の構造に組み込まれた主体の中間に位置します。アーカイヴへの登録にあたって証言者はなるべく客観的、事実的な証言を試みるでしょう。しかし仮に全く同じ証言がなされたとしても誰が証言したかによって証言の意味は変わってくるわけです。そして実際に発話される場では身体性を伴った言葉も、いったん書字に置き換えられると、そのような生々しさを失ってしまいます。私はオーラル・ヒストリーは文字化されることによって初めて可能になると述べましたが、それによって語りの生々しい現実感が失われてしまいます。この問題をオーラル・アート・ヒストリーは避けてとおることはできません。
以上、主としてオーラル・アート・ヒストリーの形式的な側面に注目して、同一性という問題をキーワードとして私なりの意見を述べさせていただきました。まだ問題の輪郭を粗描したにすぎず、論じ足りない点もたくさん残っております。これからの議論の中で深めることができればと願っております。ありがとうございます。

粟田:
尾崎さんありがとうございました。具体の初期のインタヴューはオーラル・ヒストリーの先駆例として非常に意義あるものだと思います。後半では、口述したものが書字化されることによってある「かたち」を帯びる、それはある意味で美術史において作品が――「登録」という言葉を使っていらっしゃいましたが――形として具現化されること、それが同一性を確保しているのではないか、その問題からオーラル・ヒストリーを、コンセプチュアル・アートとパフォーマンスの中間として位置づけることができるということだったと思います。
 それではここで一度フロアの方から質問を受け付けたいと思います。どなたへの質問でも構いませんので、挙手していただければと思います。簡単な質問でも構いません。

質問者1 (御厨貴):
私は政治史の立場からオーラル・ヒストリーをやっています。今日は非常に意義深く伺いました。簡単なことだけ3点ご質問したいのですが、一つは、オーラル・ヒストリー・アーカイヴの場合に、話し手の方というのは極めて友好的に常に話してくださるのであるかということ。第二には、だいたいどういうことろから導入を始めて、主として聞くことは作品についてなのか、作家人生のようなものなのか、そのところのバランスはどうなのかということと、三つ目として文字化することについてですが、文字化するときにすごく苦労がありませんか、ということなのですが(笑)。つまり簡単にまず、第一義的に録音したことを書き起こすときに、これは忠実にやると何を言っているかわからないという場合があります。その段階でおそらく編集ということをやりながらされると思うんですね。そして今度原文を話者に見せるものなのか、先ほど尾崎さんのお話によるとお見せするということだったと思いますが、お見せしたときに直していく、その応酬というのはあるのかないのかというようなこと。非常に厳密になってしまって、申し訳ないのですが、今の断片にどなたでもお答えいただければと思います。

加治屋:
では、最初の2点に関して私の方からお答えして、3点目に関しては池上さんの方からお答えします。
 まず、話し手は友好的かどうかということですが、私たちのメンバーは、その話し手の方と近い関係にある方と一緒にインタヴューを行うことが多いです。話し手の方はその方を信頼して、インタヴューをお受けいただくという経緯があるので、現在のところは非常に友好的に話をしていただいている場合が多いと思います。
 2点目ですが、作品を制作するにあたっては、その人の人生も大きくかかわってくると思うんですね。従って、当然生い立ちから現在の活動まで聞いていくのですが、作品から逸脱した場合でも特に引き留めることはなく、一通り伺っていくという形にしております。

池上:
3点目の文字化するときの苦労についてですが。これがやはり一番、時間的にも労力的にも苦労をしているポイントです。先ほどお聞きいただいた白髪さんのインタヴューは私が書き起こしも担当しているのですが、日本語の場合は方言というものがありまして、イントネーションだけではなく言葉そのものが変化するということがあります。私も一応関西で育ってはいるのですが、白髪さんの関西弁はそのまま書き起こすと意味が通じなくなる場合も多いので、ある程度編集しながら書き起こしをしていきます。それでもなお単語的に、この特定の関西弁の表現は私も聞いたことがない、というようなものもあります。そういうものは調べて注をつけて公開します。白髪さんの場合は、ご本人にチェックをしていただく前にお亡くなりになりまして、奥様が、インタヴューをしてくださった加藤さんと大変密な関係をお持ちでしたから、加藤さんを信頼して書き起こしは校正も全てお任せ頂いたという形で公開しました。

質問者2(竹中悠美):
美術関係を勉強している者なのですが、今日のオーラル・ヒストリーについてのご発表は、阪大のCOE であるとか、スミソニアンのアーカイヴであるとか、組織化された団体というベースのもとに、よくご存じのお知り合いを通して作家さんとのインタヴューをとるという、下準備というか背景がございますよね。オーラル・ヒストリーをこれから実践していこうと思う若い方が大勢いらっしゃると思うんですね。私の経験でも、院生のときに飛び込みで現代美術の作家さんにインタヴューをお願いしたときは、やはり無名というか一学生ですし、なかなかインタヴューをしても欲しい答えが得られない。そういうことが何度かございました。オーラル・ヒストリーも、通常の歴史とは違った認識の枠組で資料にはなるわけですが、逆にオーラル・ヒストリーを方法論として考える場合、その個人の姿勢というもの、一個人がそれをどのように獲得していったらいいかについて、今の時点での皆さんのお考えを教えていただきたいと思うのですけれども。よろしくお願いいたします。

加治屋:
私の方から簡単にまず返答させていただきます。まず、個人が行う場合、どのような方法論の獲得があるかということだったと思うのですが、私たちも本当に手探りで始めたというところがあるんですね。オーラル・ヒストリーついて他の分野で様々な実践がなされていているので、その方法論を参考にしながら活動しています。オーラル・ヒストリーというのは確かに経験が必要なところはあるのですが、様々な実践例を学びつつ、自らの方法を模索していくことによって、より充実したインタヴューができるようになるのではないかと思います。

池上:
少しだけ補足させていただきます。アーカイヴという観点から考えると、私としては、そもそも個人がオーラル・ヒストリーを個人的な興味に基づいて行えるのだろうかというところに少し疑問を感じています。自分も研究上様々なアーティストや批評家の方々にインタヴューをしますが、これは個人的な研究の関心に基づいてやっているので、オーラル・ヒストリーとは見なしません。そしてそれを書き起こして公開するようなことも考えないんですね。オーラル・ヒストリーをアーカイヴとしてやる以上、個人の方ができないということではもちろんないのですが、ある程度組織的なものとしてやっていくほうが適しているかなと思います。

粟田:
それでは一度休憩を挟みまして、5分後に再開したいと思います。

(休憩)

粟田:
ではそろそろ再開したいと思いますので、お集まりください。
 それでは、ここで三名の方にそれぞれコメントをいただきたいと思います。読売新聞文化部次長前田恭二さん、大阪大学大学院文学研究科教員の北原恵さん、そしてこちらの美術館の館長でいらっしゃる国立国際美術館館長の建畠晢さんにコメントをいただきます。それでは前田さん、よろしくお願いします。

