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前川秀治インタヴュー2 2018年1月22日

京都市左京区 元・白川小学校にて
インタヴュアー:中谷至宏、山下晃平
書き起こし:日本職能開発振興会
公開日:2020年7月4日
 

山下:2018年1月22日、滋賀県造形集団の前川秀治さんに、2回目のインタヴューを行います。最初ですが、前回、1984年の第2回目の野外彫刻展(「現代彫刻国際シンポジウム1984—びわこ現代彫刻展—」)が、規模も大きくなっていきながら、美術評論家の中原佑介氏や乾由明氏も呼びながらの大規模な展覧会ということですけれども、継続開催という熱意で滋賀県造形集団の方も動かれていってというところまで、話をしていただいたと思うのです。海外のドナルド・ジャッドとかも招聘しての大規模な話でありましたが、それぞれ運営の難しさということもあったというお話もいただきました。その続きからにしたいと思うのですけれども、1980年代に入ってきますと、いわゆる博物館の設立のほうはピークを迎えてくるという時期で、そのときに念願の、1984年8月25日に滋賀県県立近代美術館が開館するということでした。それで「現代彫刻国際シンポジウム」ですね。1984年の開催が9月ということで、ほぼ同時開催だったという話でしたね。

前川:そうです、はい。

山下:そういったところも踏まえて、滋賀県立近代美術館がまず開館した時の状況ですね。当時、アメリカの現代美術も入ってきてという、このあたりの状況をまず思い出して、お話しいただければと思うのですが。(注:滋賀県立近代美術館の収集方針の一つに「戦後のアメリカと日本を中心とした現代美術」がある。)

前川:そうですね。滋賀県立近代美術館、特色作りということで、アメリカの現代美術のほうで、どっちかというとみんなをびっくりさそうという段取りで、構想がそういう方向に動いていきまして。言いようで、普通のいわゆる県会議員とか、なかなかうるさいんで、それにしても安い買い物もいろいろとしていたということでございます。現代美術のほうでも、収集につきましては、ありがたいことにね、ちょっとつながりがあったと思いますので、いわゆる泰西名画の一点物という収集のしかたではなくて、いろいろと時代ごとに押さえていくということで、なかなかいい収集をされたかなと思ってます。

山下:そうですね。今ではほんとに、現代美術が近くに見えて、私なんかもありがたいんですが。

前川:小倉遊亀さんの作品も併せて、郷土ゆかりの作家たちということで。

山下:そうですね、部屋もあって。

前川:はい。そういう部屋をこしらえ、そして、ミュージアムとしての、いわゆる地域に関係ある、滋賀に関係ある作家たちの作品を集めて、やってくれていました。そういう意味では、その三本柱は、なかなかよかったかなと思います。ギャラリーも、念願のものを造っていただいたんですけど。

山下:ああ、真ん中のですね。

前川:はい。ただ、やっぱりこっちの設計のお願いのしかたが、なかなか伝わってなかったという。一口アドバイスの世界も含めて、光の関係ですね。やっぱり照明、光の関係、採光の関係がなかなかできてないというのが、ちょっとつらいところがございました。

山下:ああ、そうだったんですね。

前川:企画室等につきましては、だいぶトーンを落として、暗めでやってくれてますので、それは作品のためにということでございますので。

山下:そうしたら、やはり収蔵の方向性としましても、結構、立ち上げ時の滋賀県造形集団の考えが。

前川:ええ。ちょっとその思いも伝わっていると思います。

山下:設立準備に当たっては、(現代彫刻国際シンポジウム1984–)「びわこ現代彫刻展」も動いているしというような機運も重なっていっての、近代美術館だったんでしょうか。

前川:そうです。何というか、近代美術館のための「びわこ現代彫刻展」の世界かなという、両方相まっての思いで計画したわけでございます。

山下:今は閉じていますけど、滋賀県立近代美術館は、庭にもドナルド・ジャッドの作品とかを出て見れたりという配置もありますが、実際ドナルド・ジャッドが(びわこ現代)彫刻展に来ていますけれども、こういった流れもあるというか。

前川:そうですね。

山下:「誰をチョイスしていきましょう」なんていう話も、いろいろとあったという。

前川:ええ。やっぱり、全部準備室のやり取りでやっていたかなと思います。われわれがその中に立ち入ることが、十分できてないというのがありますので。

中谷:その辺のいわば具体的なことは、どちらかというと造形集団さんのお話というよりは、美術館の立ち上げのプロセスに関係したことですけれども、準備室側が、いろいろ様子を見ながらというか。

前川:そうですね。

中谷:つまり、何かあるボードというか、会合があって、「造形集団さんも来てください」とか、あるいは、収集委員の中で造形集団さんの方もメンバーに入られるとかいうことは、具体的にはなかったですね。

前川:なかったですね。

山下:そこは、難しかったですか。

前川:はい。1981年の「びわこ現代彫刻展」もその間に挟まっていますので、その流れが、だいぶ効いていたと思いますね。その人脈とか、乾先生とかね、そういうつながりがあって、1981のそこまで集結できたということだと思います。

山下:大規模な。

前川:はい。

中谷:ですから、思ったよりも出てこないし、記録にも出てこないかもしれないんですけど、そういう人とのつながりで、滋賀近美の準備室のほうも共通していろんな関わる先生方だったりという中に、間接的にいろんな情報を聞きながら。そういう方々も、せっかくこういう立ち上げもあるわけだし、「それとリンクしながら、やったらどうだい」というようなサジェスチョンが、別のところがあったりとか。

前川:そうですね。

中谷:というようなことなんでしょうか。

前川:はい。

中谷:間接的にって言ったらあれですけれども、準備室の方向性に対して、直接的ではないですけれど。

山下:アプローチしていくという。

中谷:じんわり。

前川:じんわり。関係ないといわれたら、「いや、それはありまっせ」と。

中谷:はい、はい。そういうことですね。

山下:実際、「現代彫刻国際シンポジウム」(1984年)の準備に当たっては、準備室の方も来てますし、造形集団の方も一緒に四者会談していますしね。(注:1981年12月24日に第2回びわこ現代彫刻展に向けての四者会談が開催されている。県文振課、美・準備室、第1回展事務局、推進委員。)

前川:はい。それで、ロダン大賞展とかね、あちこちで、美ヶ原とかやっています土田隆生。今、代表でございますが、彼が、やはり流れをうまく引き寄せたんじゃないかなと。

山下:彫刻家の土田さん。

前川:ええ。あの当時の審査員とかいうのを、上手に関わり持てたとは思いますし。

山下:サジェスチョン、ファシリテートされていったんですね。

前川:はい。そこら辺は、準備室の先生方との関わりも、何やかんやわれわれも持ってはいるんですけど、直接的にどうのこうのということはやってないんですけども。

山下:「アメリカの現代美術でいこう」というふうに最初にひらめいた方は、どなたになってくるんですか。結構これは、斬新だったと思うのですけど。

前川:そうなんですよ。

山下:今、恩恵をあずかってるなと私は思ってるんですけど、準備室の方ということにはなるんですかね。

前川:そこら辺は、やっぱり人脈の乾さんあたりがしてるのかな。

中谷:何となく乾さんのにおいはありますね。

山下:次なる方向性として。

中谷:ええ。

山下:なるほど。ありがとうございます。

前川:「びわこ現代彫刻展」が、3年スパンで、国際シンポジウムでいきましたから。

山下:そうですね。

前川:これからは、いわゆる県の美術展というのは、要するに今までの県展、滋賀県美術展覧会と、これは裾野を広げるほうということで、やはり継続してこれからも改革してやらなければいかんと。質を高めるほうの県展を「びわこ現代彫刻展」の延長線上で、海外も含めて全国公募でやってくれと。

山下:ああ。県展のほうを更にと。

前川:それは思いを込めて、10周年の記録集にもちょっと入れてますけども、シンポジウムをやりましてね。そのシンポジウムで県展改革ということで、県展そのものの世界と、プラス質を高めるほうも併せてということで、いろいろと思いを込めて開催をしたところでございます。(注:1984年の滋賀県造形集団「10周年記念造形展」開催の際、11月4日にシンポジウム「湖国・文化・造形―この10年を振り返り、明日を展望するー」(県立水口文化芸術会館)を開催している。)

山下:最近の「BIWAKO大賞展」もありますので。

前川:その記録集も、持ってきたと思うけどな。

山下:ああ、そうですね。「シンポジウムで県展の在り方にも多くの発言があり」という、「これを契機として県展改革に取り組み」というふうに書いていますね。

前川:持ってきたはずだけど、どっかいってしまった。また後で出てくると思います。

山下:はい。

中谷:何年のシンポジウムででしたっけ。

前川:1984年。

中谷:84のですね。

前川:はい。ちょっと待ってください。

山下:ここですね。あと、現代美術も含めた近代美術館がついに滋賀県に開館したということで、新聞記事にもあるんですが、実際お客さんとか、時々見に行かれた開館当時のご様子なんかを、少し思い出話をいただければと思います。お客さんの反応といいますか、市民のというか。

前川:そうですね。開会記念の展覧会がございまして、目玉をちゃんと網羅する形で、やってくれましたんで。そのときの冊子も美術館が発行しまして、なかなか見応えがありました。あれは、私も宝物にはしていますけどね。

山下:そうですか。また見せていただければ。

前川:ええ。そういう思いで、当時のできたところは大歓迎でおりました。直接、お客さんの反応までは見れてないんですけど、われわれも巡回展をやらせていただいて、5館巡回で、最後に県立近代美術館でやらせていただいたと。(注:滋賀県造形集団も1984年に「10周年記念展」を開催している。安曇川文化芸術会館(9/27–10/5)、長浜文化芸術会館(10/10–10/19)、八日市文化芸術会館(10/21–10/31)、水口文化芸術会館(11/2–11/10)、そして最後に滋賀県立近代美術館(11/13–11/18)と巡回した。)

山下:11月ですね。

前川:いずれにしても、これは、ギャラリーを中心にやらせてもらったところでございますので。

山下:なるほど。ありがとうございます。これでようやく滋賀県に美術館が念願のということだったと思いますね。

前川:ほんとにね、念願のものができて、「これで解散してええやろう」という思いも、半分あったんです。

山下:ああ、少しの達成感が。

前川:ただね……

山下:終わらなかったですね。

前川:ええ。やっぱり県展そのものが、旧態依然たるかび臭い匂いがしていまして、若い作家が魅力を感じて出品しているかといったら、そういう要素は、全然と言ったらいかんけど、ちょっと希薄でございますので、これはやっぱり改革していかんといけないと。いわゆる部門を、平面・立体・工芸・書という4部門にしまして。

山下:ああ。平面と立体に、そうですね。

前川:立体・工芸、はい。

山下:日本画とかではなくてですよね。今、それに向かってます。

前川:それで、大きく捉えてやっていこうと。平面のほうにも、立体的なものももちろん出てくることを期待して。

山下:はい。インスタレーション的なものも。

前川:ええ。いろいろと思ったんですけどね、なかなかあれですけど、他府県に先駆けて、そんな形で平面・立体・工芸の部門構成ということでやらせていただいて。

山下:なるほど。

前川:で、無鑑査制度を廃止して。

山下:無鑑査で出品できる形ですよね。

前川:はい。審査員と出品者のつながりを、しがらみがないようにということで。

山下:確かに。聞く話です。

前川:県外の審査員ということで、これもずっとその当時から、一生懸命改革をそこから取り組んでいったところでございます。

山下:そうなんですね。それは、つまり滋賀県造形集団の方々が、また県の運営委員の方々にアプローチをしていくという。

前川:はい。部門委員というか、美術部門委員を、滋賀県美術協会だけじゃなしに、造形集団側も3分の1ほど入れさせてもらって、何とか改革しようと、大反対を受けながらやったんですけど。

山下:反対が多かったんですね。

前川:そうですね。やっぱり新しいことをということで、あのときはあんまり若くなかったですけど、若い意見をということで。

山下:すごい熱意があったんですね。

前川:ええ。

山下:今、県展は確かに平面・立体。ですから、このときの機運があって。

前川:ただ、ちょっと目を離しますと、「無鑑査制度を何とか復活させろ」とかね、すぐ旧態依然たるところに戻りそうで。

山下:それで今まで30年。

前川:変な抵抗を一生懸命してました。

山下:そうですか。

中谷:これも、県展の運営組織ということで言いますと、予算的には全く県ですよね。

前川:そうです。

中谷:県のある担当があって。

前川:実行委員会、ええ。

中谷:それと美術協会が、まず基本母体ですか。

前川:基本母体ですね。

中谷:そこに、ぐぐっと造形集団として入り込んでいかれて。

前川:はい。部門委員って実行委員会みたいなものですけど、芸術祭実行委員会の中に部門委員会を作ってもらって、そこにわれわれが入るということと、併せて、もっと学識経験者とかね、キュレーター、あるいは評論家という形で入らないかということで、一生懸命運動はしているんですけど、まだそこまでいってません。教育者の関係とかもちょっと入れたり、一生懸命やってはきてるんですけど、まだまだ、もうちょっと魅力作りをしないといかんなということで、公開審査までこの前やりかけたんですがね。微々たる動きでございますけど、ぼちぼちそんな形の。(注:滋賀県芸術文化祭実行委員会、美術部門委員会:改革委員会等々で現在に至る。)

山下:少しずつ改革を。

前川:はい。で、その次が、BAO(注:Biwako Artists` Organization の略称。)の方向になってくるんですね。

山下:先生、その前にもう少しだけよろしいですか。

前川:はい。

山下:そうやって県展も改革して、現代の流れというものに反応していこうということが見えたなと思ったのですが、少し確認なのですが、実際に京都の国立近代美術館では「現代美術の動向展」というのが開かれていたり、ギャラリー16とかギャラリー白のほうで、「フジヤマゲイシャ」(1982年)というような、京都芸大と東京藝大の若手のグループも少しずつ積極的な動きが出てきていたのかなと思うのですけれども。

前川:そうですね。

山下:こういった若手たちのグループ展とか、「現代の動向展」のような動きに対しては、滋賀県造形集団で皆さんが集まった時には、どういった反応を持ってという。

前川:母体としてはあれですけど、アンパン形式でずっとやっていますので、主なものを、新しい息吹をということで思いは思うのですけど、もうひとつ…… 出てくるものもありますけど、なかなか難しいことでございます。いろんな作家を招聘してきたりとか、アーティスト・イン・レジデンスとかいう形での何かの世界ができないかなという思いはずっとありました。

山下:またそれとは違う、自分たちでという。

前川:はい。われわれが展覧会を見に行くのももちろんですけど、それと同時に、併せてびわこ現代芸術センター、国際芸術センターということで。(注:1989年6月の滋賀県造形集団総会で、「びわこ国際文化センター」(仮)設立へ向けて動きだすことを決める。10月に第1回びわこ国際文化センター発起人会が行われる。彫刻家でその後のBAO(Biwako Artists` Organizasion)代表となる吉川恭生が合流する。)

山下:構想が。

前川:はい。構想を持ちまして、それがベースで、いろいろビジュアルに示していこうというのが、BAOになってくるわけです。(注:1990年3月に第2回センター構想委員会が開催され、びわこ国際美術センターからびわこ国際現代芸術センターへ改称。その際に、音楽、演劇、文学などのメンバーも加わったアーティスト集団BAO(Biwako Artists` Organizasion)が結成される。)