前田恭二:
今日は大変興味深いシンポジウムにお招きいただきましてありがとうございました。読売新聞の文化部で美術を担当してきた前田と申します。今日は研究者のみなさんが中心で、一人だけ毛の色が違うのがいるな、という感じだと思うのですが、なんでここに招かれたのかと考えると、新聞記者としてインタヴューをそれなりの数こなしてきたということもありまして、その経験をオーラル・ヒストリーを考えていく上での、一つの参考、補足的材料として供せよということだと思います。
僕たちジャーナリズムのインタヴューというのは、一つは取材手法で、一つは記事の形式ということになります。誰かに会って話を聞くという意味ではオーラル・ヒストリーと違わない面はあるかと思うのですが、記事の形式としてのインタヴューという意味では、スペースの問題等からかなりの編集作業を加えているということがあり、そもそもの話として目的が違うわけです。僕たちはジャーナリズム、あるいは現代的な新聞というメディアの中で考えて行っているわけですし、オーラル・ヒストリーの場合は、歴史学という領域、枠組みの中で行われている、という違いがあるわけです。そのような違いの中で、ではそこから見てオーラル・ヒストリーというのはどうあるべきなのか、という比較材料として話をせよということではないかと思うわけです。
 とはいっても、私自身立派な経験があるわけではなくて、実際にやっていく上で、色々辛い目にあうことがあります(笑)。例えば、具体名は差し控えますけれど、とあるアメリカの現代写真の大御所にインタヴューをできる機会がありました。僕としてはしっかり準備して臨んだつもりが、何を聞いても、「えー」とか「あー」とか、どろーんとした、どんよりした答えしかかえってこない(笑)。1時間の予定だったのですが、40分くらい何を聞いてもそんな調子で過ぎてしまいまして、こちらが用意したかなり膨大な質問リストもたちまちラン・アウトしてしまいまして(笑)。しかも彼は僕がインタヴューした前日に森山大道と荒木経惟とほぼ一日を一緒に過ごしたはずなんですが、それで苦し紛れに「では、日本の現代写真家についてどう思いますか。昨日森山さんと荒木さんとお会いになったと思いますが」とかなりの愚問を発したわけですが、それでも「森山ってどっちだっけ」っていう感じなんですね(笑)。「荒木ってこうでしょう」と言っても(と髪形のジェスチャーをして)、「わからない」と言うんですね。ここまで、昨日の記憶までない人となると(笑)、これはもうインタヴューとしては不成立だろうと。こういう人を相手にインタヴュー記事としてまとめるということは倫理的にもうアウトなのでは、という気がしたわけなんです。しかしながら、最後の15分ぐらいにですね、ウィリアム・クラインの『Tokyo』という写真集があるんですが、その話を振った瞬間、にわかにある審美的な判断ができる人間がそこに帰ってきて(笑)、なんとか記事にまとめることができたということがあります。
 なぜ今この話をしているかというと、2つのことを申し上げようかと思ったわけです。まず、インタヴューという形式は、ある一貫したアイデンティティを持った――「主体」と言っても良いのかもわかりませんが――そういうものを前提にした対話形式であり、表象の形式であるだろうということが一つです。もう一つは、アートに関しては、そうでなくても作品を作っているアーティストというのがいるわけですね。他にも僕はこういう経験をしたことが何度かあって、今回この場に来るにあたって、同僚の記者に「こういう目に遭ったことが結構あるんだけど、文学者にもこういうことってよくある?」と聞くと、「ないよね」と言われる。つまり、文学者、作家の場合はそういう主体が前提となってやっぱり作品ができてくるということがある。ところがアートの場合は主体そのものがかなりのゆらぎを孕んでいる、というような場合でも、作品がつくられてしまう。極端な例で言えば「アウトサイダー・アート」のような場合があり、そういうことがアートの特徴であり、「オーラル・アート・ヒストリー」なるものを考える場合にも一つ考えるポイントになるんじゃないだろうか、と考えたわけです。
 さらに申し上げますと、今日皆さん御三方から伺った大変興味深いお話とも関連しますけれど、そもそも美術史の中で、主体のあり方、作品と作者の関係というものが変わってきているわけですね。今日のお話の中でもその要素となるものは全て出てきたかとは思うのですが、例えば、これは私の拙いまとめですけれども、フォーマリズム以前ですね、例えばゴッホなどという場合に、ある内的な情念か何かがあってですね――ゴッホが必ずしもそうだったとはもちろん言えませんし、一般的な理解として言うのですが――それがそのまま表出されて作品となっていくという考え方がある。そして、加治屋さんからフォーマリズム以降のお話がありましたけれども、フォーマリズムの場合は作品が自律的なものとしてある。つまりこの場合、タブロー絵画という意味ではその作品の同一性は疑われる余地がない。なおかつ作者とは切り離されて描かれたものとしてあるという格好になるわけです。
 ところが問題はそれ以降の話でして、尾崎さんが的確に、というか非常に立ち入った形でご指摘されたように、パフォーマンスであったりあるいはコンセプチュアル・アートであったりする場合に、では作品の同一性は何によって担保されているのか、タブロー絵画のように物質的に担保されているわけではないという中で、作品の同一性そのものがゆらいでいる、なおかつ、これも尾崎さんが指摘されたように、そこにおける作者主体というのはそこに一体どのように関与しているのか、という問題が出てきている。尾崎さんはパフォーマンスの中に既に含まれているとお話しされたように思うのですが、おそらくは含まれつつも、なおかつメタ・レヴェルからそれを操作する主体というのがもう一ついるだろうと。こうした複雑な作者主体の有り様というものがある、といったようなことが現代美術の大きな流れとしてある。その場合、オーラル・ヒストリーないしはインタヴューという主体を想定した形式というものがそこにどういうふうにかかわっていくのか、というのが今日は大事な話だと考えながらお聞きしていました。つまり、このレベルまで来ている現代美術、及びその美術批評というものから後退するような形で作者の語りというのを捉えるのではなくして、こうした作者主体のありようあるいは作品のありようというものを踏まえた上で、この水準を落とさずに、語りというもの、あるいは語りの書字化というものをどう捉えていけばいいのかということを、理論化することが御三方に共通したお立場だったのかと思います。
 時間もおしているので、あと一つだけ簡単に申し上げておきますと、尾崎さんの中で白髪さんのアクションとそれの残された物質というお話がありました。アクションないしはパフォーマンスと、それが残された痕跡という関係を、語りとテクストの関係のアナロジーとして考えられないかというご指摘でした。非常に示唆的で、なるほどと思って聞いたのですが、池上さんからは、杉浦邦恵さんという方のオーラル・ヒストリーのお話を伺いました。杉浦さんはもちろんカタログでわかるとおり写真を利用する、フォトベースのアーティストであります。アクションとその痕跡を考えたときに、もう一つ、その関係性を語るものが、間違いなく写真だと思うんですね。つまりアクションと物質的に同一化されたもの、という関係で言った場合に、もう一つモデルとなりうるものは、あるアクションとその写真、あるいは実物とその写真、という関係であろうかなと思いました。これはこの場でのほとんど思いつきなので、うまくいくかどうかわかりませんけれど、そういうふうに考えてみると、加治屋さんがご指摘された発話行為の事実性というものもうまく説明できるのではないかというアイデアを持ちました。つまり、写真はインデックス記号と言われるように、何物かの影――あるいは痕跡と言ってもいいかもしれませんが――それはあるものが確かにある、という事実行為を確かに指さしてはいるけれども、ではその実物に対して詳しく説明してくれるものでは決してはない。これは写真論の基本だと思いますが、同じように作者というものがあって語りというものがあり、それを書字化したテクストがあった場合、それは作者ないしは作者の語りの影としてテクストがあるというような関係として理解していく、あるいは、広い意味でオーラル・アート・ヒストリーというものを歴史の影というようなものとして理解していく、ということができないだろうか、というようなことを思いました。そういう意味では写真というものはアーカイヴのような性格を持って初めて意味を持つわけです。例えば一点の写真ではそれは物質の影でしかないわけですが、写真がアーカイヴの性格を持つことで、あるコンテクストを示したり、影としてある歴史を浮上させることができる。そういう風に、ある蓄積があって初めて意味を持つという、そういう性格を持っているのではないかというようなことを思いました。
 李禹煥のことについても触れたいと思いましたが、もう時間も目一杯なので、一つだけ言いますと、李さんの幻触についての語りというものは、1970年前後における現代美術の重要な一局面を示している発言ではあるわけですが、それは同時に、当時を振り返ってそう発言している李さんという人の影、というように理解することもできるだろうとも思いました。
 駆け足になりましたが、次の方にバトンタッチします。

粟田:
ありがとうございました。では次に北原さん、お願いいたします。

北原恵:
はじめまして。大阪大学の北原と申します。今日はお招きいただいて大変嬉しく思っております。まだ十分な準備ができたわけではないのですが、オーラル・ヒストリーについてもいくつか論文を読み良い勉強の機会になりました。ありがとうございました。なぜ私がコメンテーターに呼ばれたのかをつらつら考えていたのですが、私はあまり人に読まれていないミニコミ誌(笑)にずっと「アート・アクティヴィズム」という連載を大学院生のころから15年間書いてきました。現在で59回ですが、平均年4本、8,000字から20,000字辺りのものを書いてきたことになります。その中にはインタヴュー形式のものも結構あって、生い立ちから丁寧に聞いたものがいくつもあります。例えば彫刻家の知足院美加子さん、パフォーマンス・アーティストのイトー・ターリさん、あるいはマレーシア出身の中国系のアーティストで、カナダと日本で映像活動をされているリム・デズリさん、あるいは井上廣子さん、写真家のパク・ヨンスクさんなど。女性アーティストがかなり多いですが、その中には当時バザール・カフェというのを作っておられた小山田徹さんなど男性の方にお話を聞いたこともあります。そのほかでもインタヴューという形で調査を実施してきたわけですけれども、私の場合はそれまで美術界であまり紹介されてこなかったアーティストに関心を持って、面白いと思うアーティストをどんどん紹介していった、それらの活動と日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの活動が響きあうのではないかと思います。
 それともう一つは、私が去年の春までお世話になっていた前任校の甲南大学での体験です。文学部の社会学科というところに所属していたのですが、そのときに質的調査の授業を担当して聞き取り調査の方法をずっと学生さんに教えてきました。文字起こしをして、準備をして、きっちり調査を進めることを教えるうちに、自分自身の方法論、たとえば、話者の言葉に真正性を求める伝記的な語りという過去のものに戻ってはいなかっただろうかとか、色々問題点を考えるようになりました。そういうことで呼ばれたのかな、と思いましたので、自己紹介がてらお話させていただきました。
 次にみなさんの発表のポイントと議論すべきポイントを確認したいと思います。まず、加治屋さんはオーラル・ヒストリーの歴史的整理をされて、@情報の質的・量的充実にあること、A権力の分散性、B発話行為の真正性、これらがオーラル・ヒストリーの特徴であるとまとめられました。そして池上さんは、アメリカ美術アーカイヴという具体的な事例を紹介することによって、このプロジェクトの具体的なヴィジョンを指し示されたと思います。そして尾崎さんは口述された証言がいかにして美術史の史料となるのかということを、丁寧にいろんなパフォーマンスやコンセプチュアル・アートを事例として紹介しながら、お話になりました。ここでのキーワードは「同一性」や「主体」ということだったと思います。
 この三人の話の中で確認されたのは、さっきの前田さんの話とも重複しますけれども、第一に、オーラル・ヒストリーは、バイオグラフィーや素朴な実証主義に回帰するものではない。批評理論を超えたその次の方法論として考えられるべきだ、という点。しかしこれはまだなんの保証もないわけですね。それから加治屋さんは、その先のこととしてオーラル・ヒストリーのパフォーマティヴな効果に注目されました。ジュディス・バトラーのパフォーマティヴィティという概念を援用することによって、芸術家を統一的な主体に還元してしまうのを回避する可能性を見出そうとされた。これは一つの大きな提起だったと思います。
 それから、第二の確認として、オーラル・ヒストリーには文書資料と同様の価値を置くものである、どちらが上位になるわけでも下位になるわけでもない。そのためには文字化ということが求められ、そして当然のことながら精緻な史料批判というものが必要であるということ。さらにこのプロジェクトは新たな学問分野を立ち上げるのではなくて、美術史を書き換える試みの一つとしてあるのだ、と話されました。これらを確認した上で、議論すべきポイントとしてキーワードを三つ挙げたいと思います。
 1つは「主体」ということでした。これは先ほど説明されたので詳しくは繰り返しません。2つめは尾崎さんと加治屋さんがお話しになった「真正性」。これはどういうことかというと、語っている内容が常に真正であるとは限らないが、語っているという事実そのものは真正性を有しているということで、表象理論や表象につきまとう議論ではいつも言われることです。表象というものを非常に表面的なものとしてとらえて、「それは事実なのですか、それともそれは形の上だけで出てきた物なのですか」、という「事実VS表象」の二項対立的な図式からよく議論がなされるのですが、そうではなく、現実を構成するものとしても表象があるという認識が必要なのは言うまでもありません。
 そして、この真正性の事例として、尾崎さんは例えばアブラモヴィッチのパフォーマンスのことをお話しになって、ジェンダーや上演されている場所という空間や社会的背景が非常に大きな意味を与える、それによって意味が変容することを指摘されました。その通りだと思いますし、さらには人種、民族、階級、セクシュアリティといったものも、再上演するにせよ、違う人がやるにせよ、同じ人がやるにせよ、他人ものを使うにせよ、意味が変わってくるわけですし、おっしゃる通りだと思います。その上で尾崎さんは、パフォーマンスとコンセプチュアル・アートの中間的なものにオーラル・アート・ヒストリーがあるのではないかとおっしゃいました。これに関しては私もまだ尾崎さんのご説明を十分に理解できたわけではないのですけれども、コンセプチュアル・アートの制作者も主体の偏向を必ず伴うのであり、この両者の中間に置くというよりも、「表象」として理解するほうが私としてはすっきりします。
 3番目に大きなことで、加治屋さんと池上さんがご指摘になったのが、加治屋さんの言葉で言う「権力の分散性」ということでした。オーラル・ヒストリーによって、従来聞き取りの対象にならなかった人たちを射程に入れることができる。具体的に言えば、女性作家の声が取り上げられてきた。日本でも1960年代後半から1970年代にかけて、女性史研究の中で無名の人々の声の聞き取りが広範に行われ、それが出版され、色々な地域でインタヴュー調査という方法論が一気に拡がっていった。私は学生の頃にそういう事態に立ち会い、当時の目覚ましい研究成果にショックを受け大いに啓発された記憶があります。女性作家や無名の人々の声に耳を傾け記録することは、オーラル・ヒストリーのアーカイヴにとっても大きな意義があることが確認されたと思います。