山下:なるほど。そうしたら、京都のそういった動きも捉えつつ、やっぱり滋賀県で何かをしようということですかね。

前川:はい。

山下:造形集団の方が、個々に京都の動きに参加したりもあるのですか。

前川:われわれの仲間が関わって運動しているということはなかったですけども、みんな楽しんではいたと思いますけど。

山下:分かりました。あと、もう一つ、時代的な様相を確認しておきたいと思うのですが、1980年代になりますと、東京都美術館と京都市美術館で、いわゆる日本国際美術展、東京ビエンナーレと、隔年で現代日本美術展というのが開催されていたと思います。これは、いわゆる隔年開催での大規模な公募展だったと思うのですけれども、土田隆生さんも第18回の日本国際美術展には入選をされています。

前川:はい。

山下:自分たちの造形集団の巡回展がありつつも、こういった大規模な公募展をどう捉えるかという、その時の思いはどうだったでしょうか。

前川:そうですね。積極的に動きとして自分が挑戦してみるとかいうところまで、ちょっといってなかったですね。

山下:いってなかったですか。

前川:はい。いっている連中もいましたけど、われわれとしては、もう四苦八苦でございました。

山下:自分たちの運営とか、実際「現代彫刻国際シンポジウム1984」を開かれますし。

前川:はい。

山下:個別に出品している方もいたということですか、土田さんみたいに。

前川:それは、入選したら、みんなでお祝いしたりとかいうこともありますが、直接的にその記憶があんまり。

山下:前川さんは、先生のお仕事もあって忙しかったと思うのですが、出品までは考えておられなかったという。

前川:そうですね。いわゆるタブローと版画と並行してというのが、相当しんどい思いでしたので。二つの団体展に何とかと思ってやっていたんですけど、やっぱり版画のほうも、団体展は日本版画協会というのがありますけど、そこら辺にちょろちょろっと出して、あとは地元で一生懸命やろうかという、京都銅版画協会でやっていました。あれも年間2、3回展覧会ありますので、両方やるとすると大変ですわ。平面と版画と。

山下:そうですよね。

前川:平面じゃない、タブローと。

山下:タブローと、はい。滋賀県造形集団が集まった時に、話題になることはあったのでしょうか。すみません、念押し確認的で。私が興味があるので、日本国際美術展と現代日本美術展が開かれていることは、造形集団の中では認識はありましたか。

前川:はい。思いはみんな、みんな見に行っていたとは思いますけどね。

山下:分かりました、ありがとうございます。

前川:あまり本質的な話が、私、ずれてますが。

山下:いえ、大丈夫です。お記憶の範囲で、いろいろお話しいただければと思っていますので。ありがとうございます。

中谷:これは、またBAOの時でもいいんですけど、この当時で造形集団として、あるいはグループで、作家活動ではなくて、作家を支援したりとか、作家が活動する、活躍する場を作るみたいな運動を集団で取り組むということについて、当時何かイメージとして、モデルのようなもの。他府県とか、もちろん情報として外国とかでもいいですけど、「こんなことあるらしいで」「こんなこともええな」というような、他でやっておられることに対しての影響みたいなことというのは、この当時は何かありましたでしょうか。

前川:いろいろちょっと調べていたんですけど、これは、BAOの仲間の代表。あのときは実行委員長だ。

山下:吉川恭生さん。

前川:吉川が、奥さんと、スイスの女性でございますけど。

山下:そうですね。吉川さんは、一度お会いしたことがあります。

前川:そうですか。彼が「これ、訳してまとめないか」ということで冊子を持ってきまして、奥さんが日本語に訳して、それを私が打つという。でたらめをやっていましたけど、ちょっと訳して、こういう奨学生制度も含めて、キュレーターの役割とか美術施設の役割なんか、「ああ、ええね」と。日本はやっぱり、しがらみがいろいろあって、キュレーターが思い切ったことができない。キュレーターが、下手すると、地域のほうでいくと、専門職というか、行政職の役割ばっかりで大変だという。キュレーターはキュレーターの本来のやり方が、これは本当に私はびっくりしましてね。

山下:当時、フランスとスイスのほうにいた吉川さんがBAOには関わってくるということですが、滋賀県造形集団の方にも、「こういった情報もあるよ」と持ってきてくれたことがあったということですかね。

前川:はい。やっぱりこれから、情報を収集して県民の皆さんに提供する場、発信する場になって、やっていかないかということで、この……

山下:BAOになっていくということでしょうか。

前川:そうです。「びわこ現代芸術センター構想」で動くわけですね。

山下:そうですね。その設立経緯が、非常に興味深いなと思って。

前川:1989年ですね。造形集団の総会で、「びわこ国際現代芸術センター」を何とか構想を打ち立てて。

山下:1989年の時点で出たんですね。

前川:1989年、はい。6月に。あと、プレシンポジウムを、その年でしたか、やりまして。これがそれだったかな。これはシンポジウムか。ああ、これです。「A Pier(アピア)」って名前をつけまして、そこへこういう発起人でまとめていったんです。(注:資料を見せて頂きながら。1989年11月23日にプレシンポジウム「A Pier びわこ国際現代美術センター設立にむけて」を開催している。いこいの村 びわ湖(滋賀県大津市)にて。)それで、この井上隆夫という、今、現代美術で頑張っていますけど、彼がうちのいわゆる構想の代表として、造形集団の代表でなしに、独自にこの構想で活動を開始しようかと。全権大使ですわ。その全権大使が、みんないろいろ集めたんです。

山下:自分から声をかけてですか。

前川:はい。吉川に白羽の矢を立てて、そこから話し合いを進めていくという。吉田孝光もいたな。

山下:そうしたら、ちょっと確認なんですけど、「現代彫刻国際シンポジウム」を終えて、次の動きとしまして、同じ彫刻展の継続というよりも、BAOは1990年なので6年間ありますので、そのスタートとして、井上さんが「次なるステップにいこう」と。

前川:そうそう、はい。

山下:それで「びわこ国際現代芸術センター構想」というのを、「こうじゃないか」と動きをかけたということになるんですか。

前川:はい。そのシンポジウムをその年にやりまして、私の位置は、滋賀県造形集団のそのときの代表でございました。で、「おまえ、何とかサポートせえ」という、井上全権大使をサポートする形で、造形集団が関わるという形でやってきたところです。

山下:実際、なかなか「びわこ国際現代芸術センター」を設立するまでは非常に難しかったという状況のようですが、Biwako Artists' Organizationという組織を作って。

前川:ええ。これが、実際プレシンポもやったんですけどね。これがそのときの、これも一緒にまとめたのかな。(注:手元資料を見ながら。)

中谷:これ、造形集団で前川さんが代表をされていて、この中(Biwako Artists' Organization)には、造形集団のメンバーとダブるというのは。

前川:その当時は、園田(恵子)も深田(充夫)も、中川(英氣)。

中谷:井上さんも、一応、造形集団のメンバーという。

前川:ええ。竹田(佳宏)、伊藤(満明)、結構いましたね。

中谷:いっぱいダブっていて、個人としてと、それから、造形集団という団体でという。

前川:はい。で、吉川の流れと、もう一つは、篠由可里とかね。この辺は八日市高校の出身で、なかなか優秀なメンバーが揃っていました。そこからまた、田中広幸もそうかな。人脈をつたって広げていったということですね。これが、要するにBAOの実行委員リストということですね。

中谷:ということになるわけですね。

山下:なるほど。これは非常に分かりやすかったので、BAOの図録の中でも。(注:「BAO発足から芸術祭まで」『BAO1990』(図録)、1991年、p.90。)

前川:ああ、そうですか。すいません。ちょっと私も、図録を全部しっかり読んでこないといけないんだけど、時間がなくて。

山下:いえ、これが非常に興味深く。

前川:はい。みんなまとめてくれていますので。

山下:そうしたら、BAOのほうにいきたいと思うんですけれども、1980年代を経て、1990年にまず「BAO芸術祭in沖島」を開催すると。(注:沖島は琵琶湖の中にある有人の島。滋賀県近江八幡市。)実際これは、美術だけではなくて、音楽とか舞踊とか、文学、パフォーマンスも対象ですよね。

前川:はい。

山下:沖島という琵琶湖に浮かぶ小さな島を会場としていたということで、かなり大きな動きだったと思うのですが、最初に確認なのですが、井上さんが「びわこ国際現代芸術センター」を立ち上げた後に、フランス、スイスにいた吉川さんに声をかけたところ。

前川:現代芸術センターは、もちろんできてないので。

山下:ああ、そうですね。

前川:その構想で、運動を開始しようと。それをビジュアルに示していこうじゃないかと。ビジュアルに、そしてインパクトある形で。そうなると、芸術そのものに熟している、過去のアートで熟しているところじゃなしに、全くサラピンのところへ持っていって、そこで一生懸命、新しい芸術の世界をどんどん皆さんにも知っていただきたいし、人とアートを連鎖していくスタート、人とアートの連鎖ということでビジュアルにやろうじゃないかと、美術の連中ばっかりでまずスタートしてるんですけどね。

山下:そうですね。

前川:その実行委員でやるわけですけども、単に美術だけじゃなしに、文芸の作家もちょっと呼び、そしてまた、音楽の、パフォーミングアーツの連中。そういうようなものもいろいろやってみようじゃないかということで、総合芸術祭にしようと。これは、一美術文化の世界だけじゃなしに、総合的に芸術を捉えてやっていこうということで、スタートしたところです。

山下:はい。

前川:で、どういう人に声をかけて広げていくかですね。われわれの知っている延長線上に、ちらちらと人が見えてくるという。「パフォーミングアーツやと、あいつかいな」とかね。

山下:実際、140人ぐらいの。

前川:そこから広げていって、音楽だったら、藤島啓子さんとかね。

山下:じゃあ、口コミというか、直接連絡という形ですか。

前川:口コミで、はい。「面白いぞ」という形で人選していったんだと思うんです。そこから広がって、いろんな人に。これがまた、仲間がどんどんできましてね、第1回目はめちゃくちゃ面白かった。

山下:そうですね。フランスに在住していた彫刻家の吉川さんを、今回のBAOに関しては代表という形にされたのは、その経緯はどうなりますでしょうか。

前川:その経緯は、やはり井上氏だったかな。われわれももちろん、ちらっといろいろ話を聞いてたし。

山下:ちょうど吉川さんが戻ってきていたんですかね、こちらに。(注:代表となった吉川恭生氏は、1959年に滋賀県大津市の生まれ。)

前川:そうですね。

山下:今は高島の方に住んでおられますけど。

前川:お父さんとの関わりとかね、私らは、どっちかというとそっちの方が多かったんですけど。

山下:ああ、そうですか。その辺、なかなか見えてないことなので。

前川:結構面白くて、しゃべらせたら切りがないんでね。

山下:そうですね。1回お会いしました。

前川:なかなか迫力があるので、「これ、ええで」ということで。

山下:じゃあ、一緒にやろうと。

前川:はい。

山下:なるほど。で、吉川さんが入ったという点も新しいですし、立ち上げたというのが見えてきたのですけれども、今のお話で、「もっと広げよう」というのもメンバーの中で自然に。

前川:ええ、そうですね。

山下:次なる展開として、美術にとどまらないでいこうというふうにされていったということなのですね。

前川:はい。

山下:そうなりますと、次は沖島なのですが、沖島を選んだ経緯というのは。

前川:サラピンで、とにかく日本で唯一人の住む島ですね。淡水湖の島で、唯一人が住む島。あの当時で750名ぐらいいたのですけど、今、もう300ぐらいになっていますけど。われわれとしては、造形集団としての総会やら、それまでに行っているんです。

中谷:なるほど。

前川:何やかんや向こうの民宿のおやじさんとしゃべったりはしていたので、ここにしようかということになったんですね。

山下:その決断は、結構すごいことですよね、この時代。

前川:いや、真っ更な所で、京都でやっても面白くないぞと。

山下:(滋賀県立)近代美術館を使わないで。

前川:うん。特に、島そのものを舞台にしようと。サイトアートというか、その場で制作過程も見せようじゃないかと、半月見せて。

山下:そうですね。開期も長い、1ヵ月。

中谷:今でこそ瀬戸内をはじめとしてですけど、一つ先行例で言うと牛窓ぐらいですかね。(注:岡山県牛窓で開催された「JAPAN牛窓国際芸術祭」は1984年〜1992年に計9回開催されている。)

前川:ええ。

山下:浜松とか。

前川:あの当時は、私ども、そこら辺の頭はなかったですけどね。

山下:そうですか。

前川:どっちかというと、沖島という、他の下敷きは全然感じなかったですね。

山下:そうなのですね。

前川:私が感じてないのかもしれませんけど、実行委員の中では、思っているのが井上さんぐらいかな。

中谷:時期的には、先行した、屋外中心でアートフェスティバルっていうと……

前川:牛窓でやっていた。

中谷:ぐらいですね。

前川:はい、はい。

山下:1990年、ちょうど牛窓の第7回も開催されていますね。

前川:ああ。なるほど、なるほど。

山下:じゃあ、そちらに見に行ったとかでもなく。

前川:そうですね。私は、全く行ってないです。

山下:そうですか。すごいな。

前川:それで、下見も何べんもやって、人とアートのつながり、人と人の連鎖ということで、学校関係者もいましたし、PTAにお願いに行ったり、いろいろ地区の会長さんかな。

中谷:これ、沖島にしようと決めてから、実際オープニングまではどれだけの時間がありますかね。

前川:どうだろうな。

中谷:開いたのが、1990年10月ですね。

前川:はい、はい。

中谷:決めるのがここだから、ものすごく短いですよね。(注:前掲『BAO1990』を確認しながら。)

山下:結構短い。

中谷:3ヵ月で搬入しているということで。

山下:私も思ったんです、これを読んでいる時。

中谷:現地の人というのがね、もちろん住民や行政と折衝をされたという。で、「いいんじゃないか」ということになったといっても、すごいですよね。

山下:説明はどうだったのか。特に反対はなかったんですか、住民の方から。

前川:いや、それは全く。

山下:なかったですか。

前川:はい。若いのが来て、にぎやかになってという。

山下:歓迎だったんですか。

前川:どっちかというと。「何すんねん」というあれはありましたけど、こうやって鼻で笛吹いてね。これでやると、「面白いことをするな」と。

山下:ああ。実際、相当な場所に展示しましたけど、場所の使用許可もすぐ得られてという。(作品は沖島内の港付近、神社や小学校など様々な箇所に設置された。)

前川:ええ。港湾関係、いわゆるそういう許可の世界もありますけど、近江八幡市の後援も受けて、補助も受けていますので。そういう流れも、何ていうか、動けるメンバーがいろいろ動きましたね。

山下:すごいですね。

中谷:これは、近江八幡市との協力関係を取りつけられたわけですけれども、行政の人は全く入ってこずで、認可だけで。

前川:そうです。お金は、ちょうだいしましたね。

山下:ああ。予算的なところも確認させていただけると。

前川:「びわこ現代彫刻展」の時のやり方を、土田さんの力を借りずに、われわれ若いのでやろうかと。若いというか、私が一番年だったんですけど。井上さんが一番年で、私がその次でございましたけど、あと若い連中で。若い連中のパワーというのはすごくて、私もこのときは、ああ、そうだ。1年間給料もらいながら、内地研修ということで、芸大の版画のほうへ一年間研修に行かせてもらっていたんです。

山下:そうなんですね。

前川:そのときに、先生に「すいませんね」と言って、一月半は遊びました。

山下:なるほど。県の予算も、今回は野外彫刻展でもないし、近代美術館も使わないけれども、「出しますよ」というふうになったと。

前川:まず、今までのセオリーからすると、とにかく知事、県のほうへ行って、「びわこ現代彫刻展」の時は2,000万頂きましたので。

山下:そうでしたよね。

前川:何とか、今度は総合芸術祭だから、「なかなか厳しい時期でございますけど、何とかお願いできませんでしょうか」と言って、200万。一桁違うんです。

山下:そうですね。一桁変わりましたけど、それでも許可は出たんですね。

前川:はい。ありがたいことでね。あと、その成果を持って近江八幡市へ行って、何とか100万をと言ってましたけど、85万くらいだったかな。予算、どこかに持ってきてるわ。(注:手元資料を確認しながら。)

山下:はい。ちなみに会期を1ヵ月としたということで、吉川さんも言っていたのですが、運営面も結構苦労したと。監視のこともあるし、船で行かないといけませんから、送迎とかもあるんですが。

前川:そうそう。台風も来ましたしね。

山下:ああ。

前川:だから、事故があったら大変だと、保険はそんなに大きく掛けなかったとは思うけど、何らかの配慮はしていたと思います。そのときに、船の行き来につきましては、教育委員会、沖島小学校PTAが「全部やってあげよう」と、船で、あれは長命寺から。

山下:そうですね。あそこからしか出ていませんから。

前川:そうです。

山下:小さな港があって。

前川:本当にありがたいことでした。いまだに沖島へ行きますとね、BAO言うたら思い出してくれます。

山下:そうでした。2015年に行きましたけど。そうしたら、監視とかも、結構ボランティアを募ったということになるんでしょうか。

前川:われわれのメンバーが一生懸命、できる限りは。監視というか、監視よりは、空き家を借りまして、そこを事務所にしまして、毎日数名、アーティストがそこへ泊まり込むという。これは、企業から120万ほどもらっていますね。

山下:そうですか。

前川:個人から32万ぐらい。県が200万で、市が75万。で、うちのBAOの手持ちを82万。

山下:なるほど。

前川:それで、観客から頂きました船賃。これも入れていただきました。

山下:鑑賞の費用は、入場料というのは特に取らずですか。

前川:取らずに、船賃が。

山下:船賃だけ。

前川:ええ。船がネックであり、また、お金を頂ける唯一の世界だと思います。

中谷:船の運航は、どこの管轄の。

前川:PTA。

中谷:ああ、そうか。それを別途に。

前川:全面協力です。で、文化振興基金が92万かな。668万ぐらいという、これ、いつの時点だろう。90年10月。

山下:すごいですね。そうやって集めていって。

前川:ええ。で、印刷が170万です。この冊子の金額です。

山下:はい。

前川:船舶費が85万、運営費が231万か。何だかんだと要りました。

山下:海外の方も結構来られているんですが、海外の方の交通費とか宿泊代とかは、アーティストさんの心意気というか。

前川:そうです。パフォーミングアーツやら音楽系列は、なかなかね、ちょっと補助を出したかなと思いますね。

山下:少しは出されたんですか。

前川:そうしないと、やっていけないし。ギャランティーをベースにするアートと、われわれみたいなお人よしで、どっちかというとお金出してやるほうの違いなんで、これはもう、致し方ないという。多少、どれぐらい出したか、ちょっと覚えていないですけど。

山下:海外のパフォーマーの方もいっぱい来られているんですが、この趣旨を説明すると、賛成というか。

前川:そうです。賛同していただきまして、ほんまに微々たる出演料だけです。

山下:会期を1ヵ月に延ばされたというのは、どういう意図というか。結構、延ばせば延ばすほど大変にはなってくるのですけども。

前川:大変は大変だけど。

山下:それぐらいは、しないといけないというか。

前川:そうですね。私も、たまたま遊べる時間を頂きましたんで。

山下:すごいですね、1ヵ月間運営するって。

前川:それがなかったら、私、こんなのやってませんでしたもん。

山下:ああ。そういう条件もあったのですね。

前川:あんな島に泊まり込んで、魚釣っては事務所で食べさせ。

山下:前川さん、研修中だったのですね。

前川:シンポジウムの時には60人にブラックバスを、言いましたかね。言いましたね。ブラックバスを、私、徹夜で釣ってきて。

山下:いえ、それは。

前川:言ってないですか。徹夜で釣って、60人の、一人これぐらいの切り身を二つ、ブラックバスの塩焼きを小皿に乗せて配って。

山下:本当ですか。

前川:あとは一生懸命、こう、そのシンポジウムでございました。(注:会期中の10月28日に「びわ湖国際現代芸術センター構想シンポジウム」、11月11日に「ファイナルシンポジウム」を開催している。)

山下:そうなのですね。なるほど。ちょっと全体像が見えてきましたけど。

前川:私もね、前の晩、徹夜していましたから、カメラマンで途中しんどくなって、ちょっと若いのに助けてもらって。電話がかかってきましてね。「前川さんよ、あのな、今日わしの誕生日なんや」って、いつもお世話になっている民宿のおやじさんですわ。

山下:大事ですよね、住民の方。

前川:「来ないか」って。それで、シンポジウムをほったらかして、私と私のお客さんと2人で行きまして、一晩泊まって、たらふく飲んで、ただで帰ってきました。

山下:結構吉川さんも、住民の方との飲みが多かったというのは言っていました。そういうの大事ですよね。

前川:まあね、最高でございました。特に、キリンビールが実物支給ということで、「協賛金は出せませんけど、現物支給します」と、ビールの。それが助かりましたね。

山下:そうやって決まっていったのですね。

前川:それでもって、オープニングなど、いろいろとしたんです。

山下:もう一回確認なのですけど、作家さんは150名ぐらいになるのですが、公募は出していないということになりますか。

前川:これは、私、どうしたんだろうな。

山下:自然に集まっていったということになりますか。

前川:どうしたんだろうな。全国公募。

山下:はい。思い出せる範囲でいいのですが。会場説明会はあったという記録が。

前川:ええ、ありました。日にちを決めてね、船で渡ってもらって。

山下:多少、公募もしたのですかね。

前川:ええ。やっぱり方法は、それぞれの仲間の流れやら、それが主力だと思います。

中谷:「参加募集要項を配布」というのはありますけども、それは公募してというわけではなくて、賛同してくださいねというような形ですかね。

前川:あまりこういう印刷物よりは、手製のものだったと思いますね。趣意書と、なんか入れて、国際現代芸術センターの構想も込めて、声かけをしたんだと思います。これが、いわゆる空間芸術のほうで。

山下:これは、是非ゆっくりと見せてください。(注:企画書「びわこ国際現代芸術センターの内容」を受け取りながら。)

前川:これはお持ちください。

山下:ありがとうございます。

前川:2部ほどあったと思うので、1部だけ持ってきました。

山下:そうしたら、美術系では、自然素材を活用したインスタレーション系がずらっと出てくるのですが、加えてパフォーミングの方も、小学校や住民の方とかと一緒にということなのですが。

前川:そうです。その現場でこそという思いの、ええ。

山下:その意図みたいなものは、説明されたんでしょうか。

前川:全部それは説明済みで、「この場でやります」とか、大体は構想していましたので。

山下:説明はした上で。作品の方向性とかは、計画書の提出はありますけれども、基本は作家にお任せしていることになるのでしょうか。

前川:はい。

山下:特に「だめだ」というようなケースもあったのでしょうか。「そういう作品はちょっと」というような。基本、自由ですかね。

前川:基本、自由で、堅田のほうでは、何やかんやいろいろ問題がありましたね。(注:1991年には「BAO芸術祭in堅田」を大津市本堅田一帯で開催している。開催期間は1991年9月1日–9月23日。)

山下:ああ、そうですか。

前川:はい。素っ裸でパフォーミングアーツするという、歩くとか、「これはな」と。われわれは表現の自由だとは言うのだけど、やっぱり主催者側としては、どう考えるかなというのはだいぶもめましたね。そういうことで、歩いてもらうルートやら、何やかんや考えてもらったかなと思いますけど。

山下:結果的に作品は点在していたのですが、これも結局、最終的には作家が、「ここにしたい」というふうに決めて頂くということになりますかね。

前川:そうです。作家そのものの、いわゆる現場主義ですね。「この木」とかね、「この木にやりたい」とか。(注:美術や音楽、演劇、舞踏、文学のアーティストが国や世代を越えて参加し、島の港や浜辺、公園、路上、民家・空き家、神社、寺、小学校などの生活空間にそれぞれの創作、演示、発表をした。)

山下:じゃあ、結構滞在して作っていたということになりますか。期間は短いですけど。

前川:期間は短い、私も3日ほどで作りましたけどね。(注:制作や制作中を見せる期間は半月間。)

山下:そこに材料を持っていって。

前川:ええ。お世話係(作家たちの制作と設置のサポート)が大変で、自分の作品は、とにかくやっつけ仕事で。

山下:そうでしたか。前川さんの作品の《ぴいひゃら2》もお聞きしたいのですが、湖の中にということで、立体にされましたけれども、あのイメージが浮かんだ経緯みたいなものは、どうでしょう。

前川:それは、子供の遊びで、幼児教育の中で、音の出るおもちゃとかね、それを指導しなければいけない立場で、自分で作っていた音の出る竹とんびをベースに、波が来て音の出るものはできないかということで、これは確かに成功しました。

山下:音も鳴っていたという。

前川:筒の腹に穴を開けて、ここへ波の水圧がポンと来ると上へ空気が上がって、そこにちっちゃい笛を付けたら。

山下:ここですか。

前川:いや、何本も。で、ヒョウ、ヒョウ、ヒョウって。

山下:ああ、いいですね。

前川:で、ここに風見鶏みたいな風の方向を向きましてね、ここに歌口を付けて、ここに風が当たると、ホーッと。台風の時は最高だったみたい。

山下:そうですね。秋の台風の。

前川:人家のない所でやりましたので、良かったのですが、近所だったら大変だった。

山下:じゃあ、前川さんも、島を歩いて「ここでやろう」という。

前川:はい。

山下:竹とかも現場で切ったのですか。

前川:いや、これね、現場の竹はあんまりいいのがなかったので、土山のほうから頂いて、船で運んで、お世話係の合間で穴開けたり、突っ込んだり。

山下:大変ですね、運営しながら。

前川:組み立てるのは半日かそこそこで、鉄筋買ってきて番線で締めて。

山下:固定ですか。

前川:ええ。それで、水位が上がったり下がったりしませんのでね、どっちかというと。

中谷:満ち引きがないですもんね。

前川:そこら辺は、ありがたかった。琵琶湖ならでは。

中谷:湖ですもんね。

山下:150人ぐらいの作家さんが全部、実際私も乗ったから知っているのですけど、あの小さい船に積んでは、どんどん搬入していく。(注:沖島へは近江八幡市の堀切港と沖島港を結ぶ小型船に乗って移動するルートだけがある。約15分程。)

前川:そうそう。あれは、どっちかというと、堀切といって、こっちのほうのあそこから。また、住民のPTAの皆さんやら、仲間に助けてもらって運んでもらいました。

山下:何人かの方は平面の方もいらっしゃいますが、前川さんも元は油彩を出ておられますけれども、平面にするつもりはなかったということですかね。

前川:もう、これだと思いましたね。

山下:最初から立体。

前川:魚釣りと、これだと思って(笑)。

山下:変幻自在ですね。なるほど、分かりました。細かい質問なのですが、この中に、藤本由紀夫さんという方ですね。

前川:はい。

山下:今、メディアアートとしてもご活躍されてますが、「沖島の音機構」というのをされたり。

前川:はい、はい。

山下:具体(美術協会)の堀尾(貞治)さんとか、植松奎二さんのお弟さんの植松永次さや、結構多種多様な方が展示をしているのですけれども、そのあたりの展示の経緯も全部、口コミで「参加したい」というふうになって、その音機構もお任せでということなんでしょうか。

前川:お任せでやっていただいて、私の音もだいぶ拾ってもらいました。

山下:ほんとですか。

前川:はい。「そのテープ、あげようか」と言われて、私、ビデオに撮っておいてね、もうええわと思っていたのですが、もらっておいたらよかったな。

中谷:(笑)

前川:今、もうそのビデオがね、段ボール箱に入ったままで、再生がまだできていない。

山下:そうですか。貴重な。

前川:焼かないといけないと思っていますけどね。DVDか、焼かないと。

中谷:ともかくデジタル化して、打っておかないといけないと思いますね。

山下:実際、藤本さんが音を拾っていくパフォーマンスをしていた時は、住民の方、子供とかがついて回っていたんでしょうかね。

前川:どうだろう。そこまで、ちょっと私、見えてなかった。とにかく、パフォーミングアーツの連中の交通整理やら、いろいろ大変でしたね。船で送り迎えも、必ず一人乗っていく、乗って帰ってくるという、そういうことはね、当番制でやっていました。19名ほどのメンバーだったと思うんです。

山下:はい。運営ですか。

前川:実行委員が、こういう形で。

山下:19人で回していたんですね。

前川:ここら辺が新たに入ってくれた、これが文芸作家です。フリーライターだったと思うのですけど。この作家が、その次の年の堅田の実行委員長になったんですけど、鬼籍に入りましたけどね。(注:パンフレットを確認しながら。1991年の堅田での実行委員長は江阪敏彦氏。)

中谷:廣田(政生)さん。

前川:廣田君も、八日市高校の流れです。

山下:はい。

前川:面白い人も入っていますけど、実質12名ぐらいですね。実働12名ぐらいで。

山下:じゃあ、1ヵ月間、ほとんど入り浸りというような。

前川:入り浸りですね。それが12名ぐらいでくるくると回していって、一番楽したのが前川でございまして(笑)。

山下:(笑)

前川:どこも行く必要ない。

中谷:いいタイミングで。

前川:その代わり、嫁さんに怒られましたけどね(笑)。「お父ちゃん、どこ行ってますの」。

山下:作家の方は、結構沖島で取れるような木とか石とか、貝殻とかを使っているのですが、それもほんとに、何というか、自然発生的というか。

前川:そうですね。

山下:作家の方たちも「ここでやるなら、こんな感じかな」というような。

前川:はい。造形遊び的な要素とか、そういう世界もいっぱい持っていましたし、幼稚園や保育所で一生懸命そういう仕事をしていたのがいましたね。佐伯ひろむ氏。

山下:結構インスタレーション類が島中にあふれて、住民の方とかは、どんなご感想でしたでしょうか。楽しんでいただけましたでしょうか。

前川:「私らもやってみたいな」というのがありますね。沖島だったっけ。いや、沖島じゃない、堅田で住民が参加されましてね、「これだったら私でもできるわ」という。(注:沖島、堅田のいずれも会期中に複数のワークショップが開催された。)

山下:ほんとですか。そうですか。いいですね。2000年代以降の先駆け的な話。

前川:それはそうですわね。植木屋さんが竹を使っていろいろ虫を作ったり、やっていましたけど、私の竹とんびを見て、「おお」と。堅田のほうでございますけど。

山下:はい。あと、美術関係者の方が、会期中、見に来られましたでしょうか。

前川:それもね……

山下:研究系の川田(都樹子)先生とかは見に来られて、『美術手帖』にも制作の様子を書いてるんですが。

前川:そうそう。『美術手帖』に書いていただきましたね。

山下:はい。そういった視察的なことがあったというような思い出は、ありますでしょうか。

前川:いや、書いてもらったのは記憶に覚えていますけども。

山下:全国的に何か広報とかは、されたのでしょうか。

前川:『美術手帖』は、それで。あとはどうなんだろう。あちこち情報発信はしていたと思いますけどね。

山下:そうですか。一応、チラシ、ポスターを郵送して。

前川:はい。もちろん、図録はそのあとですけれども、記録として発信しましたね。

山下:新聞記事とかにも載ったりもして、ですよね。

前川:ええ。たくさん書いてくれまして、取材もよく来てくれました。

山下:そうですか。

前川:はい。ああ、これだ。前後する、さっきの記録集。これは、私の手作り。網点で写真が撮れないかやったのだけど、ズルズルで、「もうええわ。これでいけ」と。

山下:みんな手作りなのですね。

前川:製本だけは業者にしてもらって、輪転機でやりました。

山下:記録に残すというのは、やっぱり大事ですね。

前川:そう。これも、私の一字変換のパソコンで(笑)。大変でした、これ。

山下:そうか。

前川:前後してごめんなさい。

山下:いえいえ。ですから、本当にこのBAO芸術祭、今思うと、2000年代以降の大型美術展の先駆的な動きかなと思うのですけれども。

前川:その自負は、後で「ああ、なるほど」と思ったのですけどね。これこそ現代芸術センター。情報発信と情報収集、閲覧できる場、作家を育てる場。

山下:そこですよね。往々にして作家としては自分の作品に集中したいところですが、先ほどの19名の方々は、作家でもありながら、運営もやりたいという意気込みだったという。