 たとえば、わたしの知っている例として岸本清子さんというネオダダに参加した女性作家の聞き取りがあります。岸本清子は1988年に病気で亡くなったのですが、すぐに作品や資料が分散してしまって、忘れ去られようとしていた彼女の活動について、女性のグループが遺族の方たちや関係者から丁寧に聞き取り、冊子にされた。それらは美術史の専門家だけがやってきたわけではなくて、むしろ女性問題などに関心がある人たちがプロジェクトを作って取り組んでいました。そういう仕事がその後の栃木県立美術館での「前衛の女性たち」展などにとっての基礎研究の資料になりました。
 しかしオーラル・ヒストリーだからといって直ちに権力の分散性が保証されるわけではありません。それを保証するのはいかなるものなのか、ということをお尋ねしたいと思います。さて、今のところ真正性とか主体とか、かなり理論的な抽象度の高い議論が煮詰まっていますが、私はもう少し素朴な次のような疑問を池上さんと加治屋さんにお伺いしたいと思いました。@ウェブのホームページには15名ほどの方のインタヴューが掲載されていますが、その人選をどのようになさったのか。かなり知名度の高い方々ばかりですが、それは権力の分散性とはどのようにかかわるのか。A今後はどのような方々に聞き取りをなさりたいのでしょうか。Bインタヴューには、誰でも参加できるのでしょうか。Cプロジェクト名に「日本美術」という言葉が冠されていますが、どういう意味で使用されているのか。これは後ほどもう少しお聞きしたいと思います。Dこれまで蓄積のある他人の聞き取りというものもアーカイヴに含めていくことを考えていらっしゃるのでしょうか。Eそれから最後に、これまで2年間の準備期間の中で一番困難だったことは何でしょうか、ということをお伺いしたいと思います。
 さて、これは私の私見ですけれども、オーラル・アート・ヒストリーについては聞き取りの範囲というのが非常に重要になってくると思う。誰に聞くのかという範囲。それについて私は、国民国家の枠組みに限定するのではなく、ナショナルな枠組みを取り払ってはどうかと考えています。例えば、池上さんはアメリカ美術アーカイヴが、戦後アメリカに渡った多くの日本人アーティストをインタヴューの対象にしてこなかったと指摘されていました。これは大変重要な点だと思います。池上さんはAAAがなぜ非米国人を扱わないのか、あるいはこれからも扱わないのかはわからないのですが、それはどうしてだと思われるでしょうか。もし何かご存知でしたらお聞きしたいと思いました。私は決して助成金がないからではなくて、AAAの歴史のとらえ方、パラダイムの問題だと思います。ちょうど一年前になりますけれども、私が属している大阪大学の日本学講座で、アメリカのカリフォルニア大学の研究者の米山リサさんという方をお呼びしたことがあります。彼女はアメリカにおけるエイジアン・アメリカン研究とアメリカ研究の流れに大きな変化が起こっているとおっしゃっていました。受け売りなんですけれども、非常に感銘を受けたので。つまりどういうことかというと、従来はエイジアン・アメリカンを単なるアメリカ合衆国の多様性の例としてとらえ、また、目的論的、予定調和的にアメリカ合衆国という国家に正統な国民として含まれていく「移民から市民へ」の単線的な同化主義的な歴史の流れとして捉えてきた。しかしナショナルな枠組みを取り払っていくことによって、様々な地理的空間的拡がりをもったものとして今まで繋がり得なかったことが繋がっていく、だからアメリカ史を書き換えるような流れになってきている、という報告がありました。おそらくAAAがやっているエイジアン・アメリカンに対する対応というのも今後変わっていく可能性もあり、その辺がどうなるのか非常に興味がありました。
 次に「日本美術」という問題なんですけれども、「日本美術」という枠組みについては今と同様の問題が出てくると思います。「日本」というこの時空間そのものをもう一度検証する必要がある。今美術史研究のなかでも若手の人たちが挑戦していますが 戦前の美術を考えていく場合にもかつての植民地などを視野に入れた研究がますます必要になってくるでしょう。しかし、90年代頃から盛んになってきたそういう研究の動向をみてきても再び、「満州」、「朝鮮」、「台湾」という枠組みの中に還元していくような、閉じこめるような動きというものも一方で働いている。そういうような帝国主義、植民地主義、人種主義の暴力とか、表象を見ていく必要が一方である。これはオーラル・アート・ヒストリーだけにかかわってくる問題ではありませんが、そういった射程はどうなのか。
 昨日アーカイヴをネットで見ていて、李禹煥さんの記録を最後まで一気に読んでしまったのですが、これは非常に面白かったです。私は特に在日外国人アーティストの聞き取りというものをずっとやってみたかったんですね。それでお約束している人もいたりするのですが、なかなか進まなくて。日本美術史の周縁としてではなくて、もう一度再考し直すようなダイナミズムを持つものとしてこれらの方々のインタヴューというものが必要になってくるのではないかと思います。そして、聞き取りの対象としてアーティスト、評論家の他にも、ギャラリストの方々も含めていくというお話が今日もありました。そこで私は研究者も含めたらどうかと思っています。研究者も無色透明の存在ではなく「美術」という場を作り出していく、構築するただ中にいるのではないでしょうか。
 最後に歴史化という作業について。現代のアートを「歴史化」するスピードが非常に速くなっていっているなという気がしています。例えば昨年当館で開催された中国の「アヴァンギャルド・チャイナ」展についても指摘されていたことですが、既に90年代の美術運動が一つの歴史として語られていく。そういう、美術が歴史化されていく中にあって、女性アーティストは一番――一番とは言い難いですが――消去されていきやすいものの一つになる。というのは、たまたま6月に中国に行って女性アーティストの方たちについて調査をする機会があったのですが、中国で90年代半ばに東村で行われた有名なパフォーマンスで、《無名の山を1メートル高くする》という作品があります。あれを調べていたら、女性が2人参加しているんですね。しかし日本語で記述されたものをみていくと、女性アーティストの存在は全くでてこない。かわりに、張洹(ジャン・ホアン)のように男性的な肉体の限界を試しているようなアーティストの対極に、馬六明(マ・リウミン)に女性性を代表させるという二項対立の関係の中でのみ考えられていて、現実に生きた生身の女の人のアーティストが消去されているのではないかという危惧を持ちました。《無名の山を・・・》のパフォーマンスには段英梅(ドゥアン・インメイ)さんという方も加わっておられましたし、そういう方にもインタヴューをしてみたいなと思いました。このように、オーラル・アート・ヒストリーには大きな可能性もありますが、同時に危険性についてもいっしょに考えたいと思い、お話させていただきました。以上です。