前川:そうなんです。ちょっと悲壮な感じがしましたけど(笑)。

山下:それは、ためらいはなかったんですか。

前川:ええ。それはもう、楽しみで。

山下:そこがすごいですね。

前川:ミーティングが、大体夜の1時ぐらいになるんです。それから魚釣りに行くんです(笑)。

山下:タフだったんですね。すごいです。分かりました。じゃあ、堅田のほうも確認しておきたいのですけれども、沖島での件も住民の方の理解もあって大成功だったのですが、まず思いましたのは、隔年、連続開催にされたのが結構大変かと思ったのですが。

前川:はい。やっぱりビジュアルに、島では大成功しました。これを、もうちょっと人の、げた履きでも来てもらえるような場でやれないかということで、湖を渡ったんです。

山下:商店街一体や湖岸沿いということですね。

前川:はい。

山下:ちょっと条件が変わってくると思うのですけれども。

前川:だいぶ雰囲気は変わりましたね。

山下:それでも、許可も、商店街の理解も得られたということで。

前川:旅館やらのオーナーやら、教会やら、その辺の人たちには、十分ご理解いただいて、協力していただきました。

山下:普通、そこで「何をするのか」というふうになりかねないのですけれども、割とスムーズに。

前川:今までにないものが見ていただけたのだろうと思って、喜んでもらえたんだろうと思います。

山下:堅田にしたというのは、幾つか候補地はあったんでしょうか。

前川:あるのですけども、そうですね。やっぱり、ちょっと歴史的な部分で、堅田の湖族とかね、不思議とその魅力がわれわれにもありましたし、作家側もそれは魅力に感じてくれるものだと思っていましたので、美術館でというよりは、堅田という場を選んだのです。

山下:なるほど。今回も大規模になっていくのですが、同じく口コミでの招待を主力として、予算的にもまたご相談してということになるのでしょうか。

前川:ええ。予算も、大津市から結構もらっているとは思います。ただ、冊子の発行まではいきませんでしたね。記録集の。

山下:そうですね。記録集まではないようですけれども。

前川:だいぶみんな、2年目でくたびれてしまった(笑)。

山下:私も思ったのですが、連続ってすごいと思ったのですけれども、ためらいはなかったのですか。

前川:これ、会場で配ったものですけども、第1回目の沖島の記録を、そのまま利用したということで。(注:「BAO芸術祭in堅田」のパンフレットを見ながら。)

山下:なるほど。地元の仰木太鼓とか、観世流の能なども今回は入ってくるのですが、それも実行委員会の方で、より内容を広げていくというようなことがあったのでしょうか。

前川:そうですね。どうもあんまり2回目は、私も(大学に)戻りまして、下手すると役職が回ってくると思いました。危ない時があったのです。

山下:でも、やはり会期は1ヵ月でされたのですね。

前川:はい。ああ、彼の作品だな。子供のね。(注:佐伯ひろむ《おきしま》、前掲書『BAO1990』pp.52–53。)

山下:はい。

前川:佐伯君だ。もうアメリカに行っていますけど。

山下:でも、本当に堅田の規模も大きかったので、パフォーマンスの方で調整しないといけないこともあったということでしたけれども、展示もパフォーマンスも、地元の方にも見ていただいて。

前川:一応、見ていただいて、良かったとは思います。

山下:分かりました。ありがとうございます。

前川:やっぱり、でもね、インパクトは1回目。

山下:そうですね。このパワーは、すごいですよね。

前川:やっぱり舞台芸術の連中が、「もうちょっと何とかしてくれ」というのが出てきますね。総合芸術の考え方ということで、われわれが常識的なことが彼らには全然違うし、そこら辺は、ああ、つらいな、理解してもらえないなということもありました。それは、沖島では全然感じなかったことですけど。

山下:そうなのですね。

前川:沖島では完全スクラムが組めて。

中谷:ああ。その距離感というのは、沖島という特殊な所にみんなで行ってという環境が作っていて。

前川:確かにそうです。

中谷:普通の状況だと、その辺の思いの違いというか、ジャンルの違いが、あらわになってきてしまうということなんですかね。

前川:はい。仲間としての場が島でございますので、限られた空間の中で共同生活するような感じ。堅田ですと、囲まれた空間ではなくて、そこからあちこち飲みに行けるとかね、これはまた、いいようで悪いんですわ。

山下:ああ、堅田のほうですね。拡散してしまうのですかね。

前川:酒屋の酒蔵、昔の事務所を事務局に使わせてもらったのですけど、そこへよく通ってはいたんです。自転車で守山から堅田までね。なかなか雰囲気は面白かったのですけど、いかんせん、平日、なかなか出られない。

山下:なるほど。今度は忙しさもあって。

前川:ええ。あと、若い人たちが、よく頑張ってくれましたので。

山下:はい。現在、近江八幡で「BIWAKOビエンナーレ」というものが行われたりもしていますし、そういった芸術祭の先駆的なものになっていくのかなと思うのですけれども。

前川:ええ。そのつながりがあるだろうと思います。

山下:野外彫刻展、1975年から始まって、こうやって1991年の芸術祭まで、野外を場とする美術展というものがずっと走ってきているということが捉えられるのですが、そういった活動を振り返られて、次の1995年に向かうのですが、今思うところというのは、どういうご心境になりますでしょうか。

前川:そうですね。ほんとは、もう少しBAOの運営を何とかしていきたかったのですけど、2年に亘っていますけど、単発に終わったような感じがするので、そこら辺は、何というか、年寄りばっかりの世界の継続性と違う、若い実行委員の世界だと思うのです。これでバブルの、難しいところで、芸術的に「芸術センターそのものがね」という、ちょっとニュアンスが出てまいりました。

山下:出てきたのですね。

前川:こちらのほうでちょっとその延長線上まで行きましたけど、いかんせん、難しい経済の世界ですので。

山下:バブルも崩壊してくる時期に入ってきましたよね。

前川:はい。

山下:そうしたら、芸術祭を2回されて、1991年が終わりまして、一旦ここで止めようかという決断になったということでしょうか。

前川:はい。仲間が少し、ばらばらとしてきましたので。

山下:分かりました。じゃあ、そのまま次にいきたいと思うのですが、もう少しだけお話をお伺いして、少し休憩を。

前川:はい。

山下:そうしましたら、1991年に堅田が終わって、芸術祭が一つ終わります。ただ、その結果としてでしょうか、1993年には、県文化奨励賞を滋賀県造形集団の方が受賞するということになりますね。

前川:ええ、頂きました。

山下:そして、1995年ですね、芸術祭ではないのですが、再び「びわこ現代造形展」へと戻ってくる形になります。その経緯ですね。実際、バブル崩壊後の財政難の問題も出てくるのかと思うのですけれども、3回目をまたやるということですね。(注:「`95 びわこ現代造展」は、1995年5月1日〜20日にかけて、大津市浜大津・大津港イベント広場で開催された。)

前川:はい。

山下:滋賀県造形集団の中での、この5年の動きについて教えていただければと思うのですが。

前川:そうですね。節目、節目で何かやろうということでありまして、これが何周年記念かな。

山下:20年目ということになりますね。

前川:20周年記念の活動かと思います。記念して、また私が代表を降りて、土田さんに「頼んまっせ」と。彼のパワーはすごいので、記念ごとに「先生、頼みますわ」と言って、とにかく場を決めて、屋外で造形展をやろうという。平面の作家も参加しましたし。

山下:20周年ということでしょうか。今回は芸術祭ではなくてという方向になったのは、何かミーティングが繰り返されたのでしょうか。

前川:そうですね。「現代芸術センター構想」は、ずっと温めながらなのですけどね。それで、そのシンポジウムをやりましたけど、もうひとつ、やっぱりないものねだりという時代になってきましたので。今や考えられない世界ですけど、お金のある、まだ少しはある。

山下:1995年、そうですね。やはり財政的な問題が、大きくなってくるということですね。

前川:ここまで疲弊してくるかという。金利の関係かどうか知らないけど、基金そのものが、成立しない。

中谷:ああ、そうですね。

前川:基金で現代芸術センターをという思いは、あったのです。年間15億あればいけるという思いでいたのですけど、なかなか。今や47億か。今の近代美術館のあとの総整備、47億だと思う。(滋賀県立近代美術館は、2018年4月よりリニューアルのため休館中。)

山下:はい。

前川:それを、もう予算は増やさないという、準備室が増やさないということで、業者にお願いしたら、業者がなかなかね。大変な時代で、47億円だ。

山下:分かりました。

前川:ごめんなさい。すぐぼやく(笑)。

山下:いえいえ。何でもお話しいただければと思うのですが、1981年と1984年の時と少し違うところは、この「造形」という文字が目に入ったのですが。

前川:そうです。

山下:タイトルを、名称を「造形」にされたということは。

前川:今まで造形展をずっとやってきましたので、美術館で。(注:滋賀県造形集団としての展覧会は「造形展」という名称。)

山下:彫刻を外して。

前川:ええ。とにかく造形展ということで、われわれの当初からの動きは、野外彫刻展と絵画展で造形展という。この造形展という名称をそのまま使って、20周年の造形展という思いで、それも琵琶湖でやろうかという。

山下:資料を見ていましたら、一次審査は、資料審査という形にしたという動きもあったようですけど。

前川:そうです。美術館の方で一室借りまして。

山下:インスタレーションとかに利用していきたいというようなことが書かれていたのですが、そういう機運だったということでしょうか。

前川:エントリーシートを作っていただいて、それをベースに、審査員の先生がたにお願いして。

山下:それも、やはり滋賀県造形集団の中で、広くインスタレーション的なものも含めて、琵琶湖で展示していきたいという方向でいこうとなったのですかね。

前川:そうですね。いわゆる、何ていうか、平面作家は平面作家で、その中で大津港でやる世界をいろいろ考えてくれて、思わぬものができましたし。

中谷:ある意味で、最初の二つの現代彫刻展というのは、近代美術館という一つのイメージ、意味がありました。それから、芸術祭というのは、アートセンターというか、国際芸術センターという構想を脇に置きながらされたと。

前川:はい。

中谷:ここからは、何かに向けてとか、何かの機運とかということとは、少し違う形になっているのでしょうかね。

前川:そうですね。作家もBAOの流れの作家が出品してくれましたし、「これやな」という思いで、琵琶湖といいながら、びわこ現代彫刻展とは全く違う世界でやれるなという。われわれで全国公募ができるという、県にも市にもお願いはするけども、主体はわれわれの実行委員会だということの、そういう意味では本望な作品が集まりましたね。

山下:その辺のモチベーションは、滋賀県造形集団の中でも保たれていたというか。

前川:はい。BAOの経験も踏まえてという。

山下:なるほど。1981年と1984年の時は、美術評論家がかなり集まって、その方々が進めていったところもあったようですので。

前川:そうです。もうちょっと、われわれの地に足を着けてできる世界は、どんなものだろうと。それも手作りでという、手弁当で手作りでやるという、これはもう変わらない。もちろん現代彫刻展の時も思いはそうでしたけど、スケールが10分の1になっていますので、予算規模も。だけど、内容は10分の1ではあってはならんと。そこら辺は、お金もかかるところですけれど、作家はちゃんと応募してくれましたし、設置費用とか、ある程度の補助もさせてもらって、やらせてもらったところです。

山下:今回、こちらになりますと、芸術祭と違って前川さんとかも出されていないし、運営側に回っていたところもあるのでしょうか。

前川:ええ。われわれ実行委員会のほうで、実行委員長と三役ぐらいは、絶対やめておこうと。われわれのためということではなく、これからの近江の。(注:「`95 びわこ現代造形展」の審査委員は、石丸正運(滋賀県立近代美術館館長(当時))、乾由明(京都大学名誉教授)、速水史朗(彫刻家)が務めた。会場構成は、石丸正運、影石俊則(建築家)と滋賀県造集団の土田隆生(実行委員長)、前川秀治(事務総長(当時))が担当した。)

山下:若手のほうですか。

前川:湖国の美術文化のための現代彫刻展が、トリエンナーレでずっと定着するはずだったのに、やってくれない。

山下:なるほど。

前川:そうすると、われわれでまた示してみようという、その流れはベースにあります。

山下:いつも思うのですが、それがすごいですよね。作家でいながら。

前川:作家だから、逆に作家の集団だからこそ、できるものというのがあるのじゃないかなという。

山下:確かに。すごいですね。では、地に足を着いた、そういう場作りの造形展を、全国公募を1995年にするということですが、今回、審査員が石丸さんと乾さんと速水さん。

前川:そうです。

山下:この3人をお選びになったのは、滋賀県造形集団の中で決めたことなのでしょうか。

前川:滋賀県立近代美術館のつながりもありましたし、今までお声がけしてお願いできる世界は、速水先生と乾先生と。もちろん石丸先生は、われわれの今も顧問をしていただいていますので、そこら辺はご理解いただいて、ご協力いただけるものだろうということで、このときは電話一本でございましたけど、このときはやっぱりお伺いして、お願いに行ってきました。2人で行ってきました。

山下:「じゃあ、やろう。いいですよ」ということになって。

前川:ありがたいことでね、「よっしゃ」と言ってくれました。

山下:そうですか。運営の方向性とかで、何か乾さんや速水さんから意見とかもあったのでしょうか。

前川:いや、直接「こうせい、ああせい」は、全くないんで。

山下:審査だけ。

前川:はい。われわれは、大津港の場で、全国公募ということで人脈も含めてやっていって、そして審査していただいて、入選作品を展示しようということです。

山下:じゃあ、審査に関しては、本当にこの3名だけでされたと。

前川:そうです。われわれは、立ち会いましたけれども、何もそういうことはしておりません。

山下:実際に財政難の話もあって、ボランティアもここではかなり多くを募って、運営は大変だったというお話なのですが、そのあたりも少し。

前川:われわれも勤めていましたし、役職ももらっていましたので、動きが取れませんから、土田実行委員長の大学の学生たちとか、うちの学生とか、できるだけ身近にちゃんとやってくれる者をということで募りまして、そこら辺は、少し予算も使いましたけどね。

山下:そうなのですね。今、この大津港はミシガン(観光船)が入って、琵琶湖花火大会でもにぎわう場所ですが、現在から思うと、結構利用することがすごく大変な場所だなと思うのですが。一番人が来る場所で。

前川:なかなかそこの管理者に抵抗がありましてね。

山下:そうでしたか。

前川:大変でした。ちゃんと挨拶に行ったはずなのに、「挨拶がない」とかね、だいぶ違うなと思って。行政職みたいな延長線上の人だと思うのですけど、港湾法の占用申請、許可の手続きも含めて、警察やら消防署やら、届け出と許可というか、通達して、報告してやらせてもらっていたのですけど。