粟田:
ありがとうございました。続きまして建畠さんからコメントをお願いいたします。

建畠晢:
美術史そのものというより、広い意味でのキュレーションを含めた批評の方法という立場から、コメントと若干の質問をさせていただきます。三者それぞれにわけて質問したいのですが、まず加治屋さんです。権力の分散、記憶の政治性、語り手の感情といった、非常に興味深い事柄が出てきました。記憶の政治性というのはインタヴューで重要なポイントの一つだと思いますが、一つは信頼するに足るかどうかということですね。そこには自己正当化とか、あるいは自己批判とか内省なりが入ってます。記憶の真正性から言うと、インタヴューする時によって変化していくことはあるんですが、事実として信頼するに足るかどうかという点よりも、信頼できない点にも価値があるというふうに思います。発話行為の事実性という点でおそらく受けとめるべきで、記憶の政治性というのは一つのポイントになってきます。権力の分散については、地方の作家や女性アーティストということに関して、オーラル・ヒストリーは有効であるとありました。ただ、これも北原さんがおっしゃいましたけれども、権力の分散に関してはニュートラルな面もあります。これはインタヴューの対象の設定次第ということですが、そこに踏み込みやすいということはあるにしても、必ずしもそれが直ちに権力の分散に有効であるということは言えない。方法として有効ではあるが、運用次第では逆に権力に加担することもありえるわけです。
 もう一つ、権力の分散に関しては、今退潮著しいカルチュラル・スタディーズとどこかでシンクロする部分があるのかなと思ったのですが、そのことも加治屋さんに少しお伺いしてみたい。語り手の感情という問題も、発話行為の事実性に関連するでしょう。オーラル・ヒストリーの現状に即して言うと、語り手の感情はインタヴュアーにとっても興味深くて、なかなか聞き出せないときに、軽く怒らせるという手法があります。全面的に怒らしてはいけないんですけれどね(笑)。必ずしも友好関係だけがインタヴューの必須条件ではなくて、ときには相手をちょっと反発させて本音を聞き出すという方法もある。僕もよくインタヴューをするのですが、ときどき自覚的にやっています。これも記憶の政治性ということと関わっています。発話行為の事実性は、認識的な事実の真正性と一部でシンクロしながら一部で相反することもあるということを知っておく必要があるかと思います。
 池上さんのお話では、オーラル・ヒストリーが美術史を読み換えたという例をご紹介になっています。加治屋さんによれば、幻触のインタヴューは、椹木野衣さんによって、もの派の出発点におけるもう一つの要因として再評価された。これは非常に重要ですし、李禹煥さんもその展開を経た後に「トリックス・アンド・ヴィジョン」がもの派の一つの原点であったと、ただしその意味を世界のずれとして読み換えていくことによって、と言っています。たしかにトリッキーなものの要素や、その他の面でも幻触がもの派と極めて近しい直前の運動のであったとは言えると思いますし、そういう意味では、実は椹木さんの前にも何人かの人はそのことを指摘していました。それに則って我が館でも、もの派の展覧会を――これは私のキュレーションではなく、中井(康之)というキュレーターによって――開催したわけです。ただオーラル・ヒストリーは、それがサイエンスの手法の一つである限り、美術史を読み換えるということに関しては、これもニュートラルなんですね。新しい方法によって抜本的、根源的に読み換えてしまおうというモチヴェーションは、常に美術史家にも評論家にも働くんですが、ある意味でそれは危険性を孕んでいる。幻触というものの位置づけは、もの派を誘発した側面があるにしても、幻触から予兆として示されていたものをどのように克服していったかということがもの派の成立で非常に大きな要因なので、ちょっと今の理解では直結しすぎている。これは抜本的、根源的読み換えというものの危険性ですね。どこかで相対化しなければいけないし、少なくとも読み換えに関しては、オーラル・ヒストリーはニュートラルであると思います。新しい方法による新しいコンセプトというのでないと学問は進みませんから、創造的な枠組みというのは学問を進めていく上では必要ではあるけれども、一方ではオーラル・ヒストリーは方法としてはニュートラルであるという認識は必要なのではないかと考えます。
 もう一つ、白髪さんの映像が非常に面白かったのですけれど、自宅で行われているんですよね。インタヴューがどこで行われたかという場所の問題は重要です。それに気がついたのは、MoMAで草間彌生展が開かれたときで、カタログの原稿を頼まれて、草間さんに何回かインタヴューをしたんですね。これはほとんど無意味なインタヴューだったけれども(笑)、ともかく2、3か所引用したんですね。「何月何日、草間彌生インタヴュー」とコメントを付けて。すると(ロサンゼルス)カウンティ・ミュージアム担当のエディターが、「場所はどこだ」と聞いてきたんです。日にちはメモしてありました。場所は二カ所あって、一つは思い出したんですね。草間スタジオだった。もう一つは近くの喫茶店だったんですが、どこか覚えていない。近くの喫茶店と言ったら、その喫茶店の名前を特定してくれと言う。思い出せないから勝手に「コージー・コーナー」と書いちゃったんだけどね(笑)。どうせ向こうも調べないだろうからね。何でそんなこと聞くんだと思ったんだけど、場所は重要なんですね。アトリエなのか、電話によるインタヴューなのかはコメントすべきだと思います。
 今日は議論に出なかったので、強く言っておきたいと思ったことがあります。僕自身も加治屋くんにインタヴューを受けて、テープとヴィデオでの記録があります。映像というのは様々な情報を伝えます。オーラル・ヒストリーでは、映像は入らないか、補完的に使ってらっしゃるにすぎないとは思うのですが、映像というものの価値をどのように位置づけるかということも、場所の問題が重要であることと同様、重要になっていくのではないかと思います。
 もう一つ、尾崎さんのおっしゃっていたことのなかで、アーティストもしくはインタヴューの対象に対して言説としての同一性ということが考えられているんですが、これは非常に難しい問題だと思いました。書き起こしのときにある程度編集作業が入り、そこから作家との突き合わせの作業があって、最終的にテクストとして確定していくのですが、そこで僕が一番興味深いのが、私自身についてもそうですし、様々なインタヴューのときにも思うわけですが、どこを「変えた」のかという点です。もちろんアーティストによりますけれど、例えば、草間彌生の場合は切ったところが非常に面白い。草間が削除した膨大なテクストのフェルトペンで消した部分をアルコールで溶かしてむしろ見直したくなります(笑)。何が消されたかというのは非常に重要なんですね。単なる校正の域を出ないものもありますが、自分の経験で言えば、ある人に対して非常に激しく攻撃したところを、最終的には切ってしまうんですね。インタヴューの時はしゃべってしまいますからね。他者への批判というのはしばしば切られる、あるいは、逆に猛烈に手を加える筆者が多い。原典との非同一性とも言えるかもしれませんが、これはしかし残念ながら公開性はない。あるいは最初に取り決めた文章によって50年間公開してはいけないとか定められている。しかし他者への批判や、他者が自分を評価してくるコンテクストに対する批判は、僕自身の経験から言うと、自分自身の校正も含めて一番たくさん手が入る、一番興味深い箇所です。そういう意味で、それは校正の問題でもありますし、最終的に確定したテクストとレコーディングされたものとの相互的な関係をどう考えることも重要な問題じゃないかと考えております。
 そして御三方に対するコメントであり、質問でもあるんですが、これは基本的には日本人が日本語を使って日本人にインタヴューをするものですね。文化人類学でしばしば問題にされますが、通訳を介したインタヴューというもの、これは非常にポリティカルな問題を孕んでいますが、そういうこともオーラル・ヒストリーに関わってくる問題かなという気がします。またこれはネット上で公開されていて問題はないのですが、著作権やフェア・ユースについてどう考えるかという視点からもオーラル・ヒストリーについては考えるべき点があるかなと思います。以上です。