山下:かなり多様な作品が、実際、審査員の方に乾さんも入ったりして。

前川:まだ大きく工事にかかる前のところでしたので、いいだろうという思いがあったのですけど、植木や何かやらややこしいので。

山下:実際、基礎工事もして。

前川:基礎工事もしないといけないし、はい。

山下:展示後、撤収するということですか。

前川:はい。

山下:新しい賞制度もあってということですよね。

前川:はい。賞制、大変でしたね。

山下:そのあたりをもう少し、思い出せるところをお聞きしたいと思うのですけども。

前川:そうですね。これね、若い作家も来てくれまして、特に塚脇(淳)さんの学生たちもサポートに来ていましたから、そこら辺のやり取りがまた面白かった。

山下:ああ、ほんとですか。

前川:18歳、19歳の若い感性に触れるというのは、四十幾つの者にとっては、50になったかな。なかなか新鮮なものがありました。かえって喜びが、そこら辺にありましたね。

山下:実際そういう新鮮な、結構こういう抽象から、かなり日用品を使うもの、多種多様だったのですが、反響というか、にぎわいみたいなものはどうだったのでしょうか。

前川:確かに評判はよくて、結構な人数になりました、観客はね。

山下:はい。

前川:お金を使わないようにして、10,000名だったかな、記念品を渡したりしていましたね。

山下:入場者に。

前川:うん。あれは、あのときの新聞に載りましたよね。ああ、これ。お金のかからないようにということで、「わしの作品出すわ」と(笑)。(注:1万人目の入場者には、記念品として銅版画作品を贈った。)

山下:なるほど(笑)。

前川:えらいことですわ。みんなボランティアで(笑)。

山下:すごいですね。結構、でも、見に来てもらってということですね。

前川:たくさん来てくれました。

山下:図録にも載っていますしね。

前川:一万何百名は来てくれたと思います。カウンターで計算していたんですけど、ちょっと水増しもあったか分からないけど、ちゃんと、ありがたいことに。それでね、そこへ幼稚園、保育所の子供を連れた保育者が来るのですけど、「あそこ行ったらあかん」って。

山下:来てほしいですけどね。

前川:観光バスで、どこかの高校か何か知らないけど、来られたのだけど、ぱっと見て、またすぐびゅーっと。「これ、どうなってるんだろう」と(笑)。

山下:ゆっくり見てほしいですね。なるほど。

前川:一生懸命われわれ美術教育にも携わって、やっているんだけど、これはもうちょっと保育者に言わないといけないとかね。

山下:ああ。その辺の話は、興味深いです。

前川:「こんなの、子供が見ても分からない」って、「分からないのはあんただろう」と。分かる、分からないの問題じゃないだろうと。

山下:そうです。

前川:子供がね、「ああ」って指さして。

山下:ああ、来てほしいですね。

前川:「これ、どこの国よ」って(笑)。

山下:そういうお話、興味深いです。

前川:そういう不思議な経験を、いっぱいさせてもらいました。

山下:今、ほんとに大津のメイン会場ですもんね、ここは。

前川:そうです。

山下:これ、全部撤収してしまったのですね。

前川:ええ。撤収しましたけど、5点ほど買い取っていただきました。

山下:そうですか。

前川:で、作家に還元しました。近江大橋の所と琵琶湖大橋の所のどちらか側に、みんな設置しました。

中谷:県ですか、買ったのは。

前川:(滋賀県)道路公社。

中谷:ああ、道路公社が買ってくれたと。

前川:そこら辺は、お願いに行ってきました。そのときに、造形集団の仲間で出品している者もいましたからね、「私らに何も言ってくれなかったのか」というのはあって、また一人離れていきました。やっぱり、もくろみはそれぞれあるんだろうけど、自分らの仲間をということではなくて見てもらって、「どれがよろしいでしょうか」「これとこれとこれとこれ」と言ってくださると、「ありがとうございます。作家は喜びます」と。

中谷:それは、その辺から道路公団に。

前川:始めから道路公団にも、道路公社にも支援していただいて、40万だったかな。

中谷:なるほど。そういうのがあったうえで、「買いませんか」という、お買い上げという形を。

前川:ええ。「こんなの、お買い得ですよ」と。なかなか作家から直接は無理だから、特に入選作という名誉があるところで、それはお買い得です。要するに、地域の公共彫刻と同じ要素でメリットをアピールしましてね。

中谷:なるほど。でも、それはその年度でですもんね。お買い上げしてもらえませんか、と。

前川:はい。それは公明正大に、我田引水で自分とこの作家を何とかしろということは言っていませんし、何人か私どもの団員が出していましたからね。

山下:そうですか。1995年の時点では、滋賀県造形集団のメンバーの数は、どれぐらいだったんでしょうか。大体でいいんですけど。

前川:40もいなかったような、40そこそこかな。実働、三十数名(笑)。

山下:ああ。それでも大きい。

前川:実働12名で、これやりましたからね。

山下:なるほど。ありがとうございます。時間的に切りがいいので、少しだけ休憩を挟みまして、後半、前川さんのご活動のことや現代のことを、最後にご質問させていただければと思います。

前川:分かりました。

(録音中断)

山下:そうしましたら、前川さんの個人的な活動もお聞きしたいんですが、このまま美術展の流れで現代までと思いまして、1995年の後、少しまた空きがあっての2015年の40周年ということで、宣伝も結構滋賀県で大きくて驚いたのですけれども、滋賀県立近代美術館で「BIWAKO大賞展」ということになりました。(注:「公募 BIWAKO大賞展――滋賀県造形集団40周年記念――」は、2016年4月2日〜4月17日、滋賀県立近代美術館 企画室・ギャラリーで開催された。)

前川:はい。

山下:最近の話なので、確認ということにはなるのですが、これは若手育成ということでしょうか。現代美術を滋賀県に発信するという意図での、開催になるのでしょうか。

前川:両方の思いですけど、この頃、賞金制の展覧会がだんだん消えていくというさみしいところで、若い作家がお金を使って大きい作品が作れない。そんな時代ですので、やはりしゅんとしてきたので、ここで起爆剤としてどっちにも刺激になるようにということで、行政の方にも、あるいは企業の方にも、作家の方にも起爆剤としていけないかということで、40歳以下という、どの線に入れるかが問題なのですけど、40歳はもう年上のほうだという、ちょっと昔はそうだったけど、この頃、40歳以下というのが若手なのですかね。そこへ3賞、大きい賞を、40歳以下に限定してやろうかと。(注:大賞・賞金100万円、金賞・30万円、優秀賞2名・10万円。これらの賞は40歳以下を対象とするというルールを定めた。他に7つの各氏賞・5万円が設けられた。)

山下:はい。

前川:応募者の70%ぐらいが40歳以下ということで、そういう意味では、初期の目的は達成できたのですけど、大賞も優秀賞もなかなかしっかりした作家で、図らずも京都芸大と金沢美大(金沢美術工芸大学)のゆかりの作家ですけど。(注:大賞は吉田芙希子氏、金賞はクニト氏、優秀賞は、牧角香奈子氏、原田昌典氏が受賞した。)

山下:そうですね。大賞のほうも。

前川:ええ。審査員も、お二人。

山下:建畠晢先生ですね。(注:審査員は、美術評論家の建畠晢氏と太田垣實氏が務めた。)

前川:建畠先生にお願いして、太田垣さんは、昔からよくつながっていますので、お願いして。県展の審査にも太田垣さんはよく来てもらっていますし、その関係でお二人にご快諾いただいて、県展並みの審査料しか用意できませんけどもと言ったら、「いやいや、構わない」ということで、建畠先生なんかは電話一本で趣旨を理解していただいて。

山下:電話一本で。建畠先生の名前が出てきたのは、滋賀県造形集団の中で。

前川:われわれの仲間で、京都芸大の学長もされているし、どうだろうということで。(注:建畠晢氏は、2010年1月1日から2015年3月31日まで京都市立芸術大学学長を務めた。)

山下:国立国際美術館も長かったですしね。

前川:神奈川の方へ帰られたという話だけど、それはそれとして、一ぺん電話してみようかということで、電話番号を頂いて私から電話させてもらったら、二つ返事で「この日は空いてるわ」って。

山下:ああ、良かったです。実際に行われたのは2015年ですが、構想とか準備ですね、1995年の(滋賀県造形集団の)造形展が終わってから、滋賀県造形集団としては毎回の展覧会はされていたと思うのですが、20年の空きがありますけれども、それまでの経緯は。

前川:このときも、これと並行して20周年記念をやりました。(注:「造形展」としての20周年記念展)それで、こっちの方で私もやらせてもらっていたと思うのです。

山下:はい。

前川:これ、このとき代表は誰だ。私も関わっていた。やっぱりこういう流れを見ると、一昨年もやりましたし、よくいろいろやってきたなと思って。

山下:はい。

前川:この20年と、30年。30周年は私の代表の時だったんですけど、図録をさらっと作って。あれ、どこいったかな。

山下:30周年も、造形展はされていると。

前川:これまでを振り返り、そういうキャッチフレーズで、今後を模索するという構想。そういう展覧会をやったんです。ただ、冬の寒い時で、雪の降る中で。持ってきているはずだな、どこかに。

山下:10周年ごとにされているんですね。

前川:これ。(注:滋賀県造形集団30周年記念「造形展――これまでの軌跡、今日的課題と展望――」は、大津市歴史博物館にて、2005年12月17日〜25日にかけて開催された。)

山下:ああ、30周年記念ですね。

前川:このときが私、代表でございまして、やっつけ仕事で挨拶もさせてもらって。過去の作品を、これまでの軌跡、今日的課題と展望。振り返りと展望ということで、歴代の作品のものとか、現代のパフォーミングとかね、いろいろやっています。

山下:滋賀県造形集団のこれまでの振り返りのような記念事業だったと。

前川:そうですね。個人個人が振り返って、これからを展望するということで、私も昔の1992年の作品、タブローと、これが版という形で、それぞれがそれぞれで。

山下:はい。

前川:私は、この冊子を作るので手一杯で、代表らしいことはできてません。えらいあっさり30周年してしまいましたんで。

山下:そうだったんですね。それで、40年、次の10年を迎えるという。

前川:ええ。これは私の代表ではだめなので、「土田(隆生)さん、頼むで」と言って、またこの構想になったんです。

山下:では滋賀県造形集団内で、この「BIWAKO大賞展」をやろうという話し合いは、その前年度ぐらいからになるんですか。

前川:そうですね。あれは総会の中で、40周年、何をするんだと。「じゃあ、こういうことやろうか」という。

山下:すごい企画ですよね。

前川:ええ。やっぱり2番目のお兄ちゃんが(笑)、土田さんがよく頑張って奔走してくれましてね。

山下:実際、大賞も100万円という規模でした。

前川:最初は、50万ぐらいかなと言っていたんです。「70万かな」「いや、桁をもう一つ上げなあかんわ」(笑)。やっぱりね、上げるとみんな元気が出てきまして、逆に。大変は大変でしたけど。

山下:これも公募という形式を取りましたので、滋賀県造形集団としては、運営側に回っていったということになりますけれども。

前川:そうですね。みんなそれぞれ、運営側だけれども、自分は自分たちで普通の造形展をやるんだと。

山下:やっているしと。

前川:その造形展の作品を、記念すべき40周年の造形展に出す作品をこしらえて、事業として大きく全国公募しようかという。だから40回展になるんですけども、それと併せてということで、全国公募。若い作家に、低迷する文化行政に起爆剤として、作家が作家のためにこういう企画をし、応援するというのが全国にないし、これを受けて他もやってくれないかなという、そういう思いを込めて、やらせていただきました。若い作家が、特に高校生あたりが出してくれるとありがたいなと思って。

山下:はい。

前川:出品料は10,000。ちょっと高いなという印象を受ける団員もいましたけれども、普通は15,000円ぐらい、大賞ですと出品料があっても構わないという思いではあったのですけど、10,000円に落として、それで採算がいけるかどうか。あちこちにお願いに回って、ありがたいことに美術館の会場費が、共催ということでただにしてくれましたので、県から100万か200万の支援をいただいたほどの値打があるということで、あとは運用かな。企業にお願いに行き。

山下:銀行とかですね。

前川:まずは銀行からということで、「うちも、そんな協賛みたいなのはしません」ということでしたけど、15分で話が済むはずだったのに、「15分だけ話聞くわ」と言っていたけど、30分、45分聞いてくれましたね。私と実行委員のもう一人が一緒に行きましたけど、「これはだめだ」と思ったけど、20万ということで言ってくれますと、それをまた次に行く時に、滋賀銀が20万だし、何とか琵琶銀さんの……

山下:関西アーバンですね。

前川:お願いして、京信もということで、その流れであちこち。

山下:協賛が集まっていったと。

前川:ええ。で、図録掲載ということで、広告をカラーで入れる。カラーで入れると、ちょっとにぎやかすぎて困るのだけど、1ページ10万でいこうかということで。

山下:すごいですね、そういうのが動くのも。

前川:寄附していただいたところには1ページ載せさせてもらったりということは一生懸命考え、若い作家を応援するのだから、入選は全部で100点。落ちた人には、10,000円は気の毒だし、返却した。「出品料を返すか?」と、事務総長としては、本当に言いたいところだったんですけどね。実行委員長か。名前だけの実行委員長だから、事務総長みたいなつもりでおりますけど。

山下:実際、京都市立芸術大学出身の作家も結構応募されて、入選していますから、反響が大きかったですよね。

前川:熊本の子が出品してくれて、(地震のため)作品がなかなか返せなかったのがありましたけど。熊本の大学の学生で、院生でしたけど。(注:牧角香奈子、優秀賞受賞、崇城大学。)

山下:結構、応募状況としては、全国からですか。

前川:はい。

山下:ウェブからの公募もありましたね。

前川:はい。併せて、作品の大きさの上限をちょっと広げましてね、平面では200号までと。それで、3m×3m×3mの中に収まるものとかいう形にちょっと広げて、ひやひやしましたけど。美術館で広げられたらどんなになるかなとか、いろんな心配もありましたけど、おかげさまで、たくさん大作が集まりました。

山下:全部でどれぐらいの応募数だったんでしょうか。

前川:百四十何名かの作品。(注:後日確認。141点の応募があった。)そこから100名に絞っていくということで、団員の方は、いわゆる昭和。若い子はいませんので、各氏賞ということで、それは40歳以上でも40歳以下でもかまわないので提供しようということで、みんなそれぞれポケットマネーを出しまして、私も50,000出して(笑)。内緒にしておかねばならないのですが。

山下:そうだったんですね。

前川:それをもらってもらいました。M氏賞とかね、何とか賞と。

山下:ああ。滋賀県立近代美術館さんのほうは、この企画を持っていった時には、「やってみましょう」ということで、スケジュール、場所も確保してくれたということで。

前川:ありがたいことにね、(滋賀)美術協会が前に何十周年をやられたんです。で、ちょうどキュレーターで占部敏子さん(当時、学芸課長)が、「造形展があれだし、何とかと思ってるんですけど」と言ったら、企画展を美術協会もやったんだから、「造形集団もやれるね」と。「やれるね」と言ったのか、そんなニュアンスを、「えーっ」と思いました(笑)。

山下:そうだったんですか。

前川:それから代表を呼んで、代表に「何とかなりませんでしょうか」と言って、「じゃあ、言ってみましょう」と。館長も了解してくれましたね。

山下:そうだったんですね。

前川:40周年がこういう形でできるかということで、「こんなこと考えているんだ」と言ったら、ありがたいことにちょうどご縁と節目と。みんなも、すねもせず、しんどいとも言わず、年金から賞金を出すとかね、7名が頑張ってくれました。11の賞で。

山下:そうですね、11の賞。この構想に関しては、今回はついに野外はなくなったわけですが、それ自体は、滋賀県造形集団の中で別に抵抗はなくですかね。

前川:別に、はい。

山下:次なる展開ということで。

前川:ええ。庭に出してもいいかなとは思ったのだけど、そのこともお願いしないといけないなと思いながら、全部中でいけましたので。設置の構想も、こちらの方で大体全部いけましたから。審査、そのあとに、全部配置を考えましたね。

山下:なるほど。これは40周年ということでされたことですので、今後また何か起こる可能性とかは。

前川:ありますね。

山下:あるんですか。

前川:あるでしょうね。

山下:一応、継続も考えておられる。

前川:土田代表が、「もう代表は定年制にしよう」と言って、困ったもんです(笑)。75歳定年。もうすぐですわ。

山下:それでは、継続的に何か。

前川:もうちょっとしたら、どうかな。私は外れるだろうなと思っているけど、当たるかもしれない。なんかややこしい、ちょっとつなぎをしないといけないなと思ってはいるんですけど。

山下:そうですか。気持ちがずっと継続していくというのは、すごいなとほんとに思うんですけど。

前川:みんなひいひい言って、後遺症が残って、そこでまた仲間が減るというのがね、世界でございますけど、みんないいメンバーがそろっていますので、ありがたいことに。

山下:なるほど。ありがとうございます。

中谷:カタログの中でもページ割いておられるし、実際にお願いをされたようですけれども、新生美術館という。(注:BIWAKO大賞展のシンポジウムを2016年4月2日に開催し、テーマは『新生美術館に向けて』とした。『公募BIWAKO大賞展』(図録)、2016年、pp.68–71。)

前川:はい。応援という思いも、もちろん。

中谷:シンポジウムとしてされているわけで。

前川:これがね、証拠になっています。県展が一期で開催できるような展示スペースが欲しいとか。ついこの前、聞きに行ったんですけど、「予算が縮小されるとどうなるかな。けれど、ちゃんとできるようには頑張ります」とは言われているんだけど、またほごになるとだめだと思ってますけど。これをやって、まあ丁寧に説明してくれました、整備室(注:新生美術館整備室)。

中谷:そうですか。

前川:整備室長が丁寧に、こんな準備をやってくれてるんだなという、オープンにね。ただ、プロポーザルは、どうか分かりませんけどね。それは、われわれの知らないところですので。

中谷:それは、行政職の人ですよね。野口さんという。

前川:そうです。本当にいい人材をつかんだと思っています。彼がまた出ましたからね、整備室から。人事が代わりましてね。

中谷:そうですか。違う人になったんですね。

前川:ええ。ちゃんと跡を継いでくれていると思いますけど、この前、ちょっと説明聞きに行ってたんですけどね。

山下:分かりました。

前川:また1日に意見聴取があると思います。47億だったと思うのですけど、多少は増えても当然だと思うんです。昔からいるなら。

中谷:当然そうですよね。

前川:ええ。倍にはならなくても、多少は。

山下:はい。

前川:すいません。

山下:いえいえ、ありがとうございます。少し振り返りのようなことになるんですが、これまで、2000年代からの大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭とか、滋賀県ではBIWAKOビエンナーレもありますけど、そういう野外美術展の定期開催がありますけれども、前川さんから見まして、BAO芸術祭をされてきた方としましては、日本の美術展を取り巻く環境がだいぶ変わってきているのかなと思いますが、一人の作家として振り返ってみて、環境の変化についてはどのように思われますでしょうか。

前川:やっぱり国の縮図がわれわれの身近な仕分けにもあるようで、もう少し思い切り運動しとかないといけなかったんだなと思ってます、今頃。滋賀県は、まだ理解があるようには思いますけど。知事も、談判しに行けば「うん」って言ってはくれますので、いいんですけど、それにしても、地域文化に対する予算立てが、「もうお金ありませんのやわ」という、目減りする一方ですわ。

山下:はい。

前川:これをどうするか。これはやっぱり、それこそ思い切って企業にも、年間の文化行政にも多少は応援はしてもらってるのでしょうけど、もっと組織的な図式をこしらえて、応援してもらわないといけないんだろうと思うのですけどね。昔はそういう、何だったっけ。ネーミング何とか。

中谷:ネーミングライツです。

前川:ライツ。滋賀県もやれるんだろうなとは思っているのですけど、やるなら、予算をもう少し上乗せを、その企業にしてもらわないといけない。ここまでの中でネーミングライツでもたせるというのは、やっぱり具合が悪いという思いがしますので、そこら辺も、これからいろいろ運動していかないといけないと思うのだけど、本当に情けない。文化予算っていうのは、助成もそうですけど、本当にシビアですね。

山下:そうですね。国際現代芸術センターというものが本当に滋賀県にできていたら、一つ大きな拠点にもなっていたのかなと思いますけどね。

前川:もうちょっといろいろやってきたら良かったのになと思うんですけどね。

山下:でも、このBAO芸術祭を1990年にされたのは、今の状況を見ると、ほんとに先駆的だったのかなと思いますけれども。

前川:ええ。その成果を結実させるのが、本来の世界だと思うのですけど、それができなかったのが悔しいですね。

山下:分かりました。でも、ほんとに先駆けだったなと思います。

前川:やっぱり国の縮図で、経済一辺倒の世界で、文化たるや世界は、なかなか予算立てできてないというのが本当に悔しいです。

山下:分かりました。

前川:微々たる大賞展でございますけど、精いっぱいのところでございますので。

山下:起爆剤をしかけてということですね。

前川:これがどこまでいってるかどうか分かりませんけど、全国に配信はしましたけど。

山下:もう少し滋賀県造形集団のことや前川さんのことをお聞きしておきたいと思います。野外彫刻展について全部お聞きしたので、今度は滋賀県造形集団展のことも。

前川:造形展。

山下:そうですね。造形展を毎年開催。この流れも少し確認しておきたいと思うのですが、ずっと従来は、大津や八日市や水口や能登川という所で、巡回形式を採用していたということで。

前川:そうです、はい。

山下:改めて1975年の立ち上げの時からですね、造形集団のメンバー構成とか、こういった巡回形式を採っていることとか、メンバー全員の作品の特徴などにつきまして、大枠みたいなものをもう一度確認させていただけますか。

前川:巡回してきたのは何かといったら、滋賀県に美術館がないから。それだけです。

山下:なるほど。

前川:ドサ回りを県展もしているし、「これだけ作家がいるんだ」と示すのが造形展の役割だと。全県ベースで、あちこち示していこうじゃないかというのが。作家の作品につきましては、もちろんアンデパンダンで、あらゆる世界を、あらゆる表現の手段、様相も含めて全部われわれが受け止めて、皆さんに見ていただこう。で、やっぱり作家養成の世界で公募にしているということで、高校生にもできるだけ出してほしいということですが、なかなかね、厳しいところです。

山下:たしかメンバー構成に関しても、規定があるわけではなくて。

前川:一応、メンバー構成は、団員になりたいと言われたら、2人の団員が認めたら団員になってもらえます。

山下:毎年、総会を開いているということですか。

前川:そうです。総会に合わせて研修会ということで、あちこち、文化財も含めて研修会をやっています。

山下:そうなのですね。総会は、どちらでいつも、最近ではされてるんでしょうか。水口のほうですか。

前川:最近は、長浜のほうで。水口のほうでもよくやりましたし、三役の地元の世界で、文化そのものの世界の紹介も含めて。

山下:はい。あとは、滋賀県のギャラリーの方々とのつながりも深いのでしょうか。瀬田にもありますし、大津にも。

前川:ええ。ギャラリー縄というのがありました。それはもう、造形集団の応援の世界だし、それから、ホツマギャラリーというのが近江八幡にありましたね。あそこら辺も、われわれの小品展をそこでさせてもらって、そこで売ってもらって(笑)。資金稼ぎに。

山下:なるほど。

前川:あと、ドンゴロスの前に、言っていたバオバブの世界もありますけど、今、あちこちで。「ぎゃらりい古今」という古本屋の2階の所も世話になってたし。飲み屋のママさんが…… 飲み屋じゃない、スナックのママさんが、この前話しましたね。「応援してえな」と言うので、「やめときなはれ」って言ったのにやられて、いい企画は続いたんですが、また潰れてしまったのですけど、あれはありがたい、いいギャラリー(注:今人)になってました。狭かったのですけどね。そういうつながりもないことはなくて。

山下:結構、滋賀県内のさまざまなところのネットワークができているということですよね。

前川:はい。ギャラリー、今もたくさんあちこちにありますので。

山下:信楽のほうとかは、どうですか。

前川:信楽は、うちのメンバーの際たるところです。

山下:そうですか。

前川:川武迹ォさんとかね、昔、団員だったけど、彼が一生懸命、「前川さん、どうなってんねん」と。「ちょっと心配してる」と言ってるんだけど、もう退団されてOBでね。

山下:そうですか。なるほど。

前川:だから、そのあとのことは、みんな心配はしてくれて、「もういいかげん、やめとけ」と言う人もいますけど。

山下:先ほど話して頂きましたが、現在は20人ぐらいでしたか。

前川:21名か。

山下:21名いるんですか。それでも21名。

中谷:最も若い方で、お幾つですか。

前川: 20代かな。一人いるな。

山下:そうですか。そうしたら、結構年齢差もあるのですが、展覧会をした時には、いわゆる講評、合評というか。

前川:合評会やります。

山下:そういうのもあるのですね。

前川:ええ。それは、好きにいろいろ、みんなでわあわあやっていますけどね。

山下:そこで切磋琢磨してということなんですね。

前川:ええ。殴り合いはしてませんけど(笑)。

山下:で、毎年1回、必ず展示するということでしょうか。

前川:そうです、はい。コンセプトを説明。それで、合評会というか、研究会みたいなものですわ。それぞれ好きなこと言って。

山下:なるほど。それで、この1981年とか1984年とか1995年の時は、こういう企画が立ち上がったらやりたいかどうか確認して、やりたいという人は手伝ってくれるということで。

前川:ええ。

山下:中には、「ちょっと」という人もいたということですか。

前川:この頃、もう定着していますね、間違いなく協力はしてくれます。

山下:そうですか。方向性の衝突みたいなことは。

前川:衝突はありましたね。たんびたんびにありました。

山下:ありましたか。でも、議論しながら成り立たせていったと。

前川:ええ。やっぱり、自分勝手、わがままというというのがね、あるいは誤解とかね、そんなのはつらいところですけど、いまだにそうやってつきあっていますけどね、普通に。

山下:「BIWAKO大賞展」に関しても、40周年だし、やってみようというふうになったということですか。

前川:そうですね。

山下:分かりました。ありがとうございます。

前川:「どうやろう」と言うと、みんな「はい、やりましょう」ということになるんですけどね。構想が面白いから、協力せざるをえない。コンセプトそのものが、若手の応援という、長年ずっとやってきたことですので。

山下:ずっと見てきていますしね。前川さんご自身は、滋賀県造形集団に所属したことで、事務局長もされて中心になっていったのですが、今思うと、影響や刺激は、自分の作品に対しても大きかったでしょうか。

前川:ほんとの会則にもありますけど、自分の足元もしっかり見つめて、インターナショナルにつながるような仕事を目指す。そして、いろいろ運動もしながら、新しい若手の養成もしながらということで、とにかく楽しんでやろうかという。「しんどいな」という思いの時もありますけど。

山下:ありましたか。

前川:ありますけども、それは面白味のほうが強い。

山下:強いですか。

前川:うん。

中谷:現在で、創立メンバーからそのままでという方は何名。

前川:創立メンバーは、私と土田さんと安土さんです。三兄弟。

山下:すごい。ずっと見てきたんですね。

前川:もうちょっと後だったか、川瀬典子とかね。あの人は、信楽の小学校の先生で、一生懸命、自由美術だったかなんかでやっていると思うのですけど、今、フリーだと思いますけど。

山下:前川先生も、口コミというか、安土さんから「やろうや」というふうに聞いた。

前川:いや、ドンゴロスで、バオバブで学生の展覧会をやらせてもらって、その延長線上にありましたからね。「絵画展やるんだ。前川さん、出さないか」とか、鈴木靖将。

山下:はい。

前川:彼が言ってくれたり。

山下:そういうつきあいもあって、所属していくということになりますね。分かりました。

前川:やっぱり地元の仲間が欲しかったからね。京都で学んで滋賀に勤めたのだけども、美術協会もあんまり入りたくないし、美術の教育の研究会もあるのですけど、なかなかそこへ入れてくれないしね。そうすると、よそ者になったらかなわないという思いで、できるだけいろんな形で関わっていきたいという、そんなところの造形集団だったかなと思いますね。

山下:そして、気がつくと代表にもなって、事務局長も。

前川:いやいや、だいぶ長いことあれこれ代表をやらせてもらって、持続するほうばっかりで、思い切ったことはできてないんです。

山下:いえいえ。そうですか、分かりました。そういった滋賀県造形集団に所属しながらの活動ですが、前川さんは80年代には油彩画をされていますよね。

前川:はい。

山下:そのあとには銅版画に入っていくのですが、1980年代の頃のモチーフや油彩を続けていたときの関心について確認したいのですが。

前川:あの頃、やっぱり琵琶湖というのが頭にありましたね。それから、琵琶湖に関わるところの、何ていうか、波とか水とかね。

山下:「記憶」とかもタイトルになっていますね。

前川:ええ。そういう、魚釣りの延長線上ですわ。幼児の時の魚釣りで、5歳の時に釣り上げた(笑)。話ましたね。

山下:そうでしたか。

前川:イナゴ捕まえてという話をして、赤の銅針金で針作ってとか。

山下:はい。では、そういう記憶や地元の景色をテーマにされたのですか。

前川:幼児体験というのは、やっぱりいつまでも作家のネタになりますので。

山下:それで、ずっと油彩で続けておられたのですよね。

前川:はい。娘、息子ができた時には、よくモデルに使って、これと湖との関係ということで作品をこしらえていました。

山下:ああ。それが、この38回の現展で会員賞とか、買い上げの方もありますよね。

前川:はい。

山下:《記憶の変移》(F150号、1982年)という。一貫して、ずっとそういうことで1980年代は続けておられたということですか。

前川:はい。で、並行して銅版をやっていたので、銅版のネタはとにかく魚から始まりましたね。

山下:それは、やっぱり釣りが。

前川:そうそう。

山下:なるほど、見えてきました。版画へ関心を示されていくことについて、もう一度確認させて頂けますか。

前川:あれは、古野由男先生の流れがありまして、この先生のもとで助手をさせてもらって、お手伝いもちょいちょい、「前川さん、ルーラーをちょっとやってくれへんか」とかね。

山下:なるほど。

前川:お手伝いも、ちょっとさせてもらった。

山下:それで自分も興味が。

前川:いや、「やってみないか」というのがあったんです。結構、関西での草分けです、銅版の。

山下:はい。

前川:これも最後の絶筆ですけど、(古野由男先生が)病院から帰ってこられた暮れに、版をこう支えて、そこへはーっと。で、それを持って帰って学校で刷って、サインしてもらいにまた病院に行って。

山下:ああ、そうだったのですね。

前川:これが2作あって買い上げていただきました。(その1点:1978年第30回京展記念市長賞受賞『Speceに夢見る男』)

中谷:ああ、そうですか。

山下:そういうこともあって版画もするようになって。

前川:はい。あと、京都市民美術アトリエで、先生、ずっとやっておられたのですけど、「年取ったんやな」ということが、昭和52年(1977年)、51年(1976年)か。ありまして、ちょろちょろ行っていました。そのときに、銅版が中心ではなかったのですけど、油とデッサンと銅版という、そういう市民美術アトリエでやっていて、昭和33年(1958年)だったかやられて、市美術館の美術教室でずっと。