粟田:
ありがとうございます。三名の方にコメントをいただきましたが、非常に質問が膨大なので、ちょっと私の方で整理させていただくと、前田さんは主体の問題ということで、新聞記者としてインタヴューを行う場合、作家の主体というものはある程度アイデンティティが保証されていなければいけない、けれどオーラル・ヒストリーにはある種分裂した主体性があるのではないか、それをどう考えるかということが挙げられていました。二つ目に興味深いと感じたのが、写真的な記述の問題です。オーラル・ヒストリーにはある種写真的なインテックス性があるのではないか、つまり写真というのは生のままでは読み取り不可能で、あるテクストによって読み替え可能性があるのではないか、それがオーラル・ヒストリーの問題とどうかかわってくるかという問題です。具体的に1970年代と2000年代の李禹煥さんの発言をみた場合にも、内容の正誤性よりもむしろ、それらを相関的に読み解いていく可能性があるのではという気がします。
 北原さんのお話では、まず有名性と無名性について。それが権力の分散性に直結していくかと思いますが、どこまで聞き取りの範囲を広げていけるのか。それは、日本という国家の問題にもからんでくると思いますし、最後の建畠さんの発言にもあったように言語における政治性の問題にもからんでくるかと思います。また、歴史を書き換えるといった場合に、本当にそれはできるのか、また歴史を書き換えた場合、書き換えてしまったことによって孕む危険性をどう考えるのかといった問題があったかと思います。もうひとつ建畠さんのおっしゃった、場所や日付の記述の必要性であるとか、例えば映像をどう保管していくのかというアーカイヴの保管の問題、さらに著作権の問題など。質問が非常に多岐にわたっておりますので、全てに返答できる時間があるかわかりませんが、御三方のコメントに対して発表者の方にそれぞれご意見を伺いたいと思います。

加治屋:
コメントをありがとうございました。非常に参考になりました。いろんな論点が出たと思いますが、私の方からは建畠さんが権力の分散性に関しておっしゃっていましたので、それについて簡単にレスポンスをしたいと思います。私が権力の分散性について述べたのは、偉大な作家に話を聞いてやはりこの人は偉大だった、というような確認を避けたいと思ったからです。むしろ話を聞くなかで異なる歴史の側面を見たいと考えたんですね。同時に、今まで取り上げられなかった作家にインタヴューをするという場合でも、当然何らかの判断は入っているわけですね。つまり、権力を分散させると言っても、こういう点で重要だからこの人に話を聞きたいという、何らかの判断がそこには入っているので、その限界に関しては自覚的でありたいと考えています。
 時間が押しているので、とりあえずのところは次に池上さんに続けてもらいます。

池上:
やはり時間がないので、北原さんがしてくださった膨大なご質問の全てにはお答えできないのですが、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの実践について、例えば人選をどうされているのかというご質問がありました。それは今加治屋さんがおっしゃったように、基本的にメンバー間で、世代毎に聞き取りを今行っておいた方が良いだろうという方々のリストを――決して確定的なものではなくて常にリヴァイズしていくのですが――そういうものを作って、後は実際的にこの方は今インタヴューをしておくべきだけれども受けられる状況にないだとか、あるいはその方に聞き取りをしていただけるような専門家がみつからないだとか、色々なケースがありますので、そのなかで可能な方からお願いしていく、というやり方をとっています。
 もう一つ、ご指摘の中で一番大事だと私が思ったことは、「日本美術」という枠をどう捉えるのか、ということです。私も個人的な研究においては、ナショナルな枠組みを取り払った美術史研究を目指しているにもかかわらず、このプロジェクトでは「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」という組織の副代表をしていて、自分としても少し自己矛盾を感じるところも実はあるんですね。ですが、これは現時点では日本語で公開されていて、日本語がわかる方にしか読むことができないわけですけれど、日本人のためにだけやっているわけでは決してなく、広く日本美術に興味がある方々に向けて公開しているものです。先ほど白髪さんの例でも少しお話したように、日本というナショナルな枠組みにはもちろん問題があるのですが、一方で国外に目を向けたときに、日本美術や日本人作家というものはやはりマイノリティであるという事実があるわけで、その中で杉浦さんなり他のたいていの日本人作家は聞き取りがされないような事実があるわけですね。そこでこういう作家もいますよ、ということを主張していかないと、それこそマイノリティ研究とも少し比べられる部分があると思うのですが、その方たちの声が消えていってしまうということがあるので。聞き取り範囲の限界という問題についても葛藤を感じてはいるのですが、ひとまずは、この枠組みを設定してやっていくことを選択しています。

加治屋:
一つだけ補足しておきます。先ほど私が答えた権力の分散性ということに関して、北原さんからもコメントをいただきましたので、そのことについてお話ししたく思います。私たちが聞き取りをした方たちは著名な方が多い、権力の分散と言いながらどうなっているんだ、ということかと思うのですが、やはり私たちはまずこのオーラル・ヒストリーを立ち上げたかった。立ち上げるにあたって、知り合いを通してインタヴュー可能な人というのを探し出してインタヴューを行ったわけですね。この点は私たちも課題だと思っていますので、今後インタヴューを続けるなかで変わっていくと思います。

尾崎:
私の方からは2点お答えします。一つは北原さんのおっしゃっていた「語る主体」の問題です。ちょっと専門的になるんですが、私はミニマル・アートとコンセプチュアル・アートはいずれも主体性を消していくという発想が根幹にあると思います。ミニマル・アートは作品において、コンセプチュアルは手法において、それぞれ作家の主体性を解消し、誰にとっても同一に見える作品を実現しあるいは同一な方法によって作品を制作するということをめざしました。これに対して主体が濃厚に反映されるパフォーマンスとの間に、オーラル・ヒストリーの語る主体を置くことによって一つの図式を示そうとした訳です。もちろん、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートにおいても実は作者のジェンダーや人種が作品に介入することを明らかにした研究が最近次々と発表されています。しかし私の発表ではひとまず主体と作品、あるいは発話の関係を一つの見取り図としてとらえることにしました。
 それから、建畠さんからありました訂正の問題について、これについても私は苦い経験があります。具体に関しては変更がほとんどありませんでしたが、先ほどお話しした森田子龍という書家のインタヴューを取って書き起こしを(作家に)戻した際に、森田さんは『墨美』なんかでも膨大な書き起こしを行ったオーラル・ヒストリーの専門家ですね。するとものすごく言葉にこだわりがあって、書き起こしが直されて真っ赤になって返ってくる。さらにすごいのは、自分の「書いた」文章、印刷されたものですが、それを付けて「この部分を写してください」とかおっしゃる。「こんなことおっしゃっていないんだけれどな」とも思うわけですが(笑)、展覧会の成否とも関わりますからね。今だから申し上げますけれど(笑)。ですから書き起こしを文字化していくメソドロジーについては、今後もう少し考える余地があると思いました。

粟田:
生々しさをどう記述として残していくのかというのも大事な問題だと思います。フロアからも、ご質問のある方は手を挙げていただいて。

質問者3:
同一性と映像を使うことについて質問したいんですけれども。インタヴューをしたものを書字化することで同一性を保つことが大事だということが、こういうことはおそらく学術研究に反映することを一番の前提としてなされているプロジェクトだと思うので、書字化するということの大切さということがわかった上で質問をしたいのですが、どうしても書字化して、同一化する必要があるのかなと思うんですね。例えば外国の小説や本というものを、外国のものは原文が存在しますね、それを翻訳して、翻訳をしたものを使ったり、原文からそのまま引用して論文に使うということがあると思うんです。それをオーラル・アート・ヒストリーにおいても、音声や映像というものを原文だと考えて、書字化するということは、それぞれの翻訳者が色々いるように、そういう捉え方をするわけにはいかないのかと思うのです。つまり一つに書字化してしまうと、この文言で決定する、ということは決定するところで権力が発生するわけですよね。そういうふうにこのプロジェクトがなっていきたいという考え方でしているのでしたら、そうだなとは思うのですが(笑)、そこまでこのプロジェクトに権限をもたせるべきなのか、もっていいのかということにも疑問はありますし、その辺りのことはどう考えられているのでしょうか。

司会:
消えてしまった情報にも重要性があるのでは、ということですよね。

質問者3:
そうです。

加治屋:
書かれた言葉が同一性を保証するという尾崎さんの議論があったわけですが、実は私自身は若干異なる考え方を持っています。というのは、インターネットでの公開の問題についてご指摘があったように、文字はどんどん変わりうるものですね。そもそも同一性を保つのは実は音声であり、映像なんですよね。そちらのほうが「同じもの」として残る。それを修正することは、もちろん技術的には可能ですが、実際はされない。そこから様々な文字が発生するということはやはりあり得ることです。アメリカ美術アーカイヴでは、音声を文字化してそれが閲覧可能になっているんですが、ものによっては音声も聞くことができるんですね。研究者によっては、書き起こされたものを信用せずに、自分でもう一度音声を聞き直して、書き起こしではここがこう違うということをわざわざ指摘する研究者もいるんですね。従って音声とか映像というものを将来的には公開することができれば、そうしたものが、そうした問題を、個人の、引用する側の判断に委ねることができるのではないかと私は思います。

粟田:
尾崎さんいかがでしょうか。

尾崎:
今の問題は非常に重要で、音声と書字、いずれが優先するかという点については、デリダの音声中心主義の問題なども視野に入ってくると思います。しかし映像をぽんとおいたからそれが非政治的に引用できるかというとそれは間違いであって、どんな形であっても引用するということに既に政治性が関わっているわけです。われわれは、とりあえずのカノン(正典)というか、引用するときの基礎をつくる。そのようなものをつくることに対する批判というのは当然ありうるわけですが、それをまずつくらないと、議論の前提ができないと思うんですね。自分たちが政治的だと十分認識したうえで、とりあえず参照可能な資料をつくるという作業が重要ではないか。それを今作っておかないと、作家が亡くなり、資料がなくなっていくという問題が出てくるのではないかと思います。

粟田:
ありがとうございます。もう一名ぐらい質問を受け付けたいと思いますが。

質問者4(小林剛):
僕は加治屋さんとほぼ同じ時期に、アメリカのアメリカン・スタディーズのプログラムに留学していたのですが、アメリカン・スタディーズの分野では、その時期にはオーラル・ヒストリーを使うというのは常識化していて、例えば女性史であるとか、エイジアン・アメリカンなどのマイノリティの移民史などでは、文字資料アーカイヴは既にもう「創られた過去」であるという認識で、非常に白人男性を中心にした資料が集められたものであるということがあるので。そういう意味ではマイノリティの歴史について書くには、オーラル・ヒストリーに頼らざるを得ないという状況があるわけですね。僕の同級生も基本的にはオーラル・ヒストリーを使って論文書いたりする。ピア・レヴューという形でそれらを読まされるわけなんですが、残念なことにほとんどが面白くないんですね。なぜ面白くないんだろうと考えると、つまりすでにどこかで読んだことがある物語を読まされている、ということが多い。実際アメリカでも様々な分野で膨大なオーラル・ヒストリー・アーカイヴがつくられておりまして、それら全てを逐一調査するわけにはいきませんので、たまたま自分が聞きたいと思っているストーリーに合うエヴィデンスとしてオーラル・ヒストリー・アーカイヴからある特定の文章なり文言をとってきてしまうわけですね。このプロジェクトは始まったばかりなので、これから資料を増やしていっていただきたいと思いますが、同時にこのオーラル・ヒストリー・アーカイヴをどのように院生や研究者が利用していくかという方法論を作り上げていかなければ、権力の分散といいながら、資料の利用法のところで権力が介在していくのではないかと思います。これから発展していくことを祈願するわけですが、同時に方法論、使用法について、大学で教員の立場にたっている者たちが学生にこの資料を紹介しながら、研究者の間で方法についてともに考えていくことは重要だと思うわけです。これからの将来的なことではありますが、頑張ってください。

池上:
今おっしゃった語りの形骸化、定形化ということですが、それは非常に重要な問題で、私たちも日々直面している問題です。特に著名なアーティストに多いわけですけれども、何度も話を聞かれている間に、いつも同じような話を何回もしてしまう。立て板に水のように言葉が出てきてしまって(笑)、なかなか「そうではない」話というものが聞きづらくなるということがあります。私たちがインタヴューをする側として心がけているのは、過去のインタヴューも出来る限り読んだ上で、それとは違う質問、視点を質問リストに盛り込んでいく、そういう工夫をしています。また利用者として今度は自分がそれを使う側にもなるわけですが、歴史家としてはどれくらい多くのほぼ同じようなオーラル・ヒストリーのドキュメントがあろうが、それは全て読むというのが基本的な姿勢でなければならないという風に思います。学生にもそのように指導したいと思います。

粟田:
御厨さんの著書にあるような組織や集合的記憶の問題もあると思うので、語りが定形化していっても、点でしかないものが、ある線や面を形成したときに、時代の風潮のようなものが見えてくる、それがオーラル・ヒストリーの可能性かとも思います。

池上:
あと、オーラル・ヒストリーだけを見るのではなく、基本的には文字資料とのクロス・リファランスを徹底するということが一つの理想的な利用方法になっていくのが望ましいと思います。