山下:はい。

前川:私も、ちょうど昭和50年(1975年)、先生が海外旅行をされるので、その間「じゃあ、行きますわ」と言って、お手伝いというか、代理を務めさせてもらっています。

山下:ああ、そうだったのですね。

前川:そんなこともあって、その明くる年(1978年)に亡くなったのですけど、京都市も「あと、前川さんやるか」と言ってくれましたので。

山下:なるほど。それで銅版画教室が開催されている。そのあたりもお聞きできればと思っていたのです。

前川:ええ。私のほうで、結局、銅版だけに限定しました。しばらくは同じように油彩もやっていたのですけど、銅版だけでメンバー集まるわということで、確かに集まりました。ありがたいことに、プレスも買ってもらってね。

山下:はい。週に1回。

前川:あのときは、金曜日でしたね。春と秋と12回ずつだったかな。夏の講座があったんですね。集中で6日間でした。結構メンバーがそろっていましたので、グループ遊いうのを作って、「じゃあ、何かやろうか」と。それまでに京都銅版画協会ができていて、それが、古野先生がこしらえた、主宰されたグループ展です。銅版もどんどん広めていこうということで。

山下:はい。前川先生としては、本当に油彩も、すごいできていた方なのですけれども。今は、版画だけに集中して制作は続けているのでしょうか。

前川:はい。

山下:もう油彩とかは。

前川:油彩も少し書きますけど、もうその元気ないです。版画で、ひいひい言っています。

山下:ずっとこの版画教室は、継続しているということでしょうか。

前川:そうです。

山下:版画教室をしつつ、滋賀県造形集団の運営も続けていくということですね。

前川:はい。「おまえが何とかせい」と言われて、代表の文章をもらうはずだったのに、私がかってに書いてしまって。「おまえが書け」と言われて、田中良平さんに。

山下:そういう由来があるんですね。

前川:で、「もうこれで代表替わるわ」ということで、古野由男、田中良平、三代目が私という。もっとも三代目は、名前だけですけど(笑)。こういう冊子もね、いろいろ編集して。(注:『古野由男 銅版画集』を見せて頂きながら。)

山下:この教室自体は、お一人だけで運営されているんですか。

前川:いや、もう一人、河崎ひろみさん。彼女がもう35年になるな。(注:1978年市民美術アトリエから。講師は前川秀治、浅井啓二。その後、前川秀治、河崎ひろみ。1998年4月より銅版画グループ遊の自主運営で中村是之代表で講師は同じ二人で運営。)

中谷:そうですよね。結構長くやってらっしゃいます。

前川:よくやってくれています。

山下:ああ、そうですか。ありがとうございます。

前川:櫻井貞夫君も京都銅版画協会をやっていましたけど、もう団体展は、「グループ展やめや」と言って、あれは賢明なる判断でした。佐久間(嘉明)も同級生ですけど。

中谷:佐久間さんと同級生になります?

前川:同級生、うん。

中谷:そうですか。

前川:私は年上ですけど。いい仕事してますわ。彼ら(田中良平、坂爪厚生)が、初代古野由男の門下生ですね。彼女(福田芳子)もね、いい仕事しています。ヘイター方式で、ヘイターの研究所で勉強してきまして。(注:ヘイター方式とは、1版多色刷りの技法のこと。)

山下:このメンバーは入れ替わりもありますか。

前川:どんどん替わります。

山下:替わりますか。

前川:はい。

山下:これからも、やりたい人は入ってきたりもするという。

前川:ええ、そうです。このグループは、別にここの出身だけじゃなくて、どんどん増やしていこうと思っています。で、100名に声かけてやったのが、これということで。(注:2006京都銅版画展、市美術館別館。)

山下:造形集団の人数を超えてますね。

前川:これは銅版画協会だけじゃなく「これだけ教室のメンバーがいるんやで」という。それを、市にも理解してもらおうと思っています。なかなか見に来てくれない(笑)。

山下:なるほど。ありがとうございます。あとですね、もう少し前川先生のお仕事も確認したいのですが、1970年からは滋賀短期大学で教鞭を執られることになったという前回のお話でしたが、そこで教鞭を執ることになったきっかけ、経緯をもう一度確認させていただけますか。

前川:きっかけは、山尾平先生の、「おまえ、絵描きだけで食えんぞ。こんなええ話があるんだけど、どうや」「一晩考えさせてもらいます」と偉そうに言って、ありがたいことにとんとん拍子で。

山下:行こうということですか。

前川:それで、「教授がな、古野由男さんというんや。知ってるか」って(笑)。

山下:そのときは、実際、油彩の作家と、あるいは教師とという、「一日考えますから」ということだったのですが、作家でどんどんやっていこうというところの迷いもあったんでしょうか。

前川:それは、思いとしては作家でいけたらと思っていたのですけど。

山下:学生を教育するということは、あまり抵抗はなかったというか、できるかなという。

前川:全く抵抗はないです。ゴーキ美術研究所で「まあまあ」とたきつけてやっていたので、ああいう喜びは、またひとしおですね。

山下:あったのですね。教育系の大学、生徒だったのですが、立体も作られたりしますが、そういうのも得意だったというか、幼児教育系も抵抗もなく。

前川:そうですね。幼児教育というのは全てに関わることで、紙でも土でも何でも、水でも。

山下:そうですね。

前川:何でも造形の素材として取り入れるというのが仕事ですので、それは、平面に限らずということでやってきてます。

山下:実際教師になられてからも、授業のカリキュラムとかも、何といいましょうか、苦労もなくというか、逆に楽しく。

前川:独自にいろいろ開発しましたし、教材そのものも、初年度から、いろいろネタをこしらえてやっていました。

山下:そうだったのですね。そのときは油絵のほうもやりつつ。

前川:ぼちぼちやりつつ、はい。膳所の一軒家を借りて、そこでクロッキー会をやったり、昔の仲間が集まってくるので、そこでモデルを使って油絵を描いたりということも、やってはいた。

山下:結構忙しいですね。

前川:ええ。いろいろやっていました。

山下:滋賀県造形集団も動きだして、本当にいろんなものをやりながら、どんどん進めていったということですね。

前川:はい。

山下:なるほど。ありがとうございます。

前川:やっぱり、いろんな作家に出会えるというのがその基にもなりますし、造形集団は、結構いろんなメンバーと出会いました。老若男女、いろいろおられましたので。今はもう限られてますけど、昔は面白かった。今も面白いんですけど。

中谷:造形集団で教え子さんというパターンは、ないのですね。

前川:造形集団、教え子はないことはないですけど、そんな教えたということではなしに、仲間として。

中谷:ああ、はい。

前川:京都銅版画協会のこれも、ほとんど教え子なのですけど、仲間として付き合っていますので。好きなこと言ってくれるし。

山下:山尾先生が「滋賀短期大学があるから、行ってみなさいよ」と言って、それですっと決まって。

前川:それで決まったんです。ありがたい、本当に幸せでございます。あんまり先生の思うようには動いてなかったのですけど、造形集団が嫌いだったのですよ。

中谷:美術協会で、きちっとしたポジションでいらっしゃったわけですよね。

前川:そうそう。「県展ぐらい出せ」って(笑)。それから、また県展の世話をすることになってきて。

山下: 京都芸大時代の話も結構面白くて、あまり先生の話を聞かないので。ありがとうございます。そうしましたら、だいぶいろいろなお話を今日もお聞きできたのですが、少し根幹的なところも。大学での美術教育、滋賀県造形集団での活動や役職、そして版画教室ということで、作家でもありながら企画者でもあって、教育者でもあるという様子が見えてきたのですけれども、ご自身の根幹にあります美術に対するご関心とか、作品を制作することの理由ですね。これをもう1度改めてお聞かせいただければと思うのですが。

前川:よく学生運動の時には、「毎晩、自己反省せい」と。「何で絵描くのか」と、よく突き詰められまして、ブルジョアの世界でとんでもないという。好きで描くのだから、自分が思うように、自分でこそできる世界だからという思いでやってるんだとは言ってるのですけどね。泥だんごとか、いろんな子供の遊び場がありますけど、それに相当するようなものですね。田んぼで育ったのですから、田んぼの土でこねこね、こねこねとか、そんなので幼児の体験をしているわけですので、全て物作りやら何やかんやにつながっているのは、そうかなと思ってます。

山下:そこに戻ってくるということですね。

前川:魚釣りも、その根幹にあるのは、やっぱり物作りから魚釣りし、魚釣りからまた物作りするという、ぐるぐる、ぐるぐるめぐる世界があるのかなと思っていますけど。「何で描くのか」と言われたら、もうこれしかないんですけど、楽しんでますわ。

山下:そこから統一したコンセプトやメッセージ性とか。本当に自分の生まれた、原初的な形から湧き起こってくるのですね。

前川:ええ。生まれた原初的なことから、環境問題とか水との関わりとか、琵琶湖とか、造形展とか彫刻展とか、全て水に関わっていますので、統一したテーマというのは、水だろうなとは思っていますけど。

山下:なるほど。貴重なお話ですね。そのあたりは、振り返ってみても、変わらずに来ているというところでしょうか。

前川:はい。でも、もっと思い切ったことせんといかんなと思っていますけどね。しょっちゅう新しい世界で動かないかんなというのが、古野先生のことを思いますと、ついつい思いますね。「実験、実験、全て実験や」言ってね。

山下:以前にインタヴューしたの作家の方も、似たことをおっしゃっていました。「記憶」っていうタイトルが出ているのも、そういうこととも絡んでいるのでしょうか。

前川:やっぱり、自分の中で堂々巡りしているので、だめなんですけど、本当は世界に発信し、世界から受ける世界でないとだめなんだろうと思うのだけど、結局は自分の中で堂々巡りですね。もうちょっと何か考えなきゃいけないと思っています。

山下:ありがとうございます。あと、宜しければご結婚の話や出会いのことも少し、込み入った話なのですが。

前川:芸大の同学年の日本画ですわ。(注:前川美和子(旧姓、黒田))

山下:ああ、そうだったのですね。

前川:ゴーキの美術研究所で、モデルを入れなければいけないということで、「ちょっとモデルになってくれない?」ということから、何やかんやわあわあ言ってまして、結局、腐れ縁でね(笑)。

山下:いえいえ。

前川:卒業してから1年目に結婚しましたね。

山下:そうだったのですか。それでは、ずっとBAOとかも見てきているんですね。奥さんという形で。

前川:彼女は、私が作品作りしないといけないから、自分は制作やめましてね。

山下:そうですか。

前川:お寺に仏像の絵を入れていますけど、昔々。学生時代の作品を入れていますけど、「一切描かん」と言いますから、困ったもんや。

山下:京芸の日本画ですから、腕は確かですよね。

中谷:いつ頃から、「もう描かない」ということは。

前川:いや、もう卒業したら。

中谷:そのときからなのですね。

前川:はい。

山下:でも、展覧会を一緒に見に行ったりとかは。

前川:昔はあったんですけどね、この頃、嫌がられてます。やっぱり趣味がちょっと違うみたいでね、現代美術とかになってくると、「もうええわ」と(笑)。「なかなか面白いで」と言って。

山下:「びわこ現代造形展」とかは、見に来てもらったり。

前川:一応、来ています。しらっとして見てました。

山下:そうですか。ありがとうございます。お子さんについても少しお聞かせいただければ。可能な範囲でいいのですが。

前川:子供はね、不思議と絵を描かないんですわ。娘も息子も。

山下:ああ、そうですか。娘さんと息子さん。

前川:ええ。娘は、理科のほうですね。理科の中学校の免許、小学校の免許を取って、小学校へ勤めましてね。

山下:先生の方に。そうですか。でも、似ていますよね。方向性というか、やっぱり教師の。

前川:音楽をやる男性と結婚していまして、音楽をやりながら演奏会をやるのですけど、そこに作品をずらっと並べて、二人で並べるんです、自分らの作品を。やっぱりつながっているのかなと思って。

山下:本当ですね。

前川:息子も、物作りは好きなんですわ。

山下:やっぱりそうですか。

前川:銀のアクセサリーをやりたいと言っていた。だけど、SEのほうで、コンピューター、ロボット。

山下:同じクリエイティブですね。

前川:SEで勤めていますけど、アメリカのコンピューター関連の機械を売り込んで、メンテに回るという、全国を回っていますけど、物作りは物作りですね。

山下:そうですね。通ずるものはありますね。

前川:だけど、安土先生のところみたいに、あそこはみんな絵。

山下:なるほど。分かりました、ありがとうございます。あと、普段の前川先生の一日。普段の一日の構成はどのような感じでしょうか。

前川:そうですね。せっぱ詰まらないとできないというのが、私の嫌な世界ですけど(笑)。

山下:そちら側のタイプですか(笑)。

前川:とにかく徹夜、徹夜の連続ということで仕上げてしまうという。で、その後遺症で、しばらく寝るというね(笑)。

山下:なるほど。前川先生、そうなのですね。

前川:これを作った時も、幾晩寝てなかったかね。(注:BIWAKO大賞展の図録編集、版下づくり。)

山下:本当ですか。すごい。

前川:朦朧としていましたけど。とにかく、10日間で仕上げるんだから。Adobe Illustratorで10日間で仕上げました。

山下:じゃあ、制作をされていない時はどういうことを。

前川:魚釣りに行きたいのですけど、全然その方は行かずに、この頃、何してるんだろうな。何やかんや、やることがいっぱいあるんですけど。

山下:制作と、そういう仕事との切り分けは、どういう形でしょう。毎日、何か制作はするのでしょうか。

前川:物作りをしていますね。

山下:毎日、する時はするのですね。

前川:はい。それで、この教室の受講生には、1本ずつスクレパーを昔はあげていたんですわ。全部自作で。

中谷:自作の。

前川:結構いいものです。バニッシャーも含めてね。ちょっと今日、ここに全部。

山下:そうなのですね。

前川:これは、生徒が作ってるんですけどね。この辺なんかも、大体。(注:教室にある製作物を見せて頂きながら。)

山下:すごく整頓されていますね。

前川:やすりの製造元から地金を買って、それを削ってやすりがけ。

山下:すごいですね。きれいだな。道具まで作ってしまうのは、かっこいいですね。

中谷:銅版の人って、割と共通して道具も何かということは、ありますか。

前川:はい。自分で作らないと。ここにはないのですけど、新しい工具を考案したり。

中谷:なるほどね。

前川:焼き入れをね、七宝の窯で。

山下:七宝ですか。

山下:前川先生が版画作品を作る時は、構想や下書きとかクロッキーとか、そういうのは普段されながら、本番に向かうのでしょうか。

前川:いや、どっちかというと、私のほうは写真がベースになってますので。とにかく撮って回って。

山下:ああ、撮って回って。

前川:うん。それをコンピューターで取り込んで、そこから組み合わせたり、こういう形・色を変えたり。パソコンで十分遊んで、そして、色分解と出力ですね。

中谷:はい。

前川:できたものを色分解でトナーで出力して、それを水をかけて。少し映像とかも撮ってますので。

山下:ありがとうございます。制作は、何か展示がある時に、その前に一気に作るタイプといいましょうか。

前川:どっちかというと一気に作るタイプだね。個展を計画すると、コンスタントにやらないといけないのですけどね。

山下:それでは、特に予定がない時は、少しゆっくりとした生活をされたりとか。

前川:そうですね。ずぼらでね。

山下:そういうときは、写真を撮ったりとか、教室の運営のほうをしたりということですしょうか。

前川:はい。どっちかというと、あんまり、ずぼらなほうで。写真でありませんか。

山下:ありがとうございます。しっかりコンピューターを使うのですね。

前川:メディアプレーヤーで、はい。ああ、いった、いった。(*作品制作の様子を記録した映像を拝見しながら。)