粟田:
ではもう一度、今までの議論も踏まえまして、コメンテーターの方々に再度ご意見を伺いたいと思います。

前田:
大変有意義な質問が出てすごいなと思って聞いていたのですが、映像について一言申し上げます。先ほど打ち合わせのときにもちょっとお話ししたのですが、私たちが新聞でしているインタヴューというのは基本的には必ず写真がついているということがあります。つまりこのときの写真という映像がどういう機能をもっているかというと、テクストになったときに抜け落ちてしまう主体というものを担保する、主体の現前みたいなものを担保する性格をもっている。なおかつ、いろいろ文法があってですね、直接こちらを見ている写真は基本的にアウトなんです。ちょっと目線を外すということですね。かつなるべく手を入れろ、というんですね。こういうふうにしてしゃべっていますという情報を入れよ、というのが基本的な文法となっている。これが何を意味しているかは考える余地があると思います。
 少し端折りますが、先ほどのご質問の方がご指摘された通り、映像であれば同一性は担保されているのではないかということですが、これは基本的にはその通りだと思います。僕としては先ほど、オーラル・ヒストリーのインデキシカルな性格を理解することが大事なんじゃないかということを言いましたし、映像もそういうものですから僕としては賛同します。ただもう一つは、映像を使うために回帰してくるものがあるだろうと。ここは気をつけなければならないと思います。つまり、そのときに映像を使ったがために、その語り手というものが生々しく現前してしまう。そしてあたかもそれが絶対的な作者の現われであるかのように誤解してしまうおそれがないだろうかということも、もう一方では意識していく必要があると思いました。
 先ほど建畠さんが日付と場所を強調されたのも、写真のインデキシカルな性格と関係していて、インデックスである以上、写真も常に日付と場所が入って初めてそれが何のイメージかわかるということなんですね。つまりオーラル・ヒストリーというものがそのまま事実であるわけではなくて、色々な形でしっかりと立ててあげないと事実に近づかないということなんだろうなと思います。同じように同じ物語の繰り返しになってしまうというというご指摘がありましたけれど、これもやはりそういったオーラル・ヒストリーがある物語のイラストレーションになる場合もあるでしょうし、それこそユベルマンが指摘しているようなインデキシカルなものとしての抵抗の力を持つということも、両方あるだろうと思います。それを二つ切り分けるのは読み手の力にかかっていくのではないかと思います。

北原:
映像という話が出たので一言。どんな映像であっても、それが生のありのままの姿であるということはあり得ない。情報量が映像はものすごく多いだけに、危ないメディアでもあると思います。先ほど紹介されたインタヴューの映像でも、どこからどう撮るかとか、どんな形で切り取るかによってイメージはずいぶん変わってくると思います。海外で色々な証言や記録を集めている博物館などにいくと、最近映像よりも証言を耳で聞くという形で戦争や歴史のことを語るアーカイヴを多く目にします。耳に集中することによって余分な情報をそぎ落とす方法とも考えられ、音声の豊かな可能性を感じました。将来、音声、テクスト、文字資料、そして映像という風に資料を公開されていく場合、それぞれの利点と短所をはっきり理解した上で公開していく必要があると思いました。
 それとさっき言い忘れたのですが、先ほど会場で回覧されていたAAAのSpeaking of Artという本を初めて拝見したんですけれど、あの本のなかでも一つのストーリーがつくられていると感じました。マヤ・リンに続いて、一番最後がゲリラ・ガールズで終わっているのが象徴的だなと思ったんですけれども、民族の多様性と女性や個人に特定されない集団への流れが作られ、アメリカが進むべき理想的な社会を、あの本のなかでアートを通して表象しようとしている。ちゃんと読んでいないのでいい加減なことは言えないのですが(笑)。このプロジェクトが集められているアーカイヴを次に出版化したり、次の段階で再利用していくときに、また一つのストーリー化ということが生まれるだろうし、そこの扱いは注意するべきだろうなと思いました。

建畠:
これは利用者の立場からですが、アーカイヴの構築と具体的な方法と、それにわれわれがどうやってアクセスすればいいかということがあります。これから膨大な量になっていった場合に、今はネットで公開されているからいいわけですが、印刷媒体にすることを想定しているのか、あるいはどこかに出かけていけば、テープなり映像なりが見れるようになるのか。その場合、著作権はどうなるのか。文字媒体には必ず著者校正が入るわけですが、それを前提にすると映像は公開できないのかなと思ったりしますが、具体的なことを少しお聞きしたい。それから分類整理とか、キーワード検索とか。今はいいけれど、これから何千件にもなると、どうしていくのでしょうか。

加治屋:
まず著作権、フェア・ユースに関するご質問にお答えすると、今はインタヴューをとるときに同意書を作成して署名していただいています。私たちの団体にボランティアで弁護士の方が協力してくださっていて、その方が作った書類にサインしてもらう。そこで基本的にはインタヴューに派生する全ての素材に関して、著作権の譲渡をお願いしています。従って、文字、音声、映像に関しては一応アーカイヴ側に権利が帰属されるということになっています。キーワード検索に関しては、AAAではインタヴュー対象の方の比較的詳しい経歴が書いてあります。例えば、こういう美術運動の一人であったとか、こういうギャラリーで何年に発表したとか、というのが全部書いてあって、そのギャラリーの名前でキーワード検索するとその作家がヒットしたりします。あるいはインタヴューの本文検索も関係していて、そのインデックスがあるんですね。あるインタヴューの中である作家について言及されていたらそれがインデックスになっていて、その作家について言及されている他のインタヴューも一覧できるようになっているわけです。まだ人数も限られていますし、予算規模も小さいので、今のところはそこまで考えてはいないのですが、将来的にはそういう可能性もあるかと考えています。

粟田:
そろそろお時間なので、最後にコメントされたい方がいらっしゃったら。フロアの方でご質問のある方は。そうしましたら、ここのまま続いて閉会の挨拶を加治屋さんにお願いいたします。

加治屋:
このシンポジウムは、最初に池上さんが述べたように、美術史におけるオーラル・ヒストリーの意義について、公開の場で考えて議論し、多くの方々とその議論を共有していこうというために計画されました。こうして様々な議論が行われて振り返ってみますと、美術史におけるオーラル・ヒストリー、すなわちオーラル・アート・ヒストリーの可能性が少しずつ見えてきたのではないかと思います。もちろんコメンテーターの方々によるご指摘にもあったように、様々な問題を抱えていることは事実です。インタヴューの対象とか、範囲とか方法論とか、いくつか問題はあったかと思いますが、しかしやはりこうした活動を続けていくことの重要性ということは共有できたのではないかと思います。また理論的な問題、例えば、主体、同一性、真正性の問題等もありましたが、今後もこうしたシンポジウム等公開の場を設けて検討できればと考えております。
 このシンポジウムを企画したのは、「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」という10名少しでやっている団体です。私たちはこうした活動を続けていきますが、これは他の団体、組織による活動を決して妨げるものではなくて、個人であれ、組織であれ、様々な方がオーラル・ヒストリーの実践を積み重ねていくことによって様々なオーラル・ヒストリーができて、それぞれが相互参照されて文字資料とともに、豊かな歴史資料が作られていくことが重要になっていくのではないかと思います。このシンポジウムの議論が皆様方のオーラル・ヒストリーへの関心を少しでも引き出すことができたとすれば、主催者の一人として嬉しく思います。駆け足になりましたが、これで閉会の挨拶とさせていただきたいと思います。
 最後に、このシンポジウムの記録は、映像、音声もとっていますが、書き起こして文字化して公開することを予定しております。もし今発言されて、公開はやめて欲しいとか、少し手を入れさせて欲しいという方がいらっしゃいましたら、このシンポジウムの後に私たちの方にご連絡いただければと思います。

粟田:
こちらに「シンポジウム オーラル・アート・ヒストリーの可能性」というアンケートがあります。加治屋さんがおっしゃいましたように、あくまで可能性のための議論を多くの方々と共有したいと思っておりますので、是非一言でも構いませんので皆様のご意見を伺いたいと思います。受付の方で回収しておりますのでよろしくお願いいたします。
 本日は長い時間にわたりありがとうございました。コメンテーターの方、発表者の方、また本シンポジウムにご協力いただきました国立国際美術館関係者の皆様、そして聴衆の皆様、どうもありがとうございました。