前川:NHK大津放送局の。

山下:取材があったのですね。

前川:うん。こうやって紙を濡らして、油性のインクを転がして。ここからだ。5分間にまとめてくれます。音は出ないな。去年、おととしかな。トナーの上に黒のインクを乗せて、これを反転させて。

山下:いっぱい撮影するのですね。

前川:うん。とにかく、じゃんじゃか撮って。琵琶湖博物館へ、よく行くんですわ。

山下:複数のモチーフを重ね合わせるのですね。

前川:これ、3日間取材に来ました。放送分の5分撮るのに。

山下:結構長いですね。

前川:撮影は、もう丸一日。

山下:そうだったんですか。

前川:くたくたになりました。ここまで取材。

山下:はい。ご自宅でされるのですか。

前川:ええ、全部。出力は、A2ですと業者に任せます。

中谷:そうですよね。

前川:これで出力した紙に乗せて、トナーの部分にぴっと乗っているので、これをこの版に転写して、プレスして、ここで腐食。

山下:ああ。それで、版を作るのですか。

前川:うん。これ、4版こしらえている。

山下:これもご自宅ですか。

前川:自宅です。三原色、プラス黒。拭いているとこは見せられない(笑)。

山下:ここが大事ですね。

前川:これは黄色。で、赤を入れて、黒入れて。

山下:ああ、なるほど。

中谷:これは、一日カメラ回していないと撮れないですね。このプロセスは。

前川:これ、刷ってるだけで2時間かかるもん(笑)。

山下:それをずっと、取材班もすごいですね。

中谷:「あした、また来ます」と。

前川:この女性が、足つってね。

山下:そうなんですか(笑)。

前川:私の取材だけでノート1冊、文章でまとめて。(版画教室の様子を見ながら)平均年齢、めちゃくちゃ高い。ほとんどみんな定年退職。

山下:そうですか。でも、誰が入ってもいいのですか。

前川:そうですね。1日1,000円ですからね、受講料。

山下:ああ、そうなのですか。

前川:この女性、今、もう高松の局に行っています。かわいそうに、うちで暑い中でやってるんでね。水気(みずけ)が足りなかった(笑)。

山下:すごい長い取材だったんですね。

前川:うん。この教室の取材と、彼女がカメラを持って、自分一人でやってます。

中谷:そうですか。

山下:すごくまとまっていて、いいですね。

前川:好きなようにしゃべっているのを、後でつないでつないで言葉になってるんだわ。「あんな話、したことあったかな」って(笑)。だけど、面白い経験させてもらった。あの取材力って、すごいわ。大したもん。一日付きっきりで、それを文章にして。すいません、えらいお粗末さまでした。(映像終了)

山下:ありがとうございました。とても分かりやすくて。一日物の制作ですよね。こうやって、割と凝縮して制作をされるということですね。

前川:ええ。まあ、何やかんややっていますけど(笑)。

山下:そうしたら、滋賀県造形集団のことから、前川さんのことまで、全部いろいろとお聞きできました。ありがとうございます。最後にですね、いつもお聞きしてるのですが、ちょっと重複するのですけれども、長年にわたります美術との関わりの中で、一番大事にしてきたことは何でしょうか。

前川:どうでしょうね。作品作りにしても、造形集団の仲間の関係にしても、一生懸命、誠実にやらないといかんなと思っていますので。作品だけは、ちょっとずぼらになっていますけど(笑)。

山下:仲間とのつながりとか。

前川:仲間のつながりは、やっぱり大事ですね。この教室も、人間的なつながりだけですわ。あと、酒とのつながり。それで何やかんや、みんなでわあわあ言ってくれますので。

山下:なるほど。

前川:「もういいかげん、やめるわ」とは言っているんですけどね。だけど、「おまえが来おへんと、酒が飲めんさかいな」と言われて(笑)。酒と人とのつながりっていうのは、大したもんですね。

山下:ありがとうございます。

前川:地域でも何やかんや言ってくれまして、私も今年は地域の組長でございまして。

山下:それは忙しいですね。組長ですか。

前川:わあわあ言っていたら、会長さんが、これか。守山の下之郷という。

山下:ああ、リニューアルの。

前川:はい。そこのプチギャラリーを整備して、壁を貼り替えてプチギャラリーをやるから、「前川さん、初っぱなでやらないか」って、「じゃあ、かけさせてもらいますわ」言うて、1月5日からかけているんですがね。そうしたら、また『京都新聞』が取り上げてくれて。これ、持ってってください。(注:「守山・下之郷自治会館 リニューアル」、京都新聞、2018年1月16日、22面。)

山下:そうですか。ありがとうございます。

前川:たくさんもらった。それも人とのつながりでね。

山下:こういうときは、新作を作られて。

前川:いや、新作を2、3点。

山下:でも、2、3点作られて。

前川:言われたのがついこの前だったので、「あるもんでやるわ」と言って、テレビに撮ってもらっていたのを中心に、映像もちょっと横に置いたりして。

山下:分かりました。ありがとうございます。あとは、これから何をしたいと思っているのかということも聞いているのですが、何かありましたら。

前川:回顧展は、もう何べんもやってもらった(笑)。個展って言いながらね。

山下:特に何かしたいことはありますか。

前川:地域の駅のギャラリーとか、日野のわたむきホールとかね、声かけてくれて、結局何べんも何べんも回顧展をやっていますので、これはだめだなと思ってね(笑)。新作の個展を、ちょっと考えないといけないと思っています。

山下:そういう思いも。

前川:だけど、どんどんギャラリーがなくなってきますので、どうしようかと思ってね。どこでやるかとなってくると、生まれた所へちょっと行くかなという、それは一ぺんやってみたいと思っています。

山下:なるほど。

前川:何やかんやつながりもあって、これが建築設計家協会。昔から、いろんな形で実行委員会に入ってくれたりしてましたので。(注:パンフレットを見せてもらいながら。)

山下:出ていましたね。(滋賀県立近代美術館)設立の時に。

前川:そこから、「どうや、前川さん、書かへんか」ということで、「紹介するわ」と言って、だいぶ前の作品ですけど。このときは、写真なんか使ってないんです。多少同じようにやっていますけど、葦のものなんかは、単色で3版に、赤・青・黄の版に転写して、そこにアクアチントをかけてやっています。

山下:ああ、いい写真が。

前川:これもそうです。3版です。

山下:はい。この写真は、前川さんがご自身で撮られたんですか。

前川:これは、カタログに載っていたのを、私も撮っていたかも分からないけど。

山下:いい写真ですね。じゃあ、カメラマンかな。

前川:これ、カタログのものではないとは思うけどね。

中谷:違いますか。

前川:毎回、回顧展やっている(笑)。

山下:滋賀県造形集団としては、何かこれからしたいことはありますか。

前川:そうですね。もうちょっと若い作家で、できるだけ広めていきたいなとは思いますけど。みんな教え子が、団員の教え子がたくさんいてくれるはずなのだけど、新しい仲間づくりができたらと思いますけどね。まだまだ運動し切れてないけど、まだまだ運動しないと、どうしようもなくなるし。

山下:その思いは、持続し続けているということですね。ありがとうございます。最後に、何か言いそびれたことなどございましたら。聞き逃したこととかありましたら。

前川:家帰ってから、「しまったな」ということがありますので(笑)。

山下:ありますので、何か最後にいただければと思うのですが、本当にありがとうございます。すごい長時間のインタヴューになりました。

前川:少し作品も見てもらいますわ。昔、こういう図録集とかね。仲間がどんどん分かれていきますので、作品も少し見てもらおう。

山下:はい、ありがとうございます。ぜひ。

前川:いろんな図録で十分見てもらっていますので、あれなんですけど、一部だけ持ってまいりました。

山下:恐れ入ります。

前川:これは、案内状で使った作品です。(注:いくつかの版画作品を見せてもらいながら。)

山下:ああ、いいですね。色がやっぱり作られている。

前川:赤・青・黄・黒の版で。

山下:その色合いに。

前川:あんまりすっきりいくと面白くないんですわ。ちょっと荒れてこないとね。

山下:これも何回か試しますか、すぐに1回目でいけますか。

前川:一発じゃないとだめです。

山下:そうですか。

前川:そういう手法です。これは、手でやったやつです。扇面展(関西扇面芸術展)のポスターを。

中谷:なるほど。

前川:これと、中国へ姉妹都市に行く時に、引き出物にということで、実用扇を作ってという、2作を出せということでさせてもらいました。

山下:素敵ですね。

前川:これ5版なんです。シルバーもちょっと入っている。

山下:特色みたいですね。

前川:これは、多少ちょっと手を入れました。手彩色をちょっと入れました。これは、手彩色は入っていませんけど。

山下:やはり鳥をモチーフとして。

前川:ええ。これは、そこの(琵琶湖)疎水にいる。

山下:時々いますよね。

前川:あそこの1匹をね。

山下:はい。

前川:これが鯉ですわ。

山下:すごい見事な組み合わせが。(注:複数のモチーフがレイヤーのように組み合わせられている。)

前川:こういうヨシの風景。沈めたり、落としたり。これもさっき出ていました。

山下:円環ですね。

前川:こういう、ちょっと入れたものも入れますし。

山下:額から取り出すのですか。

前川:ええ、額から取り出しました。そうしないと、額がたくさん要ると(笑)。

山下:展示の時に額に入れてということですか。

前川:はい。これが、さっきの映像にあったやつです。

山下:ああ、確かに。自然とはまた異なる色ですね。

前川:これね。

山下:これ、花がいいですね。構成がやはり。

前川:市役所の前に咲いていた黄色い花。

山下:そうなのですね。

前川:これは、ばーっとぶれているところが面白かった。で、花の世界とか。これが、手でもう、どっちかというと直接薬品を垂らしたりして、ちょっとトーンを落としました。こういうぼうっとしたのも中に出てきますので。これは、ドライポイントです。

山下:はい。もうすっかり版画のほうの制作が多いのですね。

中谷:これは、後からドライポイントですね。

前川:はい。黒の版にドライポイント。こういう鴨川の。

山下:はい。ああ、こういう組み合わせのもあるのですね。

前川:で、スズメとか。

山下:スズメ、うん。全部取材しに行っているんですね。

中谷:年代は入れられないのですか。

前川:入れてないですわ。これは、ちょっとぶれてますけど。

山下:全部最近のですか。

前川:ええ。最近といっても、どれくらいが最近だろう(笑)。

山下:2000年代ですか。

前川:もちろん。すっきりいく時やら、汚い時やら、どっちもどっちだなと思っておりますけど。

山下:月に何枚か作るというよりも、何か展示の前に、急に作るという感じですか。

前川:公募展出していた時は、そうやって必死になってあれですけど、この頃、公募展もそろそろ足抜けしないといけないし、個展に向けての世界ですね。これは、ちょっとぼけていますけど。

山下:はい。こういうのは、奥さんも見ておられるのですよね。

前川:女房の目が一番怖い(笑)。

山下:批評とかは、日本画出身ですし。

前川:シビアでっせ。

山下:シビアですか。

前川:ちょっと古いのです、こっちのほうが。(注:引き続き、作品を紹介してもらいながら。)

山下:ああ。すごい色が淡く。

前川:これも、ちょっと古いです。

山下:ずっとこの手法で進めているのですね。

前川:同じ手法で。これは始めた頃のやつで。

山下:そうですか。具象性が高いですね。やっぱりデッサン力が確かですね。

前川:始めた頃の作品です。

山下:なるほど。記憶とか、分かる気がします。これは、実際にモデルや資料はあるのですか。

前川:これは、宙ですわ。

山下:そうですか。

前川:これは、いろんな写真やら、ネタはそうです。(注:いくつもの作品を見せてもらいながら。)

山下:すごい。

前川:実物やら、ネタやら。

山下:ここから徐々に風景の方になっていったのですね。それで、植物。

前川:何が入ってるのか分からないけど、これが少し前の作品。(注:別のケースから版画作品を取り出してもらいながら。)

山下:そうなのですね。

前川:(滋賀県建築家)設計協会の。ちょうど色版を始めた頃かな。ソフトグランドエッチングと、これ、実際のスケッチ。それを、ペーパーリトで転写して腐食という。これが変。

山下:これもいいですね。

前川:これは、魚はどうでもいいのですけどね、これがめったに出せない。3版ですけどね。

中谷:3版ですか。

山下:3版だけですか。こういうイメージが出てくるのは、そんなに時間もかからないのですか。悩む人もいますけど。(注:複数のモチーフが重なり、組み合わせられている作品。)

前川:これは、ベースは写真を横に置いてやるのだけど、それを骨版を作って、それを赤・青・黄に転写して、そこへ松やにまいて、アクアチントという。

山下:組み合わせとかは、すぐ浮かぶのかなと思いまして。

前川:これも、フィンガーペインティングです。それを骨版に作って、それを転写しています。これ、7連作ですけども。

山下:変わっている。唐辛子。

前川:緑からちょっと黄色が入って、赤になるまで、連作を同じ版で。

中谷:これも、7Eでちゃんと唐辛子になったやつ。最後の。

前川:ええ。同じ版で。

中谷:同じ版でなんですね。色を変えて。

前川:あれね、面白かった。やってて。これは、でも二度とできない。

山下:本当ですか。

前川:どんな作品も、二度とできないのはできないのですけどね。ちょうどうまいこと版が荒れてくれるといいのだけど、ぴっしりいくと面白くない。お粗末でございました。

山下:ありがとうございます、貴重な資料を。今日も長時間になってしまいまして。

中谷:ありがとうございました。

前川:いえいえ、ごめんなさい。

山下:ありがとうございます。絵も全部お聞きすることができましたし。ああ、いっぱいストックが。小さめのものも。

前川:うん。そっち向けたかな。これは、毎年交換会がありますので。

山下:やはり割と、琵琶湖を取り巻く記憶ですね。

中谷:これは、さっきのやつと同じ構図で、縮小。

前川:そうです。縮小というか、同じ版を、元を転写してという。

中谷:元々。転写なのですね。

山下:ああ、こういうのもあったのですね。

前川:このあとや。最近。(注:たくさんの版画作品を取り出しながら。)

山下:ああ、フクロウですか。珍しい。動物園ですか。

前川:ええ。花鳥園へ行って。昔、こんなものを作ってたんですわ。

山下:日本的に。

前川:これでだいぶ活動資金を稼ぎました。

山下:確かにかっこいい。

前川:枚数作ってますでしょう。で、こういうのをね。

山下:ああ、かっこいいですね。なるほど。油絵は、今はされてないのですね。

前川:ええ。今はもうほとんど描いてない。それで、あまりにも面白くないのでということで、これは去年ですけど、関西版画会。この大賞展の時に出した作品と、さっきのあれを。このときは4点か。こういう作品を出しました。

山下:紙の形を変えたのですか。

前川:ええ。紙の形というか、3枚刷って、端の方はちょっとトーンつけて、ビリビリ破って合わせただけです。裏に蛍光絵の具を塗っていまして、ほぅと色が。

山下:そうですね。形態を変えた。

前川:これをもうちょっと立体にしていきたいなとは思っていますので。

山下:更なる展開ですね、まだまだ。

前川:どうなるか分かりませんけど。これは去年だな。

中谷:個展でした作品ですね。

前川:今年も何かしないといけないのだけど、また迫ってきました(笑)。

山下:迫ると動きだすみたいな。

前川:今年の4月。

山下:そうですか。

前川:えらいこっちゃ(笑)。

山下:ありがとうございました